「(K)not」第十一話
自宅玄関での大乱闘で、自分が投げた大きな紙袋から中身をぶちまけてしまった。踏み荒らされたそれが、あの浴衣だと思い出すまで少し時間を要したが、気付いてから流石に悪いことをしたと晴三郎に謝った。いつもの調子で微笑う晴三郎とは対照的に、襟人は激怒だった。瞬は肩を落として自室に引き上げてからずっとスマートフォンを見つめている。
『その失くしもの、何なのか調べてあげよっか。』
昼間「マチヤチノ」が言った言葉が耳に蘇る。夢を介して遠隔操作されている(らしい)瞬たちは「誰か」の為に「何か」を探している。探しているものが何なのか分かれば依頼主が誰なのかも分かるかも知れない。紫色の蝶の導くままについて行けば、この遠隔操作を断ち切ることだって出来るかもしれない。
瞬は画面右下に留まった紫の蝶をまじまじと見つめた。タップしたが最後、アダルトサイトにアクセスして高額な金額を要求されたりしないだろうか。晴三郎の涙と未知の狭間で心が揺れたのは一瞬だった。呆気なく好奇心に打ち負かされた瞬は、人差し指に力を込め紫の蝶をタップした。
凝った作りのホーム画面は黒と紫と金色が基調の、ゴシックホラー風オフィシャルHPと言ったところだろうか。蜘蛛の糸で描かれたタイトルは意味が分からなかった。画面を這う小さな銀色の蜘蛛を指先で操作すると問合わせチャットに飛んだ。
某SNSの様に画面の左右から漫画の様な吹き出しが出て会話をするのでは無く、オフィスの一室でテーブルを挟んで相手と向き合って座り言葉を交わす仕様になっている。が、臙脂色のソファにオペレーターの姿は無かった。カーソルが点滅しているので、
「こんばんわ。」「誰か居ませんか?」「おーい。」
などと呼び掛けてみる。
少し待つと、ゴシックなベビードールに身を包み枕を抱えたマチヤチノの3Dアバターが現れた。至極機嫌の悪そうな顔をしている。
『おこだよ!』
間違いなくマチヤチノのあの声で文句を言うので瞬は慌てて謝まった。こちらの音声は届かないので、コメントを入力する。さながら動画のチャンネル放送を視聴してコメントしているような感覚だ。
「ええと、昼間の夢の話、していいですか?」
瞬が問いかけると舌打ちされたのでちょっとブルーになる。マチヤチノの昼と夜のキャラクターの違いに戸惑いながら、瞬は失くしものが何なのか教えて欲しいと訴えた。鑑定料等を提示されるかとドキドキしたが、マチヤチノは、
『あ、じゃあ明日ここに来てくれる?』
と、拍子抜けな返答を寄越し大アクビをした。貼られたリンク先はG地図アプリでどうやらオフィスは実在はするらしい。何だか狐に摘まれた気持ちでホーム画面に戻ると、銀色の蜘蛛が二匹になっていた。
十時過ぎから降り出した雨が勢いを増すに連れ、牛蛙の合唱が一段と声高になってきた。この辺りでは毎年聞こえる夏の風物詩だが年々数が増え今年は五月蝿い程だ。理紀を部屋に放り込んできた正一郎、一階の和室に爽を寝かしつけてきた和二郎、廊下に散乱した浴衣を丁寧に畳んで片付けた晴三郎が、それぞれ疲れ切った面持ちでリビングに現れた。他の子供たちは各々自室へ戻って静まり返ったリビングに響く牛蛙の声が、この沈黙をやり過ごすのにはありがたかった。
「お茶でも淹れようか。」
晴三郎が席を立つと、正一郎は窓を少し開けて煙草に火を付けた。
「あいつ何か言ってた?」
和二郎が二本目に火を付けた正一郎に尋ねた。
「何も、聞かなかった。」
正一郎は、そのままフーッと煙を吐き出して宙を見上げている。和二郎はあんなに激しい兄弟喧嘩は初めてなので、どうしたらいいか分からないと素直に打ち明けたが、正一郎も晴三郎も同様に、ただ己の無力さに打ちひしがれ項垂れていた。こんな時、母親がいれば息子の気持ちが分かっただろうか。普段からもっと子らの気持ちに寄り添えていれば。何か、大事なサインを見逃したのだろうか。思い浮かぶのは疑問や後悔ばかりで、まるで出口が見えず前後左右も分からない暗闇にいるようだった。
思えばずっとこうして来たのかもしれない。遺されたものどうしが手を取り合い、暗闇の中をなんとかここまで進んできたのだ。それなのに握っていたはずの手がいつの間にか離れて、お互いの場所まで分からなくなっていた。爽の悲鳴にも似たあの声は、暗闇の中で必死に自分の居場所を叫んだのかも知れない。
「爽ちゃんが、首にしてたの・・・」
ポツリと言った晴三郎の声が突然の轟音に掻き消された。勢いを増すばかりの暴風雨が雷雨に変わった。近くに落ちたのか、腹のあたりに響くほどの雷音に驚いた3人が顔を見合わせた瞬間、フッと照明が落ちリビングは真っ暗になった。
「うわっ。」「あー落ちた。」「停電か。」
口々にそう言うと、正一郎はため息と共に火の元を消し、手探りで窓を閉めた。晴三郎が懐中電灯を探しに立ち上がりウロウロしたので何処かぶつけたらしく、離れたところで微かな悲鳴と呻き声を上げていた。和二郎は壁伝いに廊下に出て和室に向かい引手を探り当てると襖をスラリと開けた。その拍子に予想外の生温い風が顔に吹き付けてきたので、違和感を感じたまま暗闇を進むと畳が濡れていることに気付く。八畳ある和室の、裏庭に続くガラス戸が開いており、そこから嵐が吹き込んで畳を濡らしていたのだ。
違和感はっきりと動悸に変わり、和二郎は膝をついて布団を隈なく探ると、期待とは真逆の何か無機質なものが指先に触れた。
それは、爽の喘息治療の吸入器だった。
既に冷え切った布団の上に、眠っていたはずの爽の姿は無い。和二郎は軽い眩暈を覚えるも、立ち上がり正一郎と晴三郎を探して大声を上げた。
「爽がいない!」
和室を出て廊下で懐中電灯を持った晴三郎とぶつかった。
「和室の窓が開いてて・・・あいつ、どっか行っちまった!」
「え、爽ちゃん?な、なんで!?」
「知らねえよ!」
和二郎は頭を抱えて壁にもたれ掛かり、二人の声を聞きつけた正一郎に肩を叩かれるまで放心していた。懐中電灯を持って二階から降りて来た襟人と理紀は、大人たちの殺気立った空気に狼狽している。正一郎は、車のキーを襟人に渡し、瞬と共に家に残るように命じると、理紀を連れて外へ出て行った。和二郎も晴三郎と共に、正一郎たちと反対方向に捜索に出て行った。
襟人と瞬だけになった玄関に、再び全身の生毛が逆立つほどの落雷が轟く。真夜中の雨はこのまま永遠に続くのではないかと思われた。