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【室戸】あの夏の啓示

執筆日…2022/12/7
この旅行記は、筆者が2022年7月〜2023年10月にかけて日本一周していた際に執筆したものです。

 夕日が水平線に吸い込まれていく。空と海との境目が茜色に染まっていく。今日という日のクライマックスが、この高台からはよく見渡せた。
 左側に目をやると、ずんぐりむっくりとした室戸岬灯台が立っている。その手前で、一組のカップルがこのロマンチックな光景に見入っている。室戸岬は恋人の聖地だそうだから、まさに二人にとっては素敵な聖地巡礼ということになる。
 二人きりの空間を邪魔するのは忍びないので、基本的にカップルと居合わせたときは、私はできるだけ早めにその場を去るようにしている。しかし今回ばかりは、二つの理由が私の足を力強く引き留めていた。
 一つ目は、純粋にあまりにも美しい光景だと感じたから。二つ目は、この室戸岬という場所は私にとっても聖地だったから。言うなればここは、「旅人の聖地」でもある。

 7年前、大学3年の夏。無茶苦茶な旅は、東京・日本橋から始まった。
 1年生、2年生と、夏になるたびに私は電車で長旅に出かけた。その2回で日本国内はだいぶ巡ったが、3年生のときはまだあまり踏み入れていない内陸を巡ろうと考えていた。
 そんな話を同じサークルの友人にしたところ、バイクで一緒に巡るのはどうか、という提案を受けた。友人はバイクを2台持っていて、1台貸してくれるというのだ。
 その時点で私は普通自動車免許しか持っていなかったが、これを機に普通自動二輪車免許を取得することにした。旅は7日間、日にちもすでに決まっている状況で、それまでに免許が取得できなければ旅を始められないという状況だったが、なんとか旅を始める予定の前日に免許を取得。そして予定通り二人でバイク旅を始めることになった。我ながらなかなかのバイタリティである。

 旅は刺激の連続だった。これまでの電車旅と異なり、バイク旅は全身に風を浴びながら走るため、自分の力で進んでいる手応えが大きい。それに二人旅になったことで、感想を共有できるようになったことは純粋に嬉しかった。
 こうして私たちは甲州街道(国道20号線。日本橋〜塩尻)を走破。その後長野や岐阜を縦断し、関西を突っ切って神戸までやって来た。ここまで3日間という、なかなか強行スケジュールである。
 神戸からは深夜のフェリーで雑魚寝しながら高松へ向かった。できれば四国一周までしたかったのだが、スケジュール的に断念。その代わりに旅の折り返し地点として設定したのが、室戸岬だった。理由の一つ目は、鉄道が通っていない場所にこそ行ってみたかったから。もう一つは、地図上ではあまりにも鋭角に尖って見える室戸岬が、実際どうなっているのか自分の目で確かめたかったからである。

 高松から室戸に向かう日は、警報レベルの雨に見舞われた。天候の影響をもろに受けるバイクにとっては過酷だったが、ひたすらに海沿いを真っ直ぐ走る国道55号線は、ツーリングにぴったりの道であることは間違いなかった。そしてその直線の果てに、私たちの終着点はあった。
 そこにはダイナミックな巨岩が無造作に聳え立っていた。転がっているのではなく、まるで生き物のように地面から生えているかのようだった。いや、もはや生き物と呼んでもよいのかもしれない。展望台に登ってその全貌を見渡せば、岩は無造作ではなく、むしろ統率されたように鋭角三角形を構成していることがわかる。室戸岬はちゃんと尖っている。
 その日は室戸の高台にあるライダーズハウスに泊まった。夜中に毛虫が出て、友人に殺虫スプレーをかけられたのも、今となっては懐かしい。

 翌日の朝、近くの展望台を訪れると、一人のおじさんに声をかけられた。どこから来たの、みたいなことを聞かれて、「東京です」とおずおずと答えたような気がする。会話の内容は忘れてしまったが、そのおじさんが何者だったかは覚えている。おじさんは本格的な旅人だった。
 おじさんが自分の乗っている軽バンの後ろのドアを開けると、そこには生活空間が広がっていた。電気も使えるし、水も使えるし、とても充実していた。何より雨風凌げることがもの凄く快適そうだと感じた。バイク旅の最中というのも相俟って、その地味な軽バンが小さな牙城に見えた。
 その日の復路も警報レベルの大雨に降られながらも、2台のバイクは高松に辿り着き、フェリーで神戸へと運ばれていった。復路はひたすら国道1号線を走り続け、日本橋に辿り着いたことで、7日間のバイク二人旅は一応完結へと至った。

 今にも真っ赤な太陽が沈もうとしている。
 あの軽バンおじさんの残像は、まるでくちゃくちゃになったメモ用紙のように、頭の隅っこに転がっていたのかもしれない。バイク旅を終えたあと、それを取り立てて思い出すことはなかったけれど、社会人になってごちゃごちゃになった頭の中を、一旦整理しようと手を伸ばしたそのとき、思いがけず指先で触れてしまったのだろうか。
 正直なところ、やっぱり自動車は快適である。雨風凌げるし、エアコンもついている。それでも、かつてこの室戸の地に連れてきてくれたバイクと友人には、改めて感謝の意を伝えたい。私はおじさんという形で、啓示を受けていたかもしれないのだから。

 燃えるような光が消えた。私はしばらくそこから微動だにすることができなかった。ここのところ曇り続きだったのに、今日に限ってはすっきりと晴れたのも合点がいった。7年の時を経て、今あの旅が終わったのだ。軽バンでここに来て、あの日見ることのなかった夕日をこの目で見た。そうすることで、くちゃくちゃになった紙を広げて畳んで、引き出しにしまうことができた気がする。
 視界の端に映る森に、周期的な光の円が現れる。左側に視線を移すと、灯台がちょうど稼働し始めたところだった。この瞬間、この世界を照らす担当は変わった。それは世界が裏面に切り替わったことを意味し、私の軽バン旅が復路に差し掛かったことも示唆しているようだった。

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