不妊治療の向こう側 〜序章〜
40代、夫と愛犬との三人暮らし。12年の不妊治療を経て数年前に卒業。
不妊治療を始めたとき、不妊治療まっただ中のときの自分へ。
不妊治療の向こう側を生きる、今の自分が伝えたいことを綴ります。
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結婚したのは28歳のとき。
企業で朝から晩までフルタイムで働いて、とてもやりがいも感じていた。
ちょうど二つ目の組織に転職したてで、ずっとやりたかった教育に携わる仕事だった。やりがいもあって、知的な刺激も多くて、何より結婚して精神的な安定を得た自分は、やっと仕事に没頭できるその環境が嬉しかった。
夫とは元々の知り合いだった。たまたま街中でばったり再会して、それから一ヶ月も経たないうちにあれよあれよという間につきあうことになり、さらにそこから結婚を決めるまでは一週間もかからなかった。そして、結婚を決めてから三ヶ月後、私はバージンロードを歩いていた。
順調と言えば順調。
とにかく当時を振り返ると、何か大きなものに我々は動かされていたとしか思えない、そんな流れがあった。
結婚生活を始めてからの日々は、それはそれは楽しくて幸せで。
二人だけの生活、自分たちだけの世界、一緒に暮らすことの喜び、共に過ごす時間が多くなったことで知れる相手の新たな一面...。つきあう期間が短かったことも手伝い、まさに蜜月な日々を過ごしていたのが懐かしい。
だから、二人だけの時間を大切にしたい。
もう少しお互いのことを知る期間を持ちたい。
子供は正直まだいいかな。
転職したばかりだし、仕事も充実してるし。
確かに当時の私はそう思っていた。
夫も長年取り組んできた大学卒業というプロジェクトの佳境を迎えていて、毎日早起きしては出社する前に机に向かってせっせと勉学に励んでいた。
そんな彼を見ながら、
その勤勉さ、一生懸命さ、やると決めたからにはやり通す姿勢、誠実さ、徹底的に自分を追い込むストイックさにリスペクトを覚え、誇らしく思っていたことも思い出す。
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それから三年後。31歳の頃だった。
彼は無事に大学を卒業。
私は三年働いた組織から次のステージへと自分を向かわせるための転職活動をしていた。
...そしてその転職活動は非常に苦戦した。
自身の能力や資質がマッチしなかったということ、業界を絞って転職活動をしていたことも多分に理由としてあると思う。一方で実は「30歳を過ぎた既婚の女性、子供なし」が響いたのではないかと密かに思っている。
それは決して口には出せないけれど、採用担当者が一番聞きたいこと。
もし私が採用担当者であったら、当然同じことを質問したいと思ったこと。
「今後、出産のご予定はありますか?」
今でこそ多様な働き方が推奨され、育児休暇もとりやすくなり、復職もできることが当たり前になってきているけれど、十数年前は法律的にはそう謳われていたものの実態はグレーな会社が多かったように感じる。
だからか、どこの会社へ行っても履歴書を見ながら遠回しに聞かれるのが、「今後ご自身のキャリアをどうお考えですか?」という質問。
本当はズバリを聞きたいだろうに聞けないもどかしさを採用される側の私も感じる。だからその質問がくると毎回「時期をみながら出産は考えています。しかしまずは仕事に慣れ、御社に貢献できるような人材になることを優先します。」と答えていた。
それは嘘ではなかったし、本当の気持ちだった。
でもどこかで、できちゃったらできちゃっただよな、そのときはそのときだ、という気持ちがあったことは正直否めない。
そしてその前提には、子供は作ろうと思ったらすぐにできる、
という思いが自分の中にはあった。
今思えば、そんな自分の未熟さよ。
何にもわかっていなかった無知さよ。
命を授かることの尊さに対する驕りよ。
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実はその年、そろそろ子供をつくろうという地点にようやく立った私たちはずっと避妊してきたのを解禁していた。子供のいる生活は、まだまだ実際には想像できなかったけれど、いわゆる "幸せな家族" を想像したとき、そこには子供の姿があった。
ただそれだけだった。
何も多くを望んだつもりはなかった。
なのに...
ねー、うし、とら、うー、たつ、みー、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、いー...
まさか干支が一周する期間ずっと「不妊治療」という「沼」にハマることになろうとは当時の私は知る由もない。
(つづく)
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