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日本の偵察機開発の特殊事情

◆偵察機開発にこだわった日本の事情とは?

 前回の記事の続きです。
 第二次世界大戦が始まると航空機産業はそのピークを迎えます。
 産業の主力は戦闘機、爆撃機、輸送機などであり、偵察機そのものは、さほど重要視されていませんでした。
 それは何故か?偵察機開発は、戦闘機や爆撃機など、他の機種からの改修・流用でほぼ足りていたのです。
 しかし、日本だけは不思議なことに「偵察」専用機の開発に力を入れていたのでした。試作機まで入れるとその開発機数は16機種と、2位のアメリカの倍近くの偵察機を開発しており、世界でもダントツのトップです。
 特に軍部の戦略を計画する上で貴重な情報を収集する「司令部偵察機」という新しいカテゴリも作り「一〇〇式司令部偵察機」に関していえば、1,742機製造という、偵察機のジャンルでも世界的にみても類を見ない驚異的な生産数を誇っています。凄いですよね。
 ここで戦争前夜あたりから開発された偵察機の名称をみてみましょう。

<日本海軍>九四式水上偵察機、九五式水上偵察機、九六式小型水上機、零式小型水上偵察機 、零式水上偵察機、零式水上観測機、二式艦上偵察機、二式陸上偵察機、「彩雲」、「瑞雲」、「紫雲」、「景雲」
<日本陸軍>九七式司令部偵察機、九八式直接共同偵察機、九九式軍偵察機(襲撃機)、百式司令部偵察機など実に様々な偵察機を開発しています。

種類が豊富な日本海軍の偵察機

 なぜこれほどまでに多くの偵察機を開発しなくてはならなかったのか、管理人的には大きな疑問になりましたので調べてみました。

①航空エンジンのパワーに余裕がなく、マルチ機の開発が困難だった。

 エンジンを換装し直すだけで別物の飛行機のようになるのが軍用機です。どのエンジンを搭載するかということは、航空機の運命を決定付ける重要な要素なのですが、二千馬力級のエンジンを搭載して続々と登場してくる英米機に対して、日本は終始苦戦を強いられています。
 そのために設計部門の技術陣が成すことはひとつ。軍の要求目的に完全特化した単用機に仕立てるということです。 
 例えば高速偵察機が欲しい場合、エンジンパワーに余力があるアメリカ機は戦闘機の武装を外せば、かなり目的に近いものが出来上がります。一撃離脱方式の欧米型戦闘機に求められるのは加速性能と最高速度、重武装です。なので、武装を外せばかなり目的に近い要求に応えることができます。
 しかし、日本機の場合は他国に較べても格闘性能を重要視していたので、格闘する必要のない偵察機とは、設計コンセプトが合致しませんでした。
 それならば、改修するのではなく、最初から新規で開発した方が早かったということもあるかもしれません。 
 また写真撮影や通信などの任務で、複座、三座が必要な場合、爆撃機、攻撃機から転用することになりますが、その場合でもで爆弾搭載のための積載量や構造強度は必要ありませんので、やはり専用機の方が高性能になります。
 多様な任務に対応できるマルチロール機は、エンジンパワーに余裕がない日本ではかなり厳しかったといえます。ただし、戦争後半になるにつれ、偵察機にも爆撃任務や戦闘任務を与えるようになってきているのも事実です。この点、連合国側と逆の流れなのが興味深いですね。

紫雲:強行偵察という盛りだくさんのアイデア満載。15機のみ生産

②制空権の問題もあった

 更に制空権の問題もあったのではないかと思います。制空権、それは戦闘機などで敵機を追い払い、空域でイニシアチブをとることです。
 アメリカ海軍は機数も多いため、攻撃機を転用した観測機でも、戦闘機の護衛がつく場合もありましたが、日本ではそうは行きません。
 自力で逃げ、場合によっては戦い、帰還する必要があるのです。数で負ける側は個々の性能を上げるしかないのですね。

③陸軍と海軍の偵察・斥候の概念が違っていた。

 日本に偵察機が多かった理由の3つめですが、海軍と陸軍の偵察・斥候の概念が違っていたという点があげられると思います。
 広大な中国大陸で日本陸軍が作戦を立てるには、敵の情報をいち早く知る必要がありました。陸上部隊に斥候をさせるより最新の飛行機に偵察をッセ他方が有利になります。 
 司令部直属の専用機が欲しかったのは当然のことでしょう。他国はまだ大陸侵攻の戦闘をしていなかったため、日本ほどのニーズはなかったのではないかと思われます。
 また軍部の展開に合わせて移動するので、整備されていない陸地でも着陸できるような頑丈な脚など求められるなど、求められるコンセプトも明確でした。 

世界初の戦略偵察機、九七式司令部偵察機(1936初飛行)
頑丈な固定脚は、荒れた路面での離発着も想定しています。

 ドイツでも、似たようなコンセプトで、狭い場所での離発着ができるシュトルヒFi156連絡・偵察機などが開発されています。北アフリカ戦線のロンメル将軍専用機が有名ですよね。
 陸軍ではこのように、九七式司令部偵察機→九八式直接共同偵察機(攻撃も可)→九九式軍偵察機(九九式襲撃機の派生型)→百式司令部偵察機と順調に開発が進んでいきました。
 かたや海軍では、もう少し事情が複雑で、飛行甲板のない艦船からもカタパルト射出で可能なこと。砲弾の着弾観測の必要があったことなど様々な用途に対し、マルチな対応をするには厳しかったことが多様な偵察機を生み出した要因であったように思います。
 次回はこの日本海軍の偵察機事情について述べたいと思います。

シュトルヒFi156連絡・偵察機 管理人も大好きなヒコーキです


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