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私という虚像

いやはや、私という人間はつくづく分からない。

情熱がばぁッ!!!と燃えるのもはやければ燃え尽きるのもはやい。
真面目人間ぶっている裏側では急にサボりたくなったりだらしなかったり。
人にやさしい人間だと思っていたら冷酷な自分がチラチラ顔をのぞかせたり。
人前に出て堂々としたいと思ったり陰でひっそりといたいと思ったり。
恥ずかしがりなくせに人を笑わせたいと思ったり。
めっちゃイケてるやん私と思った直後に全然イケてない自分に出会ったり。

一体本当の私とは?と良く思うけど、
たぶん全部本当の私。

SNSでつぶやいているときの私。
友達といるときの私。
働いているときの私。
夫といるときの私。
子供といるときの私。
こうやって文章を書いているときの私。

その場その場の立ち位置や
○○にとっての「私」を自然に使い分けているのかもしれない。

以前読んだ平野啓一郎さんの書籍、
『私とは何か「個人」から「分人」へ』で

個人はそれ以上に細かく分けられないけれど、一緒にいる相手によって自然と自分を使い分けていることを『分人』と考える。
「この人と一緒にいる時の分人(自分)が好き」と思える相手と過ごす時間を増やす。(中略)そうすることで、好きな分人(自分)が増えて、自分をもっと好きになり、自然と楽しく生きられるのではないでしょうか。

とあった。
他人軸になりやすい私は、流されるままにゆらゆらと回遊してしまうことも多いのだけど、
私を「分人」として捉えると、矛盾した感情や様々な顔をのぞかせる私は決して軸がないわけでもなく、自分でさえ掴みどころがない性格や感情を楽しもうとさえ思えるようになってきた。
新しい出会いや環境に飛び込むことで、まだ知らない「私」に出会えるのでは?とワクワクしたりもする。

そして「誰と一緒にいる時の自分が好きか?」を焦点にあてて生きているともっと能動的で新たな私にも出会えるかもしれない。

もう自分の感情や立ち居振る舞いを客観的にみて否定するのやーめた!!
だって全部自分なんやもーん!
って鼻をほじほじするくらいの気持ちでいようと思った6月1日。

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