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吐いて捨てるほどあって、それでもなお文字通り腐るほど有り余っている。けれど決して目には見えないものってなーんだ。

※注意。楽しい話ではないので楽しい話が見たい気分の方はブラウザバックを強く推奨します。

こんにちは。にのまえ あきらです。一ヶ月ぶりですね。

もうすぐ小説を書き始めて2年になるので、自分の中の思いを一度形にしてしまおうと思いたち、今回のお話を書くに至りました。

今回は僕自身のお話です。自分が前々から思い続けていて、これからひょんなことから変質してオバケになってしまわないように、時折思い出して自戒するためのものです。それを他の人が読んでも自分を戒せるように書いたものです。ちゃんと書けているかどうかは知らない。

もしもオバケになってしまった時は――――できるなら、自分で自分を終わらせましょうか。

・答えはプライドと劣等感です

プライドとは、どうしてこうも自分を自分たらしめてしまうのか。

劣等感とは、どうしてこうも自分でないものを自分でないものたらしめてしまうのか。

性懲りもなくツイッターのTLを眺めていると、たくさんのつぶやきが流れてくる。その中には「〇〇をやった」等の感想が流れてくる。

「ポケモン楽しい」とか「ディズニー行った」とか「ケーキ美味しい」とか。

そんなものを見ていると、こう思う自分がいる。

「小説を書くためのリサーチですらないだろうに。どうして小説に必要ないことをやってるんだろう」

もちろんこの考えがおかしいことくらいわかっている。

小説を書くには必ずしも小説や本に書いてあることだけでなく、小説以外の部分から吸収したものも大いに活かせる。なんならそういう場合の体験や記憶の方が活かせることが多い。

結局そんなことを思うのはできない自分の嫉妬か何かであろうと、言葉にすることなく抽象的な意識の中で処理をする。

それでも、見るたびにやっぱり思ってしまう。

心のうちですら言葉におこさないけれど、不思議に思う気持ちと呆れのような気持ちが綯い交ぜになって自分の中で舞い上がるのが自覚できる。

この気持ちがおかしいことくらい、わかっている。

自分だって小説に関係しないことなんて山ほどやっているのに、それを棚にあげて周りの人を見てそう思っているのだ。

完全に壊れている。小説に狂っていないのに、小説に壊れている。

そんな自分を自認している自分を、自分はどこへ向かわせるのだろう。どこへ向かってくれるのだろう。

花占いのように毎日「死にたい」、「死にたくない」、を繰り返す日々と命を花弁のようにむしりとり、数えるものがなくなった先で吊るされている閉じた円環によって、浮かばれないまま浮かされて辿り着く天国とやらか。

はたまた前向きに諦めることすらも叶わなくなって、全て投げ出すことすらもできないほどに疲弊して、喪失と後悔の末に連行される地獄とやらか。

などと、こんなことを常日頃から思っているのだけれど、今日ある作家さんのツイートで、漫画『だがしなど』の画像が流れてきた。

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これを見て、僕は今回のnoteを書くことを決めた。

この漫画家さんは「どれほど面白い漫画が描けても、漫画以外の何も成せないのなら漫画家には向いていない」と、そう言われている。

僕はきっと、この漫画家さんと同じだろう。

先ほどの思考など、完全にそれだ。

まんまである。

『小説以外の全てを捨てることができる』――――それは、才能でもなんでもない。

それは、ただ子供の見る夢から脱却できない、同情すらもらえない哀れな人間未満の末路だ。

けれど、それならばどうしたらいいのか。

・誰も教えてくれないから、走ったけど

僕が小説家になりたいと思ったのは、高校二年生の冬、誕生日の三日前だった。

それまでの僕はやりたいことなどなくて、それを探そうともしない人間だった。

そんな時、一冊のライトノベルを読んだ。

面白かった。本当に面白かった。

光だった。目も眩むような光だった。

十数年間生きてきて、自分に何の価値も見出せず「消えてしまいたい」と言いたいけれど、言ったらただ嗤われるような人生しか歩んでこなかった、歩めなかった自分が見た一筋の光だった。

