見出し画像

乳と卵 川上未映子 感想

138回芥川賞受賞作。まずこの選考会の石原慎太郎氏の選評を晒しておきたい。

私はまったく認めなかった。乳房のメタファとしての意味が伝わってこない。一人勝手な調子に乗ってのお喋りは私には不快でただ聞き苦しい。この作品を評価しなかったということで私が将来慙愧することは恐らくあり得まい。

文字通り受け取ることが難しいほどの、ちょっと考えられない講評だと思った。こんなに明らかなメタファーのどこをどうしたら「意味が伝わらない」といえるのか。

他の選考委員の選評のうち、共感したものを挙げてみる。

仕掛けとたくらみに満ちたよい小説だった。二泊三日の滞在という短い時間内にきっちりとドラマが構築されている。最適な量の大阪弁を交えた饒舌な口語調の文体が巧みで、読む者の頭の中によく響く。樋口一葉へのオマージュが隠してあるあたりもおもしろい。(池澤夏樹)
長い長い地の文は充分にコントロールされていて、ときおり関西弁が挿入されるが、読者のために緻密に「翻訳」されている。(村上龍)
容れ物としての女性の体の中に調合された感情を描いて、滑稽にして哀切。受賞作にと、即決した。(山田詠美)

やはり特徴的なのはこの文体だろう。主人公の主観による地の文は、一文が長くて独特のグルーヴを持ち、文学的な技巧が高度に制御されていると感じた。小賢しさがなく、立板に水の、弁士のような流暢な語り口の中に、読者に緊張を強いるエッジの効いたモノの見方が常にある。

油断できない文章を追い続けていくと、新たな視点に驚かされたり、腑に落ちる共感があったり、ふと笑みを浮かべてしまうユーモアがあったりする。この語り口には本当に魅了された。

中盤の銭湯のシーンもしかり、終盤の、台所で生卵をかち割るという悲喜劇描写もしかり、メタファーに満ちた女性の描き方に、男の僕ですら共感を覚えたくらいである。

緑子の筆談によるコミュニケーションは選択的無口症という現象で、単に親子喧嘩が高じた意地の張り合いというわけではない。その理由は緑子も自覚的であって、読者にも理解しやすいような工夫がされている。川上未映子氏は人間心理において十分な知識と洞察を持つ作家なのだと理解した。


この記事が参加している募集

読書感想文