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伊藤くんA to E 柚木麻子 感想

過去の直木賞の候補作を探っていく中で、気になった作者を見つけたので、試しにこの作品を読んでみた。初出は2013年。またしても、今、読むことで理解が深まるという、先鋭的な小説であった。だから、選評にはまるで納得できないのである。

饒舌な群像青春小説とでも呼ぶべきものに仕あがっている。としても、物語の動きと較べて、人物がかなり平板である。最後は毀れてしまう伊藤君も、積み重なった思いに押し潰されたという感じがし、内側からの爆発という、根源を垣間見せる憤出にはならなかった。(北方謙三)

肝心の伊藤君があまりに現実味を欠いているため、若い男女の群像劇にすらなっていない。女たちの間を行き来する伊藤君の人格崩壊はホラーの趣さえあるが、存在自体がつくりものなので、魅力的な破綻からもほど遠い。(高村薫)

何とも言えないとらえがたさが現代をよく描いていて面白かった。しかし前半の彼をめぐる女の子たちがみんな同じに見える。偶然が多すぎると残念なことが多い。(林真理子)

女の屈辱に関する小説だと思い、興味深く読んだ。だが、最終章の矢崎莉桜の崩壊ぶりがあまりに面白かったので、それまでの章がかすんでしまった感がある。(桐野夏生)

伝わってないなぁ。

新しい世代の作品という意味で候補に上がったのだろうが、文学作品として理解できなかったのは、私がそれくらい古い世代だからであろうか。(浅田次郎)

現代を感じさせ、若さを羨んだ。最終章はとてもおもしろく読めた。(阿刀田高)

あまり興味を惹かなかった様子。

ひとつの章を終えると、次の章は、前章に登場させたある人物を曳きずりながら、ちがう人間関係に接続するという手法は、ややもすると作品内の空間がおなじ明度を保ちつづけるがゆえに、単調さを産む、と気づいた。ストーリーの変化や発展は、その連続する明るさのなかでは、特異性をもたない。陰翳をつくる必要がある。(宮城谷昌光)

小説を書くには何かテーマがなくては、とか考えておられるのではないか。連作であることを意識して、無理に各話に繋がりを持たせようとした形跡もある。まとまりなんて気にせず、もっと直感だけで書いちゃってください。(東野圭吾)

この二氏は、この作品の構造からくる欠陥を指摘しているが、私はそうは思わない。その辺りから感想を書いてみたい。

この小説は5話からなる連作短編の形を取っていて、登場人物は各話を跨って登場する。その中心にいるのはタイトルにある「伊藤くん」なる人物である。

「伊藤くんA」では、伊藤くんに対して片思いをしている女性の視点。「伊藤くんB」では、伊藤くんの方が思いを寄せている、という女性の視点。この、矢印が一方通行の三角関係は破綻し、二人の女性はそれぞれ精神的に自立していく。

その一年後、「伊藤くんC」では、視点人物の女性には、同性の親友がおり、その彼女が伊藤くんに片思いをしている、という設定。その影響で本人も伊藤くんと関係することになる。そして「伊藤くんD」は、「その彼女」当人が視点人物になっている。

この4話が非常に面白い。それぞれの主人公には親しい友人もいて重要な役割を果たしている。そうした人物たちの相関がかろうじて頭の中で把握できるくらいの広がりの中で、それぞれの主人公の感情が緻密に描かれている。

北方氏の「饒舌な群像青春小説とでも呼ぶべきもの」と、高村氏の「若い男女の群像劇にすらなっていない」という、正反対の感想があるように、形容が難しい小説だが、私はこれを「複雑系小説」と名付けたい。

「複雑系小説」は、心理劇であるのだが、その前提となる人物造形を類型に求めず、読者の共感を求めることもせず、登場人物の複雑で理解しにくい人間感情をそのままに描いている。平板だ、現実味に欠く、と感じてしまったら、この小説の面白さは伝わってこない。

人物の造形には類型的な一面もあるし、理解しづらい一面もある。それは現実に生きている人々を観察すればそうなるだろう。どちらか一方の見方に偏らず、公私の間を揺れ動いているのが人間だ。例えば男女の関係性一つ取ってみても、一方は恋愛感情を抱き、もう一方は相手からの好意を自己肯定感のみに利用している、とか、女性同士の親友においても、お互いの気持ちに寄り添い共感を育んでいるかのように見えて、実は相手に対してそれぞれ異なる形のコンプレックスを持っていたり、という心理が描かれている。

この、わかりにくさ、理解のしづらさの要因として特徴的なのは、20代後半から30代前半という登場人物たちの圧倒的な人生経験の少なさである。メディアなどを経由した他人事の情報の洪水に比べて、実人生における主体的な経験が少ないことが、自分に自信が持てないこと、リスクに対して臆病であること、傷つくのが怖いという感情に繋がっている。これは、幼少期の生育環境が社会に対して閉鎖的であるからかもしれない。

初出は今からちょうど10年前。その当時と現在とでは社会の環境も大きく変わった。多様性への理解が進んだこと、経済格差が拡大し、悠長なことは言っていられなくなったこと。伊藤くんはシナリオライターを目指しているが、彼のように、自分に才能があるかどうかわからないモラトリアム期間を長く続けるような人生は、今では現実味が薄いものになっている。

この作品は、その時代においてあらゆる意味での「誘惑」が許されていた宙ぶらりんの空気を鋭利に切り取っている。だからコミカルでドタバタな「伊藤くんE」がわかりやすいオチになるのも纏まりがついてよいのだ。

受賞作に次いで高く評価しました。一見よくある恋愛小説に見えて、実は友情の話であり、〈人はいかにして友と出会い、友を失うのか〉ということを描いたこのしたたかな二重底の作品をものした筆力に感嘆したからです。(宮部みゆき)

この宮部氏の講評は本質を突いている。友情というものは実に奥深い人間関係だ。二重底、という表現も、私が思う複雑系というニュアンスと通じるものがある。

この作者の本をもっと読んでみたい。いつか近い将来に直木賞をとって欲しいと思う。


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