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石物語

昨日、海外と日本を行ったり来たりしながらアクセサリー作家をしている同級生に会いに、代々木公園のアースガーデンに遊びに行った。彼女は天然石をなるべく研磨したり加工せずに、本来の姿を生かした作品にする。別の天然石を組み合わせたり、彼女オリジナルの鳥や植物や虫などのモチーフを添えたりしながら命を吹き込まれたそれらの作品には、二つとして同じものがない。似たようなアクセサリーを私は他所でも見たことがない。煌びやかな宝石にも数珠状のパワーストーンにも全く興味がなかった私も、彼女の作る力強いのに愛らしい作品たちに魅せられ、今は天然石そのものが大好きになった。

そして私同様に彼女と彼女の作品のファンは日本中に沢山いて、帰国中にあちこちで行われる個展や出店先には、女多めの老若男女がかわるがわるやってきていつも大盛況になる。

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昨日訪れた彼女のブースも、テントの中には手伝いに来た人とお客と友達が数人、全員汗だくになりながらニコニコしていた。ざっくり紹介されただけで年齢も詳しい素性もよく知らない同士で、誰かの持って来た自家製の冷たいサングリアやチャイを勧め合う。暑い暑いと笑いながら、全員がどこかに必ず身につけている彼女の作品を披露して褒め合ったり、サプライズで彼女の親戚がやって来たりして、テントの外も中もずっと賑やかで楽しく、早めに帰るつもりがすっかり長居してしまった。

女だらけの世界に存在する特有の面倒臭さは私も嫌というほど知っている。でも彼女を軸にそこに集まっているのは皆、年齢に関係なくどこかそういう狭苦しい枠組みや連帯感を気にしない人達ばかりに感じた。

明け方に赤ちゃんを一人取り上げてきたばかりだと言う助産師さんや、シングルマザーで2人の息子を育てて既に孫もいるけれど今も現役のタクシードライバーだという70代のカッコいい婦人、私のようにぽかーんと口を開けていつまでも自然光の下で美しさの本領を発揮している天然石に見惚れる主婦など、バラエティに富んだ女達が雑談としか言いようのない雑談を重ねながら徐々に打ち解けていくゆるい時間。屋外で猛暑だったのもあり、マスクをはずしてこんな風に人ととりとめのない話をするのは本当にいつぶりだろうかと思った。そしてこういうのんびりした時間と他愛のないお喋りの機会すら、この数年間ですっかり奪われてしまっていたんだなーと気づいた。

私は独りの時間も好きだけれど、それと同じくらい独りでもいられる人達と一緒に何かをするのも好きだ。

友達はプロなのでもちろん知識として知ってはいるだろうけれど「金運にはこれ、恋愛のお守りはこれ、誕生石ならこれ」というような石の勧め方はしない。直感で好きだと思ったものを選ぶのがベストだと言う。確かにみんなが身に着けているアクセサリーは、石の色も大きさもデザインも、不思議とどれもその人に似合っていた。似合うものを選んでいるのか身につけているうちに似合ってくるのか。どの石もその人の元に行くのが決まっていたかのようにしっくりと馴染み、その人を守っているように見えた。

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高校3年の夏、バスケ部員だった私は部活を引退してすぐにピアスの穴を開けた。その時「失敗しても文句は言いません、って誓約書書いてくれるなら良いよ」と言って私の耳に穴を開けてくれたのが彼女だった。当時既に彼女の耳には沢山のピアスが並んでいた。

その日から30年近く経った今、こうして彼女から買ったピアスをあの時穴を開けてもらった耳に飾っているなんて想像もしなかった。てゆーか薄々分かっていたけれど、生きていると30年って本当に経つんだな。

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天然石を見ていると、宇宙の秘密や途方もない時間に思いを馳せながらいつも気が遠くなる。

地中の深い深い場所で信じられないほど美しい鉱物が形成されてゆく悠久の時間の中では、今日という日も私の一生もほんの一瞬に過ぎないのだ。

そう意識すると、欲張りすぎてはいけないけれど、どんな風に生きても良いんじゃないかと思える。

そして願わくば、私も誰かの何かを照らす石になりたい。

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