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「(K)not」第八話

 先に帰宅していた晴三郎と襟人が夕飯の支度をしていた。

 風呂を済ませた正一郎や和二郎が首からタオルを下げて、昼間飲んだ分は全部汗で流れたからプラマイゼロとでも言うのか、美味しそうにビールを飲んでいる。

 和室で眠っていた爽が眩しそうな顔をしてリビングに現れると、晴三郎が何か食べられるかと声を掛けた。

「入らない?」

「うん・・・いい。大丈夫。シャワー・・・する。」

「そっか。今日は暑くて疲れたもんね、汗を流したらまた寝ちゃうといいよ。一応、爽ちゃんの分ラップしておくから、後でおなかすいたらチンして食べなね。」

晴三郎がそう言うと、爽は僅かに頷いてフラフラと浴室へ向かおうとする。

「シャワー出たらポカリを飲めよ!」

 と呼びかけた理紀の声にも、爽は無反応でリビングを出て行った。

 オマエを家まで背負って、運んで、着替えさせて、寝かしてやったのは誰だと思ってるんだと、憤慨した理紀は、

「返事ぐらいできねえのかよ!」

 わざと聞こえるように不満をぶつけると、茶碗に白米を山のように盛り勢いよく夕飯を掻き込み始めた。

 ムスッとして脱衣所に入った爽は「うるさいんだよ、いちいち」と脱いだシャツを丸めて乱暴に脱衣かごへ投げ込んだ。洗面台の鏡に虚ろな視線を向けると、正視に堪えないほど憔悴している自分の姿に少し驚いた。

 自分の身体が丈夫で無いことは分かっているつもりだ。病気ばかりしてるから身体が人並みに成長していない。狭い肩、簡単に折られそうな首や腕。体毛が薄くて生白い肌。腰も尻もまるで子供のようだ。これが自分かと思うと心底嫌になる。自分の発育の遅れは親の所為だと恨んだこともあったが、恨んだところで背が伸びないのも事実だった。色々なことを諦めることに慣れてしまったから、せめて周りに迷惑をかけないように大人しくしていよう。そう、思っていたのに。

 伸びすぎた髪が鬱陶しい。我ながらクソガキだなと込み上げる自己嫌悪を振り払い、鏡の中の自分から目を背けるように、爽は項垂れた頭を激しく振った。

 電話が鳴った。

 親機の受話器を上げた襟人の愛想の良い声が一瞬でトーンダウンする。人当たりの良い襟人がこの声を出す相手は一人しかいない。電話をかけて来たのは有馬だった。

 瞬は自分の皿を洗いながら会話に耳を傾けた。襟人が素気無く電話を切ろうとするので慌てて「代わって」と濡れた手を差し出すと「ちゃんと手を拭きなさい」とピシャリと言われた。瞬がシャツの裾で適当に手を拭うと、襟人はがっかりした顔をして受話器を寄越した。耳に当てた瞬間、カチカチッと向こうでライターの音がする。

「もしもしっ、ゆうちゃん!?今日ねえ、スゲーことがあった。」

『お?おう。先ずはオマエ、お仕事お疲れ様でしただろうが。』

 瞬の興奮した様子に面食らった有馬は少し声を荒げ「待て」を覚えさせる。そして心のこもっていない「オツカレサマデシタ」を確認した後、煙を吐いて満足そうに『よし。』と言った。

「そのスジの人?に会ってきた!」

『どのスジ?』

「だからぁ、昼間したじゃん、夢の話。」

 仕事上がり、ニコチンを脳に巡らせている時にそんな話をされても彼に分かる訳は無く正直面倒くさいので、有馬は適当に返事をしてさっさと電話を切ろうとする。

『あーあれな。・・・ハハッ、何だっけ?』

「何だっけじゃねーわ。だからぁ抹茶クリームフラペチーノと友達になったから、俺らが何探してるか調べてもらうことになって。」

『お前の話はまったくわからん。』

「あっあっ、待って切らないで!続き、続き聞いて!」

『もー何だよー早く帰って飯食いてえよー。』

 有馬は電波な末弟の訳のわからないお喋りにつき合わされて、遂に駄々っ子のような声を出した。

「それで、俺たちは、エンカクソウサされているんだって。夢を通じて探すように仕向けているらしい。ゆうちゃんどう思う?」

 どう思うと言われても、何を問われているかも覚束無い状態で、有馬は彼の言った言葉を脳内で反芻した。

「いい?俺たちは、皆お願いされる側だったでしょ?あれ、一体誰にお願いされてんのか・・・・・・・・・・?」

『俺ら以外・・・?』

「俺らって?」

『えー・・・だから、俺ら家族?』

「そう。でも一人、夢のこと知らないって言ってた人、いたよね?」

 瞬が有馬の応えを待っている間、不意に廊下で大きな音がした気がした。瞬は受話器を持ち替えて音のする方へコードを延ばし、耳を済ませてみる。すると確かに争う声が聞こえてきた。不審に思った瞬が襟人に目配せして、今度は二人して耳を済ませた瞬間、聞こえてきたのは絹を裂くような鋭い悲鳴だった。

 それは、食後にリビングで寛ぐ父親たちにもハッキリと聞こえるほどの大きさで響き渡った。尋常でない危機感を帯びたその声に、その場一瞬で凍りつき、皆互いに視線を交わし立ち上がり、足速に廊下へ向かった。

 受話器の向こうでは、一人有馬が思案に暮れていた。

『えーっと、アレだ。爽だ。なんか途中で血相変えて出てったよな。そーいえばあいつアレから大変だったんだぜー。電車で派手にゲロ吐いてよーって、おーい?瞬?おーい答え教えてくれー。』               

序〜第三話、はてなブログからの転載です。