「この作品を作ったのはどんな人なんだろう」と思ってネットで検索をかけた。

一番上に出てきたのは、ツイッターのアカウントだった。

その人のアカウントをフォローすると、オススメのアカウントが出てくる。

出てきたのは、自分が読んだことのある作品の作者ばかりだった。

そこで、僕は光の中で素晴らしい作品を紡ぎ出す人たちを見たのだ。

自分もそうなりたい。

そう思った。思わせてくれた。

誰かが自分に光を見せてくれたように、自分も誰かに光を見せられるようになりたいと、ただそう思った。

誰かが笑ってくれることは嬉しくて、それをやりたいことにできるということはもっと嬉しかったから。

僕は走り始めた。

夢を叶えるためにどうしたらいいか、足りない頭で考えた。今も考え続けている。

そうして考え続け、思いついたことは思いつく限り実行した。今もしている。

実力も行動力も伴わず、不可能だったこともたくさんある。三日坊主なんて次元じゃない。トライアンドエラーなんて言葉じゃ足りないほどに。

それでもなんとか今までも続けられていることだってある。

続けてきた中で、結果に結びついた事だってある。

一度、短編で賞をとった。客観的にみれば本当に小さな賞だ。おまけに大賞が取れたわけでもない。優秀賞のようなもの。

それでも、確かな自信にはなった。

自分の進んでいる道は間違っていないのだと思えた。

ついこの間書いた短編なんて本気で何かしらの賞を受賞できると思っている。

それくらいの傑作は書けたという自負がある。

このまま走り続ければ、もしかしたら近いうちに光に手が届くんじゃないか、そう思える瞬間も訪れるようになった。

だっていうのに、全て否定されてしまった。

そんな気分になった。

夢を叶えるために全力で走ってきたのに。今も走っているのに。

涙が出てくる。何よりもあつくて、何よりも大切な自分の一部が。

・結局、やることは変わらなくて

ふと、夢を目指すに至るまでの無為な人生を思い出す。

あまり自分で自分を貶めてやるなよと自分でも思うけれど、本当に無為な人生だったのだ。褒められることなど微塵もない人生だ。

義務教育期間の9年間中6年間はいじめだの教師との確執だの部員との問題だので周囲に迷惑をかけまくり、学校の関係ない塾でも問題を起こした。

高校は進学校に上がったけれど全く楽しいとも思えなくて、学校をサボっては本屋で立ち読みをした。

やりたいことはなく、できることもなく、それなのにやりたくないことは両手で数えても足りなくて。

「生きてる意味がない」

そんなことを言ってみても、なんのドラマにもなりはしない自分。

教室の真ん中で眩しそうに笑う彼らには、やりたいことはあったのだろうか。

あったんだろう。

そうでなければ、こんな痛みは感じてない。

「でも、やっと自分も見つけたんだ」

いたたまれない苦しみに、ようやく報いることができると思った。

泣きわめいて心のうちを空っぽにすることもできず、ただ「死にたい、消えたい」と言い続ける自分。それでも「このまま死にたくない。消えたくない」と、莫大な劣等感を抱えながら進み続ける自分。

そんな自分を正面から抱きとめて「頑張ったね」って、言えると思ったのに。

初めて自分で自分を愛せると思ったのに。

涙が止まらない。

まともに生きることができなくて、できないからこそ「せめてこれだけは」と全力を尽くしてきたのに。

「だったら、どうすればいい? どうすればよかった!?」

血涙を流して、喘鳴の中でそう叫んで問うてみても、返ってくるのは木霊だろう。

もしくは夢半ばで散っていった先人たちの、死屍累々による同情と後悔の混声大合唱か。

わかっている。

明確な答えなんてないこと。

ただ「間違っている」ということだけが正しいこと。

それでも、今さら歩みは止められない。

止められるような状況ではないし、止めたらそれこそ死んでしまうから。

歩き出すと、涙がまた出てくる。

涙をぬぐいながら歩く中、誰かが口にする言葉が耳に入ってくる。

「小説の市場は年々縮小傾向にある」「縮小速度はさらに加速していくだろう」「オワコン産業」「もはや終熄環境」

そんなこと、わかっている。知っている。

それでも成りたいと思ってしまったんだから、仕方ないだろう。

死の危険を顧みずエベレストに登る登山家を止める奴はいない。

だっていうのに、なぜ自分は否定されるのか。

誰よりも頑張っているなんて言えるわけじゃない。

他の何を犠牲にしても叶えようなんて思ったこともない。

思ってもできる胆力も実力もない。

それでも、眼前に見える光に近づくため努力している。

毎日楽しそうに生きて、片手間で小説を書いてあわよくば受賞しようと、物語に描かれようとしている奴を見るたび、怒りにも似た感情が噴き出そうになるのを必死に押しとどめる。

時たま見かける「なんとなく小説書きたくなったので書いてみたら受賞しましたor書籍化しました」なんて吐かす奴は死ぬほど憎い。

けれど、そういう人を見ても唾吐く行為は絶対にしたくない。

嫉妬に狂い、劣等感を膨らませ、プライドを律しきれずに他人を痛罵するだけのオバケには、絶対になりたくない。

だって、自分がしていることは自分含めた他の誰を見下すためでもなくて、自分で自分を肯定するためだから。

自分が大好きだから、自分がされたくないことをしないように。

自分が大好きだから、自分がされたいことをするように。

それが僕のプライドなのだ。

こんなことを思っている時点で、ダメなのだろう。

こんなことを書いている時点でダメなのだろう。

本当に夢に向かって進んでいる奴はこんな感情を抱くこともなく、仮に抱いたとしても律しきって一文字でも多く筆を進めているはずだ。

そんな奴に比べれば矛盾しきった行為をしていることに苦笑して、けれど「これを書き終えたら小説本文を書かねば」とは思えている自分に安堵して、また笑う。

時は現代。技術的特異点(シンギュラリティ)まであと26年。

これまでの歴史に照らし合わせれば今は世界大戦前と同じ状況だの、人類の寿命は残り60年とホーキングが言ったことが現実になりそうだの、日本の景気回復は見かけだけだの、現実を見てもため息をつきたくなることばかり。

そんな中、自分が今いる場所を見てみる。

進むは終熄市場の商戦地獄、止まるは停滞の無為なる地獄、戻るは否定と絶念によるこれまでの自分の死という状況。

しかも、自分は小説家に向いていない。

新感覚地獄エンターテイメントかと笑いたくなる。

だから。

むしろ笑って進み続ける。

いつか辿り着けたなら、笑って「ここが地獄か」と言ってやりたい。







三年目は夢を叶えられるだろうか。


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