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【長編小説】『薫香の女君』第1話「ある1日の香り」

(あらすじ)
この物語は、あらゆる神獣や鬼が現世にいた平安時代。
令和時代から転生した女性の愛(まな)、
麝香(ムスク)の香り漂う鬼の青黒(しょうこく)、
柑橘(シトラス)を香り放つ龍の王龍(ワンロン)、
薫衣草(ラベンダー)が芳しい一角獣(ユニコーン)の一角(ひとづの)、
 の、穏やかな1妻3夫の物語である。


 令和時代より、この平安時代に目が覚めて、まさか三人も夫ができるとは思わなかった。
 さらに、こんな芳しい香りの生活を過ごすなんて。


 愛は、宮の大邸に出勤し、仕事場の部屋に入った。今朝、夫の一角が支度してくれた筆記道具を取り出す。
濃い紫の風呂敷に包まれた箱の中には、筆、筆置き、硯、墨が綺麗に整えられている。理知的な雰囲気の、夫の様子が目に浮かぶ。何よりも、風呂敷に移った、一角の香り、薫衣草(ラベンダー)の香りが仕事の緊張をほぐしてくれる。

長編の物語の書写しの仕事に入る。
墨をするごとに、炭と膠それからさまざまな香料が入った香りが、鼻をくすぐった。

周りには、自分に似通ったような女性たちが、黙々と時折、声掛けしながら、仕事を続けている。

 昼頃になったのだろう。各々、席を外して、食事や談話をとっている。
愛は、部屋から離れ、庭の縁側で、昼食をとることにした。
 夫の王龍がもたしてくれた弁当を蓋を開ける。柔らかなおむすび。川魚や山菜の天ぷら、黄色の卵焼きなど見るだけで心をくすぐる。口にする度に、思わず微笑みたくなるくらいの幸せな味が広がる。
 口直しの甘味(スィーツ)なのか、黄色のつやつやとした金柑も入っていた。口に入れると、すぐに蜂蜜の味を感じる。噛みしめる度に、金柑の爽やかな酸味と蜂蜜の甘い香りが口内に広がる。強面で巨漢の風貌から細かな心遣いの夫が思い出された。

 弁当で英気を養い、再び仕事の部屋に向かう。青空のど真ん中に上がっていた太陽から、いつの間にか、漆黒の夜空に白い満月に変わるまで仕事が続く。

 ようやく、ある作品の第1章の書き写しが終わった。仕事を終えた女性達は、迎えの仕え人と帰ったり、牛車に乗ったりとさまざまであった。この時代の働く女も、やはり仕事を終えると緊張がとれるのか、たわいもない顔で笑う人も少なからずいる。

愛は一人で荷物を持ち、邸を出る。


「まぁ。」
邸の門を出ると、奇妙な呼び名で声かける夫、青黒がすぐ目の前にいた。
否、声よりも麝香(ムスク)の香りが門を出るまで感じていたので、なんとなく夫の存在は分かっていたのだが。
姿は人間の男だが、頭からのぞく2本の黄色の小さい角が目立つ。粗暴で奇抜な柄の着物、片手に棍棒と腰に刀を携えた姿から、明らかに普通の人間ではないことが分かる。

「今日も、お疲れさん。じゃ、帰ろっか。」
手を差し伸べる青黒は、ニタっと笑う。その口からは白い牙が覗く。
愛はその手を握り、二人寄り添って、邸を後にした。
「毎晩こんなに遅く、まぁも大変じゃのぅ。」
愛を「まぁ」とよぶ鬼の青黒は、歩きながら妻の肩に手を回した。
本当なら、鬼は怖いもの。でも、こんなに優しく、愛嬌のある夫の傍らにいるだけで、愛は心地の良い気分になった。夫からは、ふんわりと、優しくおしろいのような麝香の香りが漂う。
「迎えに来てくれてありがとう。青黒さん。」
「何言っとるんじゃ。当然じゃろ。」
鬼でも、愛しい者にはこんなに嬉しそうな笑顔になるのか、青黒の顔はますます緩んだ。
「それに、わしのことは、黒(くろ)でええ。」

さすがに、夫をそんな風に呼ぶのはすぐに慣れないなと、愛は思いつつも、夫の笑顔に静かに頷いた。

満月がさらに夜空高く昇る中、愛は、青黒と共に、薫り高い花や木、そして二人の夫が待つ住まいに到着した。



第2話 : 







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