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『ソニックフロンティア』日本語脚本メタ読解 岸本Dに感じる"ポストエヴァ・あの頃のオタク文化"ノスタルジー~世界の中心で"I'M HERE"を叫んだケモノ~

※多くのネタバレを含みます。ソニックシリーズのファンよりは「エヴァ」とか「謎本」とかそういうワードにピンとくるオタク向けです。

・まえがき、何この文章


ソニックフロンティア、難易度ハードでクリアしました。割とサブイベント飛ばし気味でクリアしてプレイ時間は20時間弱。

ゲームやシナリオのちゃんとした評価はまた別で書きますが、確実に値段以上の価値はあるし人にオススメできるゲーム(といっても多くのソニックファンと違って最近のゲームもクソゲーばかりだったとは思っていないので、あてにならないかもしれませんが)

そんなことより、元々ソニックにあまり興味がない、もしくはもう「今からはついていけない」と思っているオールドタイプのオタクに少しこの作品の話を聞いて欲しいと思って筆を執りました。


「すべて修正しています」

本作のシナリオは英語版をアメコミ版ソニックのライターが書き、日本版はディレクターの岸本守央氏が「日本・アジア向けに行間や裏を読んだりすることを楽しめるように書き直した」と発売前インタビューから語られていました。
実を言うとこれを読んだ時点で個人的にひょっとして…?と思っていたのが、発売後にやっぱりだこれ!ってなったんですよ。

・正直言ってその評判は芳しいものではありません。

インディーズゲームが低予算で無理やり日本語対応したような不自然な台詞回し、レギュラーキャラクター達の口調の不安定さ、英語に合わせて作られているモーションや表情、会話の間とそれらがかみ合っておらずチグハグなムービーカット等…
そして岸本氏の言葉通り、その会話の『内容』までもが大幅に変更されており、同じシーンでも全く違うことをしゃべっていたり、明かされる事実やキャラクターの抱く感情が別物となっていたり…前者の問題と合わせ、両者を比較するようなオタクからは『英語版の方がいい』『ストーリーの評価は英語版を読んでからにしてくれ』というような声が大きくなっています。

さて、それでは日本語版脚本はどういうものになっているのか、岸本氏はこの作品で何をしようとしたのか、したかったのか?というのが本記事の主題です。
はっきり言ってしまえば、この作品は『エヴァ(になろうとしたもの)』です。
岸本氏の魂は社会がオタクがエヴァの物語についてあーでもないこーでもないと言い合っていた時代にあり、この作品でそういう盛り上がりを作ろうとした。
それが答えだと思われます。

この作品、表面的にもメタ的にもあまりに『エヴァ』を中心としたあの頃のオタク文化への憧憬なんです。
そもそも片目隠れ綾波系女キャラがご丁寧に林原めぐみがキャスティングされていたり
トレーラーでエヴァっぽい巨大な敵とソニックのカヲル君握りしめシーンそっくりの構図があったり(海外でも似ていると指摘されていた)
発売前からその匂わせは大いにあった。
ただここまで直接的にやってくるとは思ってなかったですけど。

・『新世紀エヴァンゲリオン』。

1995年に初放映され、それまでにあった主人公観から大きく外れる碇シンジという存在、いわゆる"ロボットアニメ"でありながら敵との戦いよりもキャラクター達の心の葛藤に重きをおいたストーリー等が話題を呼び、阪神大震災や地下鉄サリン事件などで閉塞感が漂っていた当時の日本の鬱屈とした心情ともマッチして社会現象レベルのブームになった作品。日本、あるいは世界においてもオタク文化そのものに多大な影響を及ぼした同作は、「結局何が起こっているのか、何と戦っていたのかほとんど語られない」TV版最終回『世界の中心でアイを叫んだけもの』もその特徴の一つでした。
前衛的な映像とともにシンジがひたすら自分の内面と向き合い、葛藤し、「僕はここに居てもいいんだ!」という結論に辿り着き、皆に笑顔で祝福されて一見のハッピーエンド。
『何者かにならないといけないという思春期の焦燥感』からの『ありのままの自分の肯定』はこれ以降非常に普遍的なテーマとなります。
何も解決しない、何も進展しない、何も明かされない。そんな狂った最終回に憤る視聴者も少なくなかったものの、そこに意味を見出そうとあれやこれやの考察に明け暮れるするオタクがそれ以上に多かった。
それが2021年の『シン・エヴァンゲリオン』まで延々と続いたエヴァ現象の始まりでした。
以降はいわゆる『エヴァっぽい』作品やキャラクターが無数に生まれ、作品ジャンルを指すものとして『セカイ系』という言葉も生まれました。
この言葉は非常に曖昧なものですが、『主人公とヒロインの個人的な問題がひたすら描写され、それがいつの間にかそのまま世界を救ったことになる作品』のような感じが一つの定義であるとされています。

