発達障害の息子を持つ母の気持ちとは?

息子が発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されるまでの私の気持ちの変遷を書こうと思う。

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私たち夫婦の初めての子供。

それはそれはとってもかわいくて。乳児の頃の育てにくさは特に感じなかった。というより育てにくいかどうかも当時は必死でよく分かっていなかった。

よく動くし、泣いたら海老反りになるし、夜泣きも多いし、それなりに大変だったのだろうなと思い起こせば色々あるけれど、特に違和感なく過ごした。

あれ?うちの子ほかの子と少し違うのかな?と感じ始めたのは2歳半くらいから。

じっとできない、切替が下手、視覚優位、言葉が遅い、こだわりが強い、触覚過敏。保育園の先生からも発達障害とは言わないけど、それとなく仄めかされる・・・3歳児検診で心理士さんに相談をしてみる。そこから定期的に面談。やはり落ち着きがないや視覚優位で耳からの情報が入りにくい等言われるが様子見との判断。

年少になった息子。年少は参観・運動会とも暴れる泣くで全然ダメで。なんでこの子は他の子みたいに落ち着いて出来ないの?って周りの目も意識して恥ずかしくて。普通であってほしいと願っていた頃。

年少最後のひなまつり発表会。1歳児2歳児ともひなまつり発表会は完璧だったし、年少の集大成としてとてもとても期待してワクワクドキドキみていた私。

緞帳があがる前から聞こえる息子の奇声・・・その期待は見事に裏切られ、目の前に広がる光景は先生に抱き抱えられ連れ戻されたりまたウロウロしたり落ち着きのない息子。収拾つかなくなり途中から退場。ほかの子供たちは決まった踊りや声出しを一生懸命している。

・・・もう逃げ出したかった。周りの保護者に今の息子を見られている恥ずかしさ、なんで5分間の発表ができないのか。私を困らせようとしているの!?あんなに楽しみにしていたのに。せめてひなまつり会だけは頑張ってほしかった・・・

そんな自分のことしか考えることができなくなった私は息子が発表を終えてこっち来るやいなや「もうなんであんなことも出来へんの!?」「ママ悲しくて悲しくて・・・もう知らんから!」と心無い言葉を浴びせる。次から次へと涙が止まらなくなる私。それを見て「今度はちゃんとやるから、ごめんね」と謝る息子。自分の感情があんなにコントロールできなくなることは初めてだった。何時間も泣いて涙が枯れた時に、冷静に考えてみる。

やはりあの子は普通ではないんだわ。
今まで普通であってほしいと思い過ぎてたあまりに息子の特性に目を背け逃げていたことに気づく。すぐ役所の心理士さんに連絡。面談でいっぱいだったのに枠を無理やりあけてくれ数日後に相談。「お医者さんにきっちり見てもらいたい」と伝える。

保育園の先生にも相談。息子のことを話すと次から次へと涙が溢れてきて「先生、正直に答えてください。やはり他の子と違いますか?」「そうですね、でもそれぞれに合ったやり方があるし、息子くんがダメだとかそんな思いは絶対持たないでね、お母さん大丈夫だよ」と。

そこから私は吹っ切れ、発達障害についてたくさん調べる。どんどん前向きに息子のありのままを受け入れようと決意を新たにする。

診断の日。2時間くらい検査をした後「自閉症スペクトラムですね」と言われる。その時私の前の霧が晴れた。やっぱりかという気持ちと育て方が悪かったのかな?甘やかしすぎていたのかな?とか自身を傷つけていた思い込みから解放された瞬間だった。

今思えば「普通であってほしい」と願うばかりに息子のありのままを受け止めてあげていなかった、良いところもたくさんたくさんあるのに悪いところばかりに目がいっていたなあ。息子には悪いことをしたなと思う。

まだまだひよっこな私の心。でもひな祭り会から1年以上たって、私は本当に息子のおかげで変われたし、世間体なるものを気にすることもなくなったし、世界が広がったように思う。

みんな違ってみんないい。

その根本を今息子のおかげで体感できている。来年には小学生になる息子。

一喜一憂せずに息子にしてあげれる支援を母として本気で考えていく所存である。

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