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救世主なんていない。けど…

漫画好きの方は既にご存知かとは思いますが、少年ジャンプの連載漫画「僕のヒーローアカデミア」が最終回を迎えました。

初期はスーパーヒーローを目指す主人公や周りの仲間たちの奮闘記みたいな爽やかで熱い展開でしたが、次第に

「ヒーロー(善)とは何か」

「ヴィラン(悪)とは何か」

「双方の何が違うのか」

といった、なんとなく存在論的な話も出てきたりして、なかなか重層的で面白く読ませてもらっていました。

そんな物語の中でこの現実社会にも通じる印象的なエピソードがあったのでちょっとシェアさせてもらおうと思います。

(以下に少しネタバレありますのでご注意を)
  
  
  
敵の勢力が強まり、ヒーロー達は苦戦を強いられていました。

そんなヒーロー達を市民は強く責めます。

「お前達が負けたからこんな風になった」

  
  
  
ヒーローたちは文字通り平和のために心血を注いでいる。

しかし結果がついてきていない。

不安、不信、不満で心がいっぱいになる市民たち。

そんなとき、市民のひとりが言うのです。
  
  
  
「俺は"客"で、ヒーローたちは舞台の上の"演者"だった」

「だが舞台は取っ払われちまった」

「俺たちいつまで客でいるつもりだ?」
  
  
  
かつてユダヤ教の世界では「救世主」を求める風潮が強くありました。

しかしそんな中、バール・シェム・トヴという人物がこう説きます。

「救世主による救いを待つのではなく、私たち一人ひとりが各人の置かれた場所で、各人の行為を聖なるものに変えていくことで、世界に救いがもたらされる」
  
  
  
これを個人的に言い換えると

「救世主を待つのではなく、自らが救世主になるべきだ」

「誰かに救けられるのを待つのではなく、今のあなたのできることで誰かを救けよ」

ということになります。
  

  
  
「僕のヒーローアカデミア」第1話で

「これは僕が最高のヒーローになるまでの物語だ」

という表現がありますが、これに実は324話で

「そしてみんなが最高のヒーローになるまでの物語だ」

という表現が追記されています。

これはすなわち

「ヒーロー(能力のある人)も(能力のない)一般人も関係なく、皆が最高のヒーローになれる」

という堀越先生からのメッセージではないかと思うのです。
  
  
  
色々なことがあると思います。

打ちのめされて、誰かを責めたくなる時もあるかもしれない。

その気持ちは否定しません。

でも、もし可能ならば、そこで踏ん張ってほしい。

誰かを責めたくなったら、違う誰かを笑顔にできるような何かを考えてみてほしい。

他人でなくてもいい。
自分に対してでもいいんです。

嫌なことがあっても頑張っている、そんな自分を励ますとか。

(自分自身を含めた)誰かのための救世主

であってほしいのです。
  
 
   
被害者ではなく、加害者でもない。

誰かをほんの少しでも笑顔にできる、心を和ませられる、そんな救世主であってほしいのです。

誰かを少しでも笑顔にできる、心を和ませられる。

そんな存在こそが僕に言わせればある種の「ブランド」になれるし、そういう存在が商売でも、人生全体でも、豊かになれるのです。
  
  
  
打ちのめされた時ほど思い出してほしい。

あなたは救世主です。

あなたはヒーローです。

僕はそう信じています。
  
  
  
堀越先生、10年間お疲れさまでした。

あなたこそ最高のヒーローです。

ありがとうございました。

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