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《連載》合唱人のための音楽史講座―合唱音楽のルーツを求めて(宮崎晴代)

連載を始める前に

 新しいステージを歩み始めた『樹音』。その記念すべき初号に、「合唱人のための音楽史講座―合唱音楽のルーツを求めて」を寄稿させていただくことになりました。このような貴重な機会をいただき、大変光栄です。またこの講座は連載させていただけるとのことですので、末永くお付き合いください。


 さて、この講座を一応「合唱人のための音楽史講座」と名付けましたが、合唱音楽の歴史を普通に連載するのは、ありきたり過ぎてあまり面白くありません。そこで、合唱音楽のルーツを求め、その行く先々で出会う様々な合唱音楽の根っこを深堀りしながら、それらが太い水脈となって今につながっていることを、連載を通してみていきたいと思います。
 本連載は学術論文ではないので、なるべく注は省略していますが、どうしても必要な場合には、脚注として掲載する予定です。また、この連載から音楽史に興味を持ってくださる方向けに、文末に日本語で読める参考文献を掲載することもありますので、そこからさらに世界を広げていただければ幸いです(次回から)。

1.合唱音楽のルーツとは

 「合唱音楽のルーツ」とは何でしょう。そもそも「合唱」とは何か。そういった根源的な問いを重ねていくのは、実は大変危険で墓穴を掘りかねない問いでもあります。と申しますのも、「合唱」というからには、「合わせて唱する」という字のごとく、複数の人数で同時に歌う形態の音楽を指すはずです。しかし、どのくらいの人数で歌っていたかという演奏形態に関する情報は、時代が古くなればなるほどあいまいでよくわかりません。ですから、私たちは写本の細密画や絵画に残された図像資料、理論書の記述等から「推測」するしかないのです[1]。

 また、複数人で一つの旋律を同時に歌う「斉唱」は合唱なのか。複数の声部つまりソプラノ、アルト、テノール、バスと4つの声部に分かれた多声の曲を、各声部一人ずつ合計4人で歌った場合は「合唱」なのか。いや、合唱ではない、それは「声楽アンサンブル」だという意見があるとしたら、では各声部3人ずつは?4人は?5人は?…と、「合唱」と呼ぶための定義付けをしようとすると、様々に意見が分かれ、合唱と声楽アンサンブルの境界線を引くことが困難になっていきます[2]。

[1]文書資料、例えば貴族の会計帳に残された聖歌隊へ支払われたギャラの記録から、何人在籍していたかが分かる場合もあります。これについては、どこかで取り上げるかもしれません。
[2] 現在コンクール等では、演奏団体の人数で「合唱」と「アンサンブル」を区分けする場合もありますが、様々な事情を勘案しての判断であり、歴史的な流れとは無関係であるため、ここでは考察対象にしません。

 このように、合唱とは何かについて議論し始めても、ゴールは見えません。そこで本稿では、「合唱」という言葉を、「複数の人々で歌うための声楽曲」という、より広い意味で用い、合唱音楽のレパートリーをそこに内包させたいと思います。各声部一人ずつかもしれないけれど、大勢で歌うかもしれない……。現代の合唱団で歌える可能性のあるレパートリーは、全て本稿で取り上げる対象に含めたいと思うのです。

2.ルーツさまざま

 さて今回は「序」として、次回から本格的に始まるこの講座の内容について、少し切り込んでご紹介しましょう。

①合唱 Chorus という言葉

 合唱(Chorus)という言葉は、古代ギリシア語のコロスに由来します。ではなぜ古代ギリシアの言葉が、現在の西洋音楽で使われているのでしょうか。それは、現在の西洋音楽のルーツを古代ギリシアまでたどることができるからです。コーラスだけではありません。リズム、ハーモニーなど、古代ギリシアで使われていた多くの単語が、現在も音楽用語として使われています。それはなぜでしょうか。古代ギリシアの音楽とヨーロッパ文化は、どのように結びつき、西洋音楽として成立してきたのでしょうか。その結びつきを一つ一つ紐解いてみると、単に、単語が輸入されたと言う表層的な意味だけではなく、キリスト教音楽の成立過程とも重なり、非常に多層的な意味を持っていると言うことがわかります。古代ギリシア文化とヨーロッパ文化の関係は、どうなってるのか、まず第1回はこの点について深掘りしていきましょう。 

②合唱で使う楽譜のルーツ

 今、私たちは、合唱曲を歌う時、すべての声部がスコア上に並んだ楽譜を使っています。この五線記譜法と呼ばれる記譜法で書かれた楽譜は、ルールが極めて明確に定められているため、世界中のどの国の人でも同じように読み歌うことができます。五線記譜法による楽譜は、世界の共通言語なのですね。しかし、楽譜が今のような形に整えられるまで、およそ800~900年もの時間を必要としました。そして大切な事は、合唱音楽の重要なレパートリーや、様々な基礎が、この期間に成立したのです。
   この楽譜のルーツを探ると、とても面白いことが分かりますし、そこから世界が広がっていきます。例えば、現在私たちはト音記号とヘ音記号を中心に使っています。しかし1800年頃までの間、実は音部記号のメインはこの二つではなかったのですね。そもそも音部記号はどのようにして生みだされ、何の目的を持っていたのでしょうか。こういった楽譜の不思議について、何回かに分けて深掘りして行きたいと思います。

