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体操の村上茉愛さんの声を読んで思うこと

僕はもともとオリンピックには興味がないので、今回も見てません。それでも、ネットニュースに上がってくる戦績やコメントが目に入ってきます。

体操の村上茉愛さんの、SNSにおいて誹謗中傷を受け、傷ついた心情を吐露したインタビュー記事を読みました。例えばラジオ番組に寄せられるリスナーからの悩み相談の類と同様、具体性があって切実でかつ社会性のある内容だと思いました。

と同時に、本人の人となりがわからないのも確かなので、不明なことを織り込んで、相反する二つの感想を持ちました。それは同情・共感と、叱咤・叱責です。

この件に関して、ツイッターに流れてくる批判を目にすると、その語気の荒さや冷たい態度に唖然とすることもあります。もうちょっと掘り下げて考えてもいいんじゃないかな。

僕の共感は、誹謗中傷に対してそれに意を唱える態度です。それは主張すべきだと思います。

叱責は、そんな世の中にこれまで何を期待してたんだ、確固たる自分を持てよ、というものです。泣くんじゃぁないよ。

冷静な議論ができない空気というのは、「日の丸たなびく平和な日本」の幻想が崩れて表面化しました。トランプ前大統領が武器にした、国民の間で対立を煽るというやり方と同じような雰囲気を感じます。

僕自身、東京オリンピックに賛成か反対かといえば、本音としては、その問いには関心がありません。それよりも、堪え難いほど憤っているのは、この大会が、嘘の上に嘘を重ねた末に実行されていることです。

その中で、アスリートの競技、演技、コメントには、少なくとも嘘はないんじゃないかな、とは思っています。

期待されていた選手がいい成績を残せなかったのを見ると、無観客で声援がないことに加え、大会反対の世論の声を感じて、それが試合に影響しているんだろうな、とか。スポーツと社会が切り離せないということを、こういう形で目の当たりにするのも貴重な機会だと思います。