・核心を語らないストーリー

『ソニックアドベンチャー2』等の脚本で知られ、日本ソニックファンからも未だにそのソニック観を神聖視する声の大きい前川氏も、以前こんなことをツイートしています。(https://twitter.com/mizuhano/status/1519647022374334469 )
一定以上の世代のオタクからすると、最近の作品は「それは言わなくてもわかるんじゃないの?」「そこまで明言するのは野暮では?」と感じる部分がどんどん増えている。これを『オタクの読解力の低下』という表現で否定的に見ている人間はクリエイター側・視聴者側共にいくらでもいるので、見かけたことがあると思います。 それに対する是非はこの場では置いておくとして、日本語版ソニックフロンティアは正にそのオタク達が「あの頃の作品ってこうだったよな!」という感じの、前時代的と言ってもいい"秘密主義"な作品でした。

本作のストーリーは、何もわからないミステリアスな島に投げ出されたソニックが、どこからか聞こえてくる天の声に導かれ、古代文明の謎の技術に触れながら、その技術によって"電脳空間"に囚われている仲間たちを救出する…というのが大筋です。
そしてその中で古代文明とはそもそもなんなのか、なぜ滅びたのか、なぜ天の声はソニックにそんなことをさせるのか…というのが、主にソニックと他キャラクター達の「なんとなくそれっぽい会話イベント」で匂わされながら進んでいきます。

本作において、ソニックは本当に何も知りません。
自分を導く天の声、半透明になっている仲間、行く先々で自分の邪魔をする謎の少女と、島にひしめく異形達…それらと相対しながら、ソニックはただ必死で走るだけです。
"電脳化"している仲間たちは、古代文明の技術の一部として取り込まれてしまった結果、島に住む謎の生物"ココ"の言葉がわかるようになっていたり、ある程度の情報を得ています。
セージは『全てをわかっている』存在で、持ちうる知識だけではなく超高性能な頭脳による演算の結果としてソニックのやることを『無駄だ』と切り捨て、情報の共有を拒否します。

『主人公が何も知らない』というのは、ゲームにおいて珍しいことではありません。記憶喪失だったり、異世界に飛ばされたり…作中世界について主人公が『知っていく』流れを作るのは、プレイヤーの感情移入と没入感を高めるための王道中の王道手段です。

本作では主にアイテムを集めるごとに仲間(たまにセージ)との会話イベントが発生し、それが一定数進むとその島でのボス戦→次の島へ…という流れの繰り返しで話が進んでいきます。各アイテムの入手手段は複数設置され、会話イベント自体もメインストーリー進行に必要な分と、同じぐらいの数のサブイベントが用意されています。その他にもミニゲームの報酬だったりソニックを一定時間放置することで流れる"独り言"などで情報が補完される形になっています。
つまり「ストーリー進行上必ず見ることになる」シーンの割合が割と少ない。更にその内容の多くが『ソニックと各キャラクターの関係性の描写』に宛がわれており、それを通じて見えてくる『物語の本筋』が非常にぼんやりとしている。

エミーやナックルズ、テイルスはココとの交流や古代人の過去の記憶を覗き見る中で自分の心を見つめ直し、決意と共に新たな人生の出発点に立つ。これが本作の物語におけるもう一つの主軸です。これが描かれたこと自体はシリーズファンからの評価が高い部分。

