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【白浜】甲冑と龕灯

執筆日…2022/11/27
この旅行記は、筆者が2022年7月〜2023年10月にかけて日本一周していた際に執筆したものです。

 2022年11月26日。今日の南紀白浜は曇り時々雨だった。
 ぱっとしない天気の中、私は名勝・三段壁(さんだんべき)に足を運んだ。崖の上からは、入り江を挟んだ向こう側の崖が見える。解説によればこの崖は海蝕崖、つまり波に削られて現在の断崖絶壁となったそうだ。こういう崖を見ると、いつもその迫力に圧倒されると同時に、海が持つ想像以上の力に畏怖を覚える。
 さらにこの海蝕崖は一味違う。というのも、崖の下は海に削られすぎて窪み、海蝕洞となっているのだ。この三段壁洞窟にはエレベーターで降りることができる。もはやナチュラルにセンター・オブ・ジ・アースの世界観である。
 この洞窟は徒歩約15分で一周できるほどの長さを持っている。室町時代から江戸時代にかけて、「安宅船(あたぎぶね)」とも呼ばれた熊野水軍の大型軍船を隠していた場所と伝えられており、洞窟内には甲冑や龕灯(がんどう。正面のみを照らすランプ)を再現して展示していた。洞窟自体も、内部で温泉が湧き出していたり、その成分によって岩壁が赤や緑に染まっていたりと、禍々しい雰囲気を醸し出している場所だった。

 エレベーターで地上に戻ると、右手に遊歩道が伸びている。入り江の手前側から見ていた絶壁の上に行けるのだろうか。せっかくなら、と思って遊歩道に踏み入れると、テープで録音したような声が自動的に流れてくる。どうやら「夜間は危ないので立ち入らないでください」と言っているようだ。今は午前中なので、構わず先へ進む。
 崖の先端の辺りまで行けるかなと思ったが、けっこう手前にチェーンが張り巡らされており、立入禁止になっていた。少し残念に思いつつ崖の先を眺めていると、横の方でおじさんがチェーンを越えて景色を眺めているのが見えた。どうやら家族で来ているらしく、チェーンの向こうの父親に、娘が戻ってくるよう窘めていた。「前はチェーンなんてなかったんだよ、もっと先まで行けたんだけどなあ」と言いながら、父親はひょいとチェーンを跨ぎ越えて戻ってくる。周りにも観光客がいて、チェーンを見ながら「こんなのあったっけ?」と不満げに言っている人を何人か見かけた。
 ぱらぱらと雨が落ちてきて、小雨とは言えない量になってくる。傘を取りに車に戻ろう、と来た道を引き返すと、三段壁の入口に設置された電話ボックスの目の前に、「いのちの電話」というプレートが置かれ、命の尊さについての簡単な文章が書かれていた。
 断崖絶壁、夜間立入禁止の放送、最近設置されたチェーン、いのちの電話のプレート。全て合点がいった。

 9年前から、私は和歌山に対して悔いがあった。
 大学1年生の夏休み、私は青春18きっぷを使い、電車での日本一周を計画した。その際、各都道府県のチェックポイントは道の駅に設定していた。今思えば、電車移動なのだから駅に近い有名な観光地を目的地にしたほうがよかったはずなのだが。人は時として合理性を欠くことがある。
 結果、1時間(下手すると2、3時間)に1本のローカル線を途中下車し、道の駅までの長い道程をてくてく歩いていき、帰ってきて次の電車を待つ、なんてことをしていてだいぶ時間を食ってしまったので、旅程の後半に皺寄せがいくこととなった。紀伊半島をぐるりと回って東海道本線に乗り、東京に戻る予定だったのだが、結局その部分はほとんど電車に乗るだけで、那智も潮岬も白浜も全て通りすがってしまった。

 その後の大学時代でも社会人時代でも、和歌山に行こうと思えば行けたのだとは思う。でも私がしたかったのはピンポイントな旅行ではなく、各地を巡る旅だった。社会人になってからは、案の定さらに自由がきかなくなった。笑ってしまうほどありがちだけれど、あのときの私は「東京の片隅で人生を消耗していくサラリーマン」だったのだと思う。
 たとえありがちでも、やりたいこともやれない世の中で、自分の心の杯を満たす水の中に、ポイズンが少しずつ滴り落ちていく感覚は生々しくそこにあった。その毒が回り切る前に、私はサラリーマンを辞め、杯の水を全て捨てた。
 後先など全く考えていなかったが、車で改めて日本一周したいという意志は明確だったので、その準備は働いている間にも精力的に進めていた。そして会社を離れたあと、僅か3日ほどで満を持して本州最北端・大間崎から旅を始めた。それから5か月、東北・関東・東海を巡ったのち、ついにあの日踏めなかった和歌山の地を踏み、本州最南端・潮岬にも到達したのである。
 あのときからの悔いは、雲散霧消していた。

 自分の中のちっぽけな雲が消えても、世の中に溢れている途轍もなく巨大な暗雲が流れ込んでくる。きっと今日からそう遠くない日、あの断崖絶壁から身を投げた誰かがいる。
 じゃあどうしたらそれを止められただろう。放送か、チェーンか、いのちの電話か。やらないよりはやったほうがいいのかもしれない。でもその対策は根本的ではない。
 自分で自分の命を絶つという「選択肢」は、持っておいても良いのではないかと私は考えている。ただしそれは、自殺の推奨とはむしろ真逆の思考であることをはっきり言わなければならない。
 いざこの世を去ろうと決意するとき、それまでの自分を保つ必要はなくなる。人間関係や責務を手放したとき、人は何を見るだろう。そこには決死の虚無が、空っぽになった心の杯がある。それを見て初めて、そこに新たな水を注ぐのか否かを考えてもいいだろう。逆に言えば、その決意まで否定されてしまったら、人は生き直すことすら許されなくなってしまう。
 本当に止めなければならないのは、自殺者数の増加ではなく、死にたいと思いながら生き続けることだ。自分にとって毒になっている環境から、死に物狂いで離れる。それによって離れられた側がどうなろうと、どう思おうと、昨日と全く同じスピードで地球は回り続ける。

 それでも今の環境から抜け出すのは難しい、という人もいるだろう。そうすると経済的に困窮してしまう、という場合、例えば似た境遇の人が集まるコミュニティを作り、営利的な活動ができるようなシステムは作れないだろうか(もしくは私が無知なだけで、そういった活動は既にされているのだろうか)。
 もし問題が経済面でなく精神面であれば、一度物理的な欲求を満たすことは試す価値があると思う。好きなものを食べ、好きなだけ眠り、内側から体を温める。温泉に浸かるのもいい。思考の糸を解きほぐし、気が向いたらまた紡ぎ直してみる。一糸纏わぬ姿で巡らせる思考は、思ったより突拍子もなく、思ったより身軽だ。
 一朝一夕でどうにかなることではないと痛烈にわかっている。ただ、どうにもならないと身動きが取れなくなったとき、目の前には間違いなく選択肢が二つあるということを、私は決して否定しない。その上で、着せられた甲冑と持たせられた龕灯は思った以上に重くとも、自分で着た甲冑と自分で持った龕灯は、信じられないほどに強くて軽いということもまた、私は言いたいのだ。
 2022年11月27日。どうやら明日は晴れるらしい。

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