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【富良野】香りのしおり

執筆日…2023/6/18
この旅行記は、筆者が2022年7月〜2023年10月にかけて日本一周していた際に執筆したものです。

 6月半ばの富良野は、ラベンダー畑を堪能するには少し早いようだった。伸びすぎた芝生のようにも見える畑は、近づいてその一本一本を見てみると、その先端に細長い紫色の蕾をつけている。このラベンダー畑が紫色の絨毯となるのは、おそらく7月に入ってからだろう。それでも、ラベンダー畑の向こうにだだっ広い農地が広がり、その向こうに十勝岳連峰が構えている風景は、北海道の雄大さを代表するような、他では見られない情景だった。

 ファーム富田は、中富良野町にある巨大な農園である。ラベンダーのシーズン前、かつ平日だというのに観光客が押し寄せるほどには、富良野の農園として地位を確立していた。実際のところ、この農園にはラベンダー以外にも心惹かれる見所がある。
 ラベンダー畑の横では、虹のようにカラフルな花畑が農園に色彩を与えていた。縦に細長い花をつけるサルビアは、紫色、赤紫色、白。ふくよかな円形の花をつけるマリーゴールドは、黄色、オレンジ色。造花のような低い花をつけるベゴニアは、赤色、白。それぞれの花は一直線かつ等間隔に植えられることで色彩の層を形成し、本物の虹より幾分か長持ちする虹が完成する。
 虹の奥にはポピーゾーン。ポピーと一口に言っても、種類によって見た目が大きく異なる。オリエンタルポピーの花は豪華で真っ赤。花のサイズに合わせ、花びらの中央にある柱頭も大きく、深い紫色をしている。一方アイスランドポピーの花は比較的小ぶりで、赤、オレンジ、黄、白と花によって色が異なるが、いずれも暖色系の優しい色が入り交じっている。その可憐な花々は眺めているだけで心が癒され、花言葉が「慰め」であることにも頷ける。
 ラベンダーはシーズンではないものの、温室で早咲きのラベンダーにお目にかかることができた。「濃紫早咲」という品種は、小さな星型の花が集まって球形を為している。花の重みで細い茎が撓み、まるでラベンダーが首を傾げているようだった。温室にはブーケにうってつけの真っ赤なゼラニウムが存在感を放っていて、それと比べると、ラベンダーは優しく嫋やかに見えた。

 ファーム富田には花畑だけでなく、カフェやレストラン、ショップも併設されている。中には富良野メロンのコーナーもあって、そのあまりにも瑞々しく煌びやかなオレンジ色の果肉に、私はやられてしまった。一切れだけ買い、花畑の側に設けられたベンチに座ってそのメロンを口に運ぶと、ジューシーな甘味が一気に口の中に広がった。黙々と食べていたら、すぐにメロンは皮だけになってしまって、皮に残った僅かな果肉に齧りつこうかとも思ったが、あまりの貧乏臭さにすんでのところで踏み留まった。
 ショップエリアのいちばん奥には、「香りの舎(いえ)」がある。ショップの前に置かれた消毒用のアルコールを掌に噴霧すると、ラベンダーの豊かな香りが一気に広がった。ショップの中も、香水や石鹸、線香などが放つラベンダーの香りに包まれていて、まさにハーブの女王たる風格が漂っていた。ショップの奥には、「香りのしおり」を作れるコーナーがあり、備えつけの栞を機械に挿入すると、過去に製造された香水を噴霧してくれる。引き抜いた栞を煽ぐと、芳醇なラベンダーの香りがふわりと漂った。

 ラベンダーはもともと、香料となるエッセンシャルオイルを採るために栽培が始まった植物である。刈り取ったラベンダーを蒸留することで、ラベンダーオイルを抽出していた。しかし合成香料が台頭すると、ラベンダーは農作物としての地位を失った。農家の人々は生計を立てるため、ラベンダー畑を潰して別の作物を作るようになった。
 それでもなお、富良野の農地の一角に、ぽつりと残っていた紫色があった。それは富田忠雄氏が作り続けていたラベンダー畑であった。既に香料会社はラベンダーオイルの買い上げを中止しており、ラベンダーは作ったところで赤字になるだけの「金の成らない木」であった。それでも富田氏は、その美しい紫色と優しい香りを、どうしても手放すことができなかった。

 風前の灯となっていたラベンダー畑に、転機が訪れる。ラベンダー畑と十勝岳連峰の風景が、国鉄のカレンダーに掲載され、全国に紹介されたのだ。その風景を一目見たい、と次第に観光客が訪れるようになり、ラベンダー畑は観光農園としての価値を開拓されていく。
 その後、富田氏は独自にラベンダーの蒸留を開始。オリジナルの香水や石鹸を製造するようになり、その後ラベンダーやハーブ一本で生計を立てられるまでに復活した。今ではファーム富田を始め、いくつかの場所でラベンダー畑を観賞できるようになった。富良野にラベンダーが返り咲いたのである。

 ラベンダー畑を取り巻く環境は、あまりにも劇的な変化を遂げてきた。最盛期には約230ha(230万㎡)あった富良野のラベンダー畑は、一時そのほとんどが消滅しているのだ。その後観光農園としての道を見出して復活するも、今度はコロナ禍で打撃を受けることとなった。
 ある意味、富良野はラベンダーに苦しめられてきたとも言い得る。ラベンダーがこれほど美しくなければ、香り高くなければ、ラベンダーが生き延びる道を模索する必要もなかったのに。富良野に観光農園がなければ、この土地で奮闘せざるを得ない人々もここまで多くはなかったのに。
 その全てを振り切って、安定した合理的な生活に踏み入れようとするとき、後ろ髪を引くのは郷愁である。郷愁は色や香り、音、味覚、肌触りとして記憶に刻まれている。人々が田舎を手放して都市に集まれば、不便さは減り、ずっと暮らしやすくなるはずなのに、その合理性に背く理由はそこにある。
 郷愁などという曖昧で厄介な感覚。それは愛情だろうか、はたまた依存だろうか。ふとした瞬間に、ショルダーバッグに入れっぱなしになっていた香りのしおりに目が留まる。そっと鼻を近づけると、澱んだ思考を洗い流すような、あまりにも優しい香りがした。

ファーム富田の歴史はこちら→ 
https://www.farm-tomita.co.jp/sp/history/

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