中庭

どこかの中庭にある気持ちのいいテラスにいた。

そこはとても静かで、硝子で出来た大きな鳥籠の形をしている。

この場所に季節があるのかもわからない。そもそも何処の国なのかもわからない。硝子の外はただ広くて何も無い。緑の大地が延々と続いた先に、深い森があるのが見えた。 陽はまだ高く薄い雲がのんびりと浮かんでいる。風は凪いでいた。硝子の向こうばかり眺めていても何も変化が無いので、テラスの中に目を向けた。

 寒くもなく暑くもなく、外に出てみようにも入り口も出口も無い。ピカピカに磨かれた円形の、ヘリンボーンの床の中央に、真っ白なクロスを掛けた円卓が置かれ、四方にあめ色に光る猫脚椅子が四つ。その柔らかなブルービロードに金のボタンがあしらわれた椅子に腰を下ろし感触を味わった。そして、円卓の上に置かれた名前を知らない花に触れてみた。涙型の小さな青い花弁は驚くほど繊細で、壊してしまいそうで怖くなる。眺めるだけにしておいた方が良さそうだと思いそっと指を離すと、懐かしい香りがした。

“懐かしい”?この気持ちは何だろう。

何かを思い出しかけても、すぐに霞がかかったように遠ざかって行く。

いつからここにいたのか、どこから来たのか、どのくらいこうしているのか。

ぼんやり考えても何もわからなかった。

テラスの外を眺めるとサラサラ雨が降っていた。

硝子越しに眺める雨はちょっといい。

今はまだここにいようと思う。

 円卓には大きな銀のトレイが置かれ、その上に真っ白なティーセットが用意されていた。一人では飲み切れなさそうな大きな丸いティーポットには、シャンパンゴールドのティーコゼーが被せてある。その艶やかなサテン生地を撫でると、ほんのり温かかった。傍らに取っ手が華奢なティーカップが三つ伏せてあり、音符のように並ぶシルバーのデザートフォークを見つめて、誰か来るのかなと思った。

 大粒に膨らんだ雨がテラスの硝子を叩く音に滲んだ緑の先を見つめた。深い緑の、そのずっと先の黒い森の方から、誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。ポツンと白い傘が花のように揺れている。

あれが「お客様」かしら。そう思って見つめていると、俄にに積乱雲が立ちこめた。遠くの空にに稲妻が走り、まるでドラムロールのように近付いてくる音に合わせて雨粒は膨らみ、みるみるうちにオーケストラの様な嵐になった。

(入れて)

 黒い雲の中にチカチカと光が見えたとき、あんなに遠くにいた「お客様」が、硝子のすぐ向こうに立っていることに気付いた。

(入れて)

 反射的に首を横に振った。お客様はしばらくテラスの周りをグルグル回っていたけれど、何処にも入口が無いことが分かると硝子をドン、ドンと叩きはじめた。白い傘は雨に叩かれて濡れ萎れた花の様になっている。

(入れて。入れてよう。)

 後ずさる背中をジワリと冷たく湿った汗が流れた。

(わたしも入りたい。わたしもそこがいい。)

 恐ろしくなってテーブルの下に逃げ込んだ。でも何故か視線をそらすことができず、身を隠しながら外の様子を伺っていると、狂ったように硝子を叩き続ける手に握り締められた白い傘の先端から真っ赤な何かが溢れ出した。

怒りの様な、恨みの様な、絶望の様なもの。

(狡い!狡いぃ!)

 溢れ出した何かに全身が染まった、招かれざる真っ赤な客人は硝子を叩くことをやめない。恐ろしくて悲しくて何も聴かないように耳を塞ぎ、きつく目を閉じた。


序〜第三話、はてなブログからの転載です。