不妊治療の向こう側 〜悪魔な質問〜
40代、夫と愛犬との三人暮らし。12年の不妊治療を経て数年前に卒業。
不妊治療を始めたとき、不妊治療まっただ中のときの自分へ。
不妊治療の向こう側を生きる、今の自分が伝えたいことを綴ります。
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不妊治療中、何が一番堪えるかと言うと...
周りから投げかけられる、これらの悪意のない何気ない質問。
「子供は作らないの?」
「お子さんは?」
今でこそもう聞かれなくなったし、聞かれても胸をざわつかせることなく、こう答えられるようになった。
「子供はいないんです」
「子供はできなかったんです」
でも、不妊治療中の自分には刃物で胸をえぐられるくらい毎回つらかったことを思い出す。この質問をされるたびに、自分がいかに女性として不十分か、当たり前のことができていないか、その不甲斐なさを実感させられた。
その後にやってくるのが、怒り、虚しさ、悲しさ...という痛みの感情。
うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ!
ほっといてくれよ。大きなお世話なんだよ。
子供がいないとダメなわけ?!
私は女性としての役割を果たせないんだ...
なんで私たちには子供ができないんだろう...
(不妊治療も)がんばってるのになぁ...
(両親に対して)孫を見せてあげられなくて申し訳ない
夫との子供を見てみたいけど叶わない望みなのかな...
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なんだろう...
こうしたやりとりの根底には、周り、社会の中に、そして例外なく自分の中にも「無自覚な前提」が存在する気がする。
・結婚するのは幸せなことだ
・子供は幸せの象徴である
・孫の顔を見せることが親孝行になる
・家族=親&子供 のことである
・子供を産むこと、親になることでしかわからないことがある
・子供のいる暮らしはかけがえのないものだ
・女性には子供を産む機能が備わっている
・すべての夫婦は子供をほしいと思っている
・子供のいない夫婦はかわいそうだ
・少子化は悪いことだ etc.
あまりにもこうした前提が当たり前のように自分たちの中に存在していて、なかなかこの前提の枠の外に出ることは難しい。最近は世の中でもダイバーシティという言葉が聞かれるようになり、少しずつではあるが、多様な価値観、生き方、働き方、ジェンダー、性的嗜好性、パートナーシップの在り方、etc. があるという認識がされるようになってきた。
それでも、それでもまだなお「無自覚な前提」は少なからず存在する。
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ちなみに、
私が不妊治療中にくらった質問の中で一番胸をえぐられたのがこの質問だ。
「なぜ子どもがほしいの?」(by 既婚者、子供あり)
...ん?
...へっ?
えっと、、、
あなたは、そもそもその質問の答えを持って子供を作ったのですか?
子供を授かることに理由がいるんですか?
その答えに正解はあるんですか?
最初はカーッと頭に血が上り、そのあと頭が真っ白になった。
そして、、、 心がえぐられた。
それは、その理由は後々わかることになるが...
ある意味、本質的な問いだったからだ。
要は私の中に明確な答え(理由)がなかったことに象徴されるように、実は口では「子供がほしい」と言ってはいたものの、心の奥底では「別に子供がいなくても私は幸せ」という気持ちがあったのだ。
そう、私は子供がいてもいなくても「幸せ」、だった。
・ 子供がいてもいなくても、私は私として完結している。
・ 何一つ欠けているものはなくて、
私が私として生きるために必要なものは、すべて兼ね備えている。
・ この人生においては、たまたま「子供のいる人生」ではなかった
というだけのことで、私の人生にはなんの過不足もない。
この結論に至るまでの道のりのなんと長かったことよ。
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自分が納得する人生を送るには、時には遠回りが必要なときもある。
遠回りしたからこそ、体験できることがあるからだ。
それは決して安易な道ではない。
でも私という人生を生きる上では、通らざるを得ない道なのだ。
道半ばのときには決して想像できない「幸せな」未来のために。
(つづく)
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