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何者 朝井リョウ 感想

ディスプレイ画面の文字列を小説に挿入する試みは、パソコン通信の時代からあったように思う。そもそも縦書きの中に押し込めることの違和感もあって、ちょっとした小道具程度の効果だろうな、と感じていた。本作には、そんな先入観を吹き飛ばす、著者の独創的な発明が仕掛けられている。驚いた。

中心的な登場人物は、就職活動中の五人の男女の大学生である。そのうちの一人、二宮拓人の視点で物語は進行する。これに、不在であることで逆に存在感を示す「桐島」的存在の演劇人、烏丸ギンジと、二宮が親しくするサワ先輩が加わった若者の群像ドラマが展開するが、それにしてもみんな竹馬の友のように仲がいい。

同居・同棲・元恋人・友人といった関係の五人がシューカツ仲間という括りで集まるのだが、物語が進むにつれ、各人が抱える腹の内が読者に少しずつ見えてくる。

それは二つの方法で読者に伝えられる。二宮の視点で彼が感じたことは地の文で。それぞれが感じたことはそれぞれのツイッターの「つぶやき」として。

当然、そのツイッターは二宮も見ているから、彼は、自分の観察眼を発揮して、そこからもその人物の本性を読み解こうとする。

そんな行為をサワ先輩が諭すシーンがある(12章)。「短く簡潔に自分を表現しなくちゃいけなくなったんだったら、そこに選ばれなかった言葉のほうが、圧倒的に多いわけだろ」だから140文字で書かれたその向こうにいる人間そのものを想像してあげろよ、と。

ツイッターのことを言っているその先で、暗に就職する側としての不満とも取れるこの説教、正論なだけに、そんな想像ができれば苦労はないんだけどな、とも思う。逆に短い言葉に滲み出るその人らしさもあるだろうし。

で、結局思ったのは、サワ先輩と二宮は仲がいいんだな、ということだ。こういう、余計なお世話なんだけどこの機会に言いたいことがある、みたいなやりとりからは、家族的な親密さを感じる。

このタイプの口論は人物を変えてあと2回でてくる(14章、16章)。クライマックスの口論では、叙述上の仕掛けのネタバラシがあり、思わずページを戻って確認してしまった。これ、地の文で出てきたよな、と。

この小説では、二宮の主観で感じたことが地の文で書かれている。それは読者と二宮の間の「秘密の共有」だったはずだ。小説ってそういうもんでしょ。それがあろうことか、二宮はツイッターの裏垢で、「地の文」を他の登場人物にバラしていたのだ!

びっくりした。小説の垣根が壊れた感触があった。それから、このシーンでの二宮の会話の相手、理香がこのツイートをみた時の衝撃もリアルに想像できた。

この口論での理香のスピーチは、二宮を観察者として糾弾してはいるが、その主張の内実は自己憐憫であり、八つ当たりである。親密な間柄で数年に一回くらい起こるような、感情のぶつけ合いだ。やっぱりこれは仲がいいということなんだろうな、と感じたし、それは最終章の絶妙なオチに繋がって、しみじみとした余韻を残したのだった。

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