『確率が苦手』

確率が苦手な中学生・高校生は非常に多い。では、なぜそのような事態が起きてしまうのかであるが、すべては、日本教育が計算能力に特化させる仕組みであることが原因である。

「計算はできるけど文章問題ができない」の大半は、算数と数学の違いを理解していない場合がほとんどだ。ここでは本質的な違いについては割愛させていただくが、結局は、『答えが出ること』に重点を置くのが算数で、『答えが出る理由』に重点を置くのが数学である。

要するに、数学とは、正解することではなく正解であると顕示することに本質がある。数学教員時代に用いていた表現だと、『算数は警察・数学は探偵』である。

探偵とは推理そのものを楽しみ、犯人を特定し、あまつさえ、その動機や方法をすべて白日の下にさらす好事家である。だからこそ、細かいところ一つ一つに注意を払い、ありとあらゆるものをヒントだと思い込んで、自らの推理を組み立てていく。

対して警察は、犯人を捕らえることに特化し、答えが出ればそれ以上のことは求めない。ただし、迅速かつより正確な対応が求められる。

要するに、数学は楽しまなければ数学ではなく、とにかく、自らストーリー仕立てにして考え方をまとめなくてはいけないのだ。

確率はというと、そのストーリー性の塊である。問題文の端々にそのヒントが書かれており、例えば、それがミスリードになることもあれば、それがなければ正しい解答が得られない場合もある。

確率が苦手であることは、ミステリ小説が苦手であることと同義であり、ただ単に、数学の問題として味わい、楽しむ機会を得られていないに過ぎない。

この文章を読んだきっかけが、確率が得意になりたいという動機だった場合は申し訳ない。一文読んだだけで確率は得意にならない。一方で、苦手に感じているのは、単に、小説のジャンルの好き嫌いくらいの意味でしかないことを理解していただき、まずは、楽しむことを心がけてみるのがよいと提案する。

具体的な問題の解き方を解説しますので、わからない問題があればコメントからどうぞ。

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