そしてそれに感化されていくセージの存在。損得勘定に囚われず、予測を超える結果を出し続けるソニックと、それを信じ抜く仲間たち…いずれも彼女にとっては『理解不能』な存在。超高性能AIによるあらゆる前提を考慮した演算の結果は絶対。のはずなのに…この気持ちは、なに?
そんな感じのよくある機械仕掛け美少女との交流譚。『アンドロイドは音速針鼠の夢を見るか?』と言ってもいい。

そしてそのセージがソニックに絆され、二人で古代文明について知っていることを色々と擦り合わせていくのが最後の島。
その島のボスを倒したところで、

ソニック「はじまる…!」
セージ「二つの月が云々かんぬん~」

ここまで直接的な言及がほぼなかった、かつて古代文明を滅ぼしたらしい『アレ』が現れ、セージがたった今倒した巨神に乗り込んでスーパーソニックと共に宇宙へ飛び立ちます。『アレ』の姿は『黒い月』で、その名も"THE END"。文字通り終焉を告げる存在。
セージはその存在をそもそも知っていて、ソニックもいつの間にやら全てを理解している雰囲気。
ラスボス戦中は相手の一方的な語りを聞かされ、ソニックとセージの台詞はなし。その内容はよくある上位存在の『大人しく我に取り込まれれば永遠の安寧を得られるというのになぜ歯向かう愚かな生命め!』というやつ。

そしてトレジャーの名作STG『斑鳩』を彷彿とさせる(というか開発者が関わってるのでは?レベル)戦いは、ラスボスの

「そうか…そうだったのか…宇宙とは…生命とは…!」

となにやら納得した様子のセリフとともに幕を下ろします。

その後はスーパーソニックがトドメの突撃→ソニックごと自爆しようとしているのを察したセージが身代わりになってラスボスと心中→「お父さん…褒めてくれる…?」→ソニックは身体を取り戻した仲間たちと再開してハッピーエンド

巨神戦前でのプレイヤーの認識は、『なんだかやばい敵に襲われた古代人達が星を捨てて逃れてきて、この星で全員の人格を含むその歴史の全てを電脳空間にアップロードしたが、更にそのやばい奴がここまで追ってきたらしい』程度です。
そこから一気にぶっっっっっっっっっとびまくるラスボス戦の流れ。一部レビューで『電波』という表現をされていますが、まぁそれを否定はできない。
本人自身は一応何が起こっているか理解しているらしいものの、何も喋らず自機ですらないソニック。
結局THE ENDとはなんだったのか、なぜ古代人を滅ぼしたのか、いつの間にかこの星自体が標的となっていた?電脳空間とは、天の声とは…
この物語を一周のプレイで普通に理解できるプレイヤーはまず居ないと思われます。
というより、情報を集めきった先の「おそらくこういうことだろう」の先が用意されていないと言っても過言ではない。

更にはただでさえ分かりづらい内容が、終盤は駆け足になっている印象もある…批判的な声が多いのは仕方ないことだと思います。
ただ今作のわかりにくさや答えがないこと自体は意図的なもの…わけのわからん部分に対して「これはこういうことなんじゃないか?」と盛り上がって欲しい…というのが、岸本氏がこの作品でやりたかったことなんだと思われます。
それこそ『エヴァ』のように。

引用した前川氏のツイートのように、岸本氏は最近の作品を「説明過多」だと思っている。
オタクとは、日本アニメとは、もっとこう「俺たちの作品を理解できるか?」という制作陣の挑戦と、裏の裏までそれを読みとかんとする消費者の
「これはこういうことだろう?」「ほう、やるな…」という魂のぶつけ合いだろう!?
お前らなら、これを理解してくれるだろう!?

