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ブラッドシュガー サッシャ・ロスチャイルド 感想

タイトルと書影からポップなクライムノベルかと思ったら違った。読了してから調べたら“blood sugar”は「血糖」という意味だった。

この小説は、いかにもアメリカの、上昇志向が強い活動的な都市生活者を主人公に置き、個人主義が発達した自己主張型の人物たちが織りなすドラマでありながら、彼らを結びつける人情というものについて考えさせられる。もちろん、ダークでシニカルなヒロインに無条件に没頭するのもありだろう。

主人公、ルビーの一人語りは、ひとつひとつが短めの53の章から成り、文化人の手による良質なエッセイを読んでいるかのような気にさせる。幼少期から現在までの彼女の半生は細部に渡り、緻密で思慮深い洞察を感じるが、同時にそれは自己探求の過程からなる自画像であり、その人となりを強烈に印象付ける。

全編の2/3を費やして描かれた自画像に共感した僕は、彼女の価値観や決断に反感を覚えることはなかった。だから残り1/3の現在パートで翻弄される彼女をはらはらしながら見守っていたのだが。


(以下ネタバレ注意)

クライマックスでは快哉を叫んだ。カウンセラーとして先輩を乗り越えたエピソードとか、仕掛けられた偽の証言と、立役者の弁護士ローマンの振る舞いを見ていても、それまでのルビーの行いは間違いではなかったと思わせる。

そうした贔屓目で見ても、過去の殺人に複雑な思いは残る。一番目は姉を守るため、二番目は自分自身を守るためとして理解はできるが、彼ら二人の犠牲者の邪悪さがかえってこの殺人の正当性を強化することになった。そして三番目。この犠牲者「魔女」はルビーの直接的な脅威ではなかった。彼女は社会悪としてこれを排除した。それが前二件とは大きく違う。

この点について問いを立てるなら、「誰にとっても有害な人間は存在する」「誰しもが誰かしらにとっては大切な存在であるはずだ」どちらが正しいのでしょう?

本作は前者の立場をとる。後半1/3はそんな「敵」との戦いともいえる。その勝負は公平だったか?ルビーの親友で辣腕の弁護士、ローマンの策略は、法律という客観的不変的に見えるルールが、実は人間の営みの上で成り立っていることを示している。情が人の心を動かし、それが目に見える行動になるのだ。

もしこの物語に続きがあるのなら、ルビーがどのように成熟していくのか、興味は尽きない。


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