③音階のルーツ

 皆さんは、発声練習をする時、どの音から始めますか。ピアノ習い始めた小さなお子さんは、まず楽譜の読み方を習うとき、「ド」の音の位置を覚えます。このドの音は一般的に「C」と言う音名で表されます。いわゆるハ長調の「ハ」の音が「c」になります。そしてこのCから始まる全音階「CDEFGAH(B)c」[3]とは、このCから始まり1オクターブ上のcまでの間を「全音・全音・半音・全音・全音・全音・半音」と言う順で並んだ音列を指します。つまり一般的にいうと、「ドレミファソラシド」という音階です。  

[3] 音楽業界では、アルファベット音名をドイツ語読みすることが多いので、本稿でも基本的にドイツ語読みを採用いたしますが、カッコで英語名も付記いたします。

 ところで、この慣れ親しんだ音階の1番初めのが「C」なのは、なぜでしょうか。アルファベットは「A」から始まります、「C」ではありません。アルファベットは「A」から始まるのに、なぜ音階は「C」というアルファベットの途中から始まるのでしょうか。このように、音階も深掘りしていくといろいろな謎に突き当たります。この音階のルーツについても取り上げてみたいと思います。

④「譜読み」のルーツ

 皆さんは、新しい曲を最初に歌う時、どのように歌い始めますか。まず、ピアノで旋律を弾き(弾いてもらい)、それに合わせてドレミで歌うでしょうか。あるいは「ラララ」で歌いますか? この最初の音取りに使う「ドレミ」と言うシラブルは、現在の楽典では「階名」と呼ばれるもので、音の特定のピッチを指し示すのではなく、いわゆる長調の音階に対して、低い方から順に「ドレミファソラシド」と名前を付けて呼ぶ方法なのです。したがって、調性がハ長調であろうが、ト長調であろうが、主音を「ド」と読み、そこから順に「ドレミファ……」と読んでいく方法です。これに対して「固定ド」という用語もあります。ハ長調で読む読み方の「ドレミファソラシド」を固定させる、つまりCはド、dはレ、eはミ…というように、絶対音高と階名を1対1対応で固定させてしまう方法です。その場合、ヘ長調は「ドレミファソラシド」ではなく、「ファソラシドレミファ」と呼びます。ところが、この「固定ド」という名称は、ちょっと変です。ちょっとではなく、かなり変です。矛盾だらけです。なぜ矛盾してるかって?それについても、深掘りして行きましょう[4]。

[4] なお最近、ちょっとしたブームになっている「ソルミゼーション唱法」の是非について、ここで論じるつもりはありませんので、その点はご承知おきください。

   ただし、中世のソルフェージュでは、この二つの用法が実にうまく結びつき、音取りに利用されているのもポイント。実に賢いのです、中世の合唱人は。当時のソルフェージュに関する教科書を見ていると、彼らがいかに音取りに苦心したかが、垣間見えてきます。音取りに使った図像も豊富に残されています。そういった中世の聖歌隊員のための「音取りの術」、こちらも深掘りしてみたいと思います。

⑤ 協和音と不協和音の不思議


 合唱音楽の一番大切な部分、そう「はもる」という事。複数の音が同時に鳴っていれば、そこには美しく響き合う音とぶつかり合う音が存在します。音楽について書かれた古い文献を読むと、どの文献にももれなく「協和音」や「不協和音」という言葉が出てきます。
 しかし、時代によって、この協和音や不協和音の定義は異なってきます。それはなぜ?どう違うの?今まで「不協和音」と言われていたのに、いつのまにか「協和音」になってしまったのはなぜ?という、多声音楽の最も根本的な「ハモる」という点にも触れたいと思います。
そもそも「協和音」の定義はどのようにして説明されたのでしょうか。「純正律」とか「ピタゴラス音律」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、それと関連してきます。
 もっとも、音律論が本格的に論じられるのはルネサンス後期で、鍵盤
楽器のように音を固定しないと弾けない楽器が音楽史の表舞台に登場するころです。
 したがって合唱そのものと直接に関連してくるわけではありませんが、やはり「ハモる」を考えるためには、きちんと考えたい部分です。
この回は、本当なら皆様と一緒に歌って、「ほお~~~」と納得したいところですが、書面上ではそれができず……。いつかどこかで、当時の理論を紐解きながら、一緒に歌えることを楽しみにしつつ、連載の中でこの点を深堀りしたいと思います。

終わりに

 このように、次回から取り上げてみたい項目を、いろいろ並べてみました。これらは、どれも合唱作品を歌う時に「あって当たり前」のモノではないでしょうか。でも、この当たり前と思っていた部分を深掘りしていくのが、本講座の目的です。深掘りした先に何が見えてくるのか。
次回からの連載を、どうぞご期待ください。

宮崎晴代(みやざき はるよ)
武蔵野音楽大学音楽学学科および同大学院修士課程音楽学専攻修了。米国フロリダ州立大学大学院博士課程でCertificate in Early Musicを取得。東京大学先端科学技術研究センター協力研究員として記譜法論を研究する。現在は中世・ルネサンスの音楽理論研究を進めるかたわら、合唱団員として演奏活動も行っている。著書『バロック音楽の名曲』(2008)など。武蔵野音楽大学、東京藝術大学、昭和音楽大学、各講師。中世音楽合唱団所属。国際音楽資料情報協会日本支部役員。合唱人集団「音楽樹」会員。

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