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自粛後、初の電車、初の外食

今日(というか17日)、自粛後では初の外食をした。最後に外食をしたのが3月末だから、2カ月半ぶりの外食だ。ついでに電車もしばらくぶりに利用した。今日はその時感じた瑣末なことに関する日記だ。

がたんごとん電車

10代からほとんど毎日乗っていた電車。3月末以降、緊急事態宣言が発令されてから一切乗らない生活を送っていた。なにしろ自粛期間だし、幸いながら通勤する必要のない仕事を細々と行なっていたからだ。

まず駅まで歩いて行く。最寄りの駅は散歩コースの途中にあるから、そこまでは(電車のなかった)いつもと一緒だ。その後、ICカードにお金をチャージして改札を通り、ホームで電車を待つ。正直言うとふわふわとした気分だった。初めて渋谷に行くときのような緊張感を身に纏っていた。

そして電車に乗り込む。お昼をすぎた時間帯であるから車内は空いておりソーシャルディスタンスを保てたが、これが通勤時間帯なら人と人との距離は10cmもないほどの近距離となり、心が落ち着かないかもしれない。

走る電車の揺れを久しぶりに感じながら車窓から見る街は、電車に乗っていた時と違うように見えた。なぜか。数年間ずっと変わらなかった広告が変わっている。毎日見えていたお店の看板が消えている。街にある文字が減ったり、変わったりしていたのだ。私が毎日見ていた数年は変わらなかったのに。

たった数か月だけれども街には大きな変化が起こり、街からも日常からも遠ざかっていた私は取り残されたような感覚だった。郷里に帰ったらそこは知らない街だったかのように。地球以外の星から初めて地球に降り立ってしまったかのように。ただ疎外感を感じた。

外食の味

残念ながら本日の日記には写真が1つもありません。日記において写真って大事なのに普通に撮ることを忘れてしまった。

電車に乗って久しぶりの外食、久しぶりの家族以外との食事を行う。端的に言えば、家族以外の人との食事にはやっぱり窮屈さを感じたけれど、数人で話をしたり、笑ったりしながら食べる外食の味は新鮮さも相まって美味しく感じられた。

よく分からないけれどなんだか涙が出そうでもあった。なぜ泣きたくなったのか、感情を理解するために細かく分析をするのは今回は野暮なので書かないが、感動の涙でも、嬉しさの涙でもなんでもない。暑かったら汗をかいてしまう、そんなような自然な涙がじわりとにじんだ。

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17日の東京の感染者数は16人だった。国内でみれば46人おり、まだ気を引き締める必要があると感じる。コロナを終息させるための緊急事態宣言であり、自粛期間だった。自粛自体は人によってはまだまだ続くが、他人と離れ、家族や同居人の数人と過ごす期間は私たちから何を奪い、何を与えたのかとたまに考える。

少なくとも私は忙しすぎた日常から距離を取り、人との距離も取り、麻痺しかけていた自分本来の感覚を取り戻すことができたように感じている。今日の日記は以上。

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