という、魂の叫び。
本作は、そして多くのインタビューで語っていた「日本では行間や裏を読むことを楽しむ文化がある」という発言の真意は、おそらくこういったものではないか…1オタクは、そう受け取りました。

・セガ製綾波レイ・SAGE


本作でソニックに立ちはだかる謎の少女・セージ。片目隠れ機械喋り林原めぐみ。ここまで露骨な綾波系キャラ、そうそう居ません。
その正体はDr.エッグマンが作り上げた超高性能自立思考型AI(が古代文明の技術で受肉した姿)だというのは物語上割と早めに明かされます。
魂のない彼女は命令に従ってエッグマンの身を守り、指示通りソニックたちの邪魔をしながらも、独自の"演算"に従ってカオスエメラルドを島に集めて滅びに対抗しようとしていた。
エッグマンのことを創造主として慕っていた彼女は、ソニックと仲間たちの交流を見ている内に『愛』という感情を理解し、涙を流し、今際の際にエッグマンを『お父さん』と呼ぶ…
本作のヒロインというか、もうひとりの主人公と言うべきか、ストーリーは明らかに彼女の心情・成長(変化)にスポットが当てられています。
その物語は王道といえば王道…ただそれがいつの間にか"世界をかけた巨大ロボVS巨大な敵の最終決戦"に唐突に繋がる。
そう、ソニックフロンティアはコッテコテの『セカイ系』なんです。令和4年に?

更にED後にはエッグマンが彼女を復元することに成功したシーンが挟まれます。
宇宙に散ったはずの彼女の「お父さん…?」「いい娘じゃ…」は、正にその存在の肯定…『僕はここに居てもいいんだ!』です。令和4年に???
翻れば、エッグマンとセージの関係性…道具として生み出され、父の愛情を求める娘、というモチーフからして、これ以上はできないほどの綾波レイへのオマージュです。
なんなら『あなたは死なないわ。私が守るもの』までこなしていきました。

ラスボス戦で彼女が乗り込む巨神も末端が細いどことなくエヴァっぽいシルエットをしており、体力が減って覚醒する時の演出は神聖さを漂わせる使徒的なもの。
最終兵器はまんまポジトロンライフルです。
その巨神戦で流れる主題歌は『I'M HERE』…これも直接的すぎる『僕はここに居てもいいんだ!』への流れ…世界の中心でけものに叫ばれた『アイ』です。

一部没になったようですが、4つ目の島で起こるイベントではソニックが反対に自己を見失う流れがありました。
仲間たちを救うほど電脳空間のエネルギーがソニックの身体と意識を冒し、自己や記憶が曖昧になっていく…
そこからの"I'M HERE"は、『ここに確かに自分は存在する』というこれ以上ない叫びです。

ソニックと他のいつメン達との交流もそれぞれの自己肯定です。
テイルスなんかは特に直接的な『僕はここに居てもいいんだ!』の物語でした。
いつもならソニックフレンズとして真っ先に出てくる彼がストーリー中盤に持ってこられたのは、この作品自体のメッセージをダイレクトに担う存在だったのもあるかもしれません。

・で、結局


『ソニックフロンティア』は、エヴァを中心としたあの頃のオタク文化への憧憬である…という話をここまで延々としてきました。
また、その煙に巻くようなストーリーは意図的なものであるとも。
ただ、それをオタクが考察まで夢中になって『楽しむ』には、多くのファンが指摘している通り不自然な日本語セリフ等が引っかかってしまう…それは認めざるを得ません。
しかしその精神を受信したオタクはたしかに一人"ここに居る"…ということを示すために、この記事を残しておきます。

ちなみにこの記事ではエヴァにばかり言及していますが、おそらく拾いきれていない同時代の他作品へのオマージュが相当あるのではないか、と筆者は踏んでいます。
例えばラスボスの断末魔「そうか、そうだったのか…」はまんま一部でミーム化した『ゲッターロボ』ですし。

ドワオ


なので本物の"あの頃のオタク"が一人でもこの作品に興味を持ち、その精神を深掘りしてくれる人が現れることを願っています。

第九が聴こえてきそうなシーン

余談ですが、こちらのカットでソニックをカヲル君みたいに握りしめている巨神は全体を見ると非常にサキエルっぽいシルエットです。
更に巨神は全て共通で体力が減って本気モードになると背中から大量の赤い液体に満ちたエントリープラグのようなものが生えてきます。
全員の人格や記憶を電脳空間に保存するという古代人の計画も、まるで人類補完計画です。
掘れば掘るほど出てきそうなオマージュ。


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