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「大丈夫」と言う代わりにヨガを教える

志望大学に願書を送ってから合否結果が出るまでの1ヶ月間、娘がしつこくしつこく「私、大丈夫かな?合格するかな?」と私に尋ねる。
「大丈夫でしょ」
「もしダメだったらどうする?」
「お前を受け入れない大学なんて入らなくて良い」
「お母さん、それちっとも解決策じゃない!」
最後には必ず娘がキレて会話が終わるのである。

12歳まで外国で育ち帰国して入学した中学ですぐに不登校になってから
高校中退し浪人し大学受験するまでの間、いつでも娘が不安に駆られると
「大丈夫」と私は言ってきた。
「お母さんは全然受験の内容のことも知らないし、勉強の内容も知らないし
(当たり前だ、私が受験した時と全く違う事をしているから分かる訳ない)
大丈夫としか言わないから腹が立つ」
と言われたことがある。
あ、そう言えば私の元で働いてくれている大学生の一人にも同じような事を言われたことがある。
「悩んでいるのに大丈夫って言われて、こっちの悩みを聞いてくれていないと感じた」
説明不足だね、ごめんなさい。

私が「大丈夫」と言い続けるのは、別に深く考えずにテキトーに口先で交わそうとしている訳ではない。

娘は日本に来てから長い間苦しんで心を病んでいた。
本が大好きで世界に対して好奇心に満ち満ちて、新しい事やチャレンジにも目を輝かせて飛び込んでいた子供が、何に対しても興味を失い自信を失い何年間もベッドルームにこもり続けるのを見るのは何よりも辛いことだった。
それでも私は娘が自力で這い上がってくるのをひたすら待った。
私にとっては勉強も進学も本当にどうでも良い事だった。
それは私は本当の彼女の姿を知っていたからだし、もっと言えばどんなに落ち込んでいてどんなに勉強が停滞していても生きていて健康ならば必ず元の彼女に戻れて幸せになれると固く信じていたからだ。
健康で幸せなら良い成績なんて要らんでしょ。

ヨガを教える仕事をしていてたくさんの人を見てきたからかも知れない。
どんなに疲れて肩や腰をボロボロに痛めていて
ストレスで心が暗くなって険しい顔つきの人でも
無心に身体を動かして自分の呼吸を聞いていると最後のリラクゼーションの時には本当に穏やかな幸せな表情をする。
心や身体がどんなに悪い状態でもそれは一時的な現象に過ぎないのだ。

だから「大丈夫」なのだ。

けれど娘も大学生もおそらく世間一般の悩んでる人々もそれを理解してくれない。辛いのに「大丈夫」と言われると腹が立つらしい。
だから私は「大丈夫」と言う代わりにヨガを教えた方が良いらしい。

娘はすっかり元気になり昔のように色んな大好きな事を取り戻して楽しそうに暮らしている。私がちっとも頼りにならないので勝手に自分で勉強して大学受験に勤しんでいる。ほら、大丈夫やんと、またキレられると怖いので心の中でそっと思う。

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