つみのかじつは夢をみせる【編集版③】

 昨日の続き。危うく更新を忘れるところだった。

 それにしても引っ越し準備が少しも進まない。今日も何もせず終わってしまった。ていうか寝たし。そら進むわけないわと思いながら、せめて今週中に「今の家ではもう着ない服」を段ボールに詰めるくらいのことはしたい。

 今日は「すべりだい」。この曲を聴いてまず頭に浮かぶのは恋愛だけれど、私は真っ先に部活やサークルで長い間かけてきたことが思い浮かんで、この曲が聴けなくなってしまったときの話。

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記憶が薄れるのを待ちながら~「すべりだい」~

 椎名林檎の曲はもう毎日聴いていたって飽きることなんてないし、嫌いな曲、苦手な曲?何それ、そんなのあるわけないじゃありませんか。彼女に限らず好きなアーティストやバンドの曲も演奏メンバーだってそう思うことは絶対にない。愛しているとかそういう域を越えている。偏愛だ。音楽は幅広く聴いているつもりでも、よく関係とかを見ていったら好きな人たちは実は全部繋がっているからちょっと笑ってしまう。偏りまくりだ。
 それでも一度、聴くことができなくなってしまった曲がある。今はもう聴けるようになったけれど、その時は「こんなに好きなのに聴けなくなるのってそれはそれで凄いな。」と思ったりした。他の曲は普通に聴けるから尚更だったのだろう。
 その聴けなくなった曲というのが、デビューシングル『幸福論』のカップリングで、のちに『私と放電』や『ニュートンの林檎~はじめてのベスト盤~』にも収録されていて、愛好家からの人気も高い「すべりだい」である。私はこの曲が一時聴けなくなった。怖い、という感覚に似ているかもしれない。
 高校生の時から部活やサークルでずっと朗読を続けている。高校一年生の夏から私はずっと朗読の虜だ。やるのも聴くのも大好きで、NHK主催の朗読セミナーで技術を磨いたり、プロの朗読が聴けるイベントがあれば足を運んだ。これを書いている今だってNHKのアナウンサーが朗読をする「北の文芸館」のホール観覧の抽選結果待ちだ。
 昨年まで大会にも出ていた。高校生の時は結局目標としていたところまで手が届かなかったので、大学の大会でリベンジしようと決意したけれど、一年目と二年目は最早綺麗とも言えるくらいあっけなく終わって、三年目の昨年は「私は誰かと競うために朗読しているんじゃないや。大会に出るのは今年で最後にしよう。」と決めて臨んで、個人的には課題本にも朗読そのものも納得いったから目標には届かなかったけれどそれで良いのだ、となった。
 しかし、私が高校二年生の時からSNSで交流のあった一歳年下の子がその大会で最終的に優勝したと知った時、おめでとうとメッセージは送ったし自分の中では区切りをつけたと思っていたのに何故か「悔しい」に似た感情がふつふつと湧いてきた。それと同時に「すべりだい」の歌詞が頭の中に浮かんできたのだ。
〈その時全て壊れ落ちた 激しい雨には慣れていたけど〉
〈このところ悔んでばかり居る 口には決して出せないけど〉
〈許されるなら本当はせめて すぐにでも泣き喚きたいけど こだわっていると思われない様に 右眼で滑り台を見送って 記憶が薄れるのを待っている〉
 何だかもやもやしている気持ちを言葉にするのは昔から苦手だ。だから「すべりだい」のこの歌詞が頭に浮かんだ時に、その気持ちがちゃんと言葉として表現できた気がしてどこかスッキリしたようにも思えたのだけれど、図星過ぎて「その通りです……」以外の言葉が浮かんでこなかった。その日からこの曲はスキップして彼女の曲を聴くようになった。
 どんなことでも感じていることを言い当てられてしまうと何となく居心地が良くない。自分では上手に隠しているつもりなのだが、「つもりは積もらない、はずは外れる」と小学六年生の時の担任の先生に教わった通りなのだ。「隠している」つもりだった。少しも隠せていないし、それを言い当てられたのが自分の近しい人たちではなく二十年以上前にリリースされた楽曲とは。この詞を書いた当時の彼女が人生三周目なのか、私があまりにもわかりやすいのかのどちらかなのだが。
 「すべりだい」を聴けなくなってから再び自分の気持ちと向き合うまで、今まで何かしらの出来事で落ち込んでから回復するその時間よりも、長い時間がかかったように思う。物理的な時間は一~二ヵ月程度だったのだが、体感的にはもっと長い時間がかかったような気がする。何故なら高一の夏からずっと朗読をしていたから。長い時間、自分の一部と言っても過言ではないものがきっかけだったから気持ちの整理にも長い時間がかかったように思ったのだ。
 ある日の夜中、ようやく自分の気持ちに整理がついて、久しぶりに再生ボタンを押したとき、先に引用した歌詞の部分で涙が出てきた。そのまま眠ってしまったのだが、翌朝目覚めたときには、とてもすっきりしていた。もう曲をスキップする必要はなくなっていた。

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 いろんな意味でこれからも忘れられない楽曲になってしまった。今はもう完全に大丈夫である。この間、大学生活最後の朗読を終えた。気が向いたらまたやりたいなくらいの気持ちもある。声を出すのが好きだから、完全にやめるつもりはないのだ。披露する場もあればいいのだけれど、得意とする題材がどうしても著作権に引っかかってしまうので難しいのが現状だ。でもこの際だから苦手を克服してみるのもありかもしれない。朗読を通して身につけた表現力は一生ものなのだ。

知識をつけたり心を豊かにするために使います。家族に美味しいもの買って帰省するためにも使います。