ワンモア

もと航空エンジニア。成田空港のそばに単身赴任中。飛行機や空の世界が大好きです。

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最近の記事

日本の偵察機開発の特殊事情

◆偵察機開発にこだわった日本の事情とは? 前回の記事の続きです。  第二次世界大戦が始まると航空機産業はそのピークを迎えます。  産業の主力は戦闘機、爆撃機、輸送機などであり、偵察機そのものは、さほど重要視されていませんでした。  それは何故か?偵察機開発は、戦闘機や爆撃機など、他の機種からの改修・流用でほぼ足りていたのです。  しかし、日本だけは不思議なことに「偵察」専用機の開発に力を入れていたのでした。試作機まで入れるとその開発機数は16機種と、2位のアメリカの倍近くの偵

    • 偵察機の話〜その任務と歴史

      ◆任務の統合〜専用偵察機は消えていく 前回の記事「飛行機に与えられた最初の任務とは?」の続きになります。  生まれたての飛行機たちが、二度の世界大戦という過酷な環境下に置かれたことによって、その持てる性能を、瞬く間に大きく向上させることになりました。そして、戦場の任務の多様性に応じて、実に様々な種類の軍用機がつくられるようになります。  そうなると、どんどんと機種が増えるんじゃないの?と思いますが、現実はそうはなりませんでした。一つの軍用機が複数の任務をこなせるようになって、

      • 飛行機に与えられた最初の任務とは?

        ◆飛行機に与えられた最初の任務とは? 今日からヒコーキたちのエッセイを連々と投稿していきたいと思います。  「空を飛ぶ」ということは長年の人類の夢でした。古来、空に憧れた挑戦者たちが、失敗を繰り返していきましたが、気球やグライダーによって空に上がることに成功し、ついに1903年、ライトフライヤーが動力飛行機での飛行に成功します(実は諸説あり)。
   最初は、空を飛ぶこと自体が目的だったのですが、その力を一度手に入れてしまうと、何かに使えないかと考えてしまうのは人類の悪いクセ

        • ヒコーキたちのエッセイを書いていきます。

          はじめまして、ワンモアと申します。 第二次世界大戦の軍用機たちを中心に、ヒコーキのエッセイとして書いていきます。十数年も前ですが、航空関係の仕事をしていました。 エッセイの内容は、第二次世界大戦時の軍用機たちがメインになると思いますが、航空機業界全般な話に広がると思います。航空機用語や軍事技術的なことも含まれます。戦争賛美派ではありませんが、苦手な方はご注意を。

        日本の偵察機開発の特殊事情