雑記19 サッカー、遠藤航選手のプレー、聡明さ

(1600〜1800文字)

2022年のカタールワールドカップの 日本対ドイツ の試合において、後半に遠藤航選手がドイツ選手数人(おそらく4〜5人)相手に次々に対峙しながら、最終的にボールを最後まで渡さなかったシーンは印象に強く残っている。

(一度にまとまって数人が迫って来たのではなく、まず一人目をかわすと、すぐに二人目が迫ってくる。それをかわすとまたすぐ三人目、次いで四人目… という具合である。)

得点に直結するシーンではないが、心の中で振り替える度に、実に見事なプレーだった、という驚嘆の念と、称賛の念を感じる。

バレーボール漫画・アニメの、ハイキューのアニメ・第4シーズンの全国大会2回戦、稲荷崎戦の中で、主人公の日向が初めて意図的に優れたスパイクレシーブを実現するシーンがある。

日向のスパイクレシーブを、見学に来ていた ユース世代の日本代表の指導に当たっていると思われる人物が 「こういうプレーが稀にある。それは、思い出すだけで思い出した者が励まされ、勇気を与えられるプレーだ。」という趣の評価を、心の中の声にて与えている。

遠藤航選手の、ドイツ代表選手 数人相手のボールキープの一連のプレーは、大会から2年近く経過している今でも、そのハイキューの指導者が日向のスパイクレシーブに対して抱いた感想と共通するものを自分に感じさせる。
思い出すと胸を熱くさせるものがある。

その一連のプレーは、最後は、ボールを奪取しようとしたゴレツカ選手とボールの間に、遠藤選手が体をうまく入れて、ゴレツカ選手のファールになる。

それで、日本側のボール保持となるが、その一連のプレーについて、自分の言葉によって描写をしていく、ということを近いうちにしたい。

わずか、15秒程の短い時間におさまるプレー群だが、映像・ビジュアル・視覚的なそうしたプレーを、言葉に翻案していくことは、自分にとって、そのプレーをより複合的に自分の心の中に根付かせていく助けになるように思う。

余談だが、ドイツ戦後の日本代表の各選手のインタビューを見ていて、言語能力の高さに強い印象を受けることが多かった。

中でも遠藤選手のインタビューは、大変なスピードで言葉が繰り出され続けるが、その言葉のどれもが内容を十分に伴っているという印象を受けた。

ファンタジスタというサッカー漫画にて、主人公の所属する高校サッカー部が、全国大会の出場権をかけた試合に向けて、準備をするエピソードがある。
(その対戦相手は、西郷が所属するチームだった。正確なチーム名を今、思い出せない… )

その大事な一戦への準備を総括して、監督である主人公のお姉さん(琴音姉さん)は、「鍛えたのは、(肉体や特異な必殺技ではなく) 頭の中である。」という趣旨のことを語っている。

日本代表選手、とりわけ遠藤選手のインタビューの映像を見て、自分には 「この人たちは実に頭の中を鍛えてきているのだな」と感じた。

「聡明」「intelligent」という印象を強く日本代表の各選手の受け答えに感じた。その点が大きな番狂せとなった、この試合内容と試合結果とはまた別に強い印象として残った。

現代サッカーにおいて、各国の代表クラスの選手に求められている素養、条件というのは、こうしたものも含まれているのかな、ということを 未熟練なサッカー愛好者としては思った。

(一芸を究めれば、意図せずともそれが他の芸にもプラスの影響を及ぼすことが多い、と自分は日頃感じている。選手のインタビューから感じる言語能力の高さは、平たく言えばサッカーIQの高さという言い方ができそうだが、サッカーIQの研鑽によって、サッカーに限らない、多方面への応用の効く聡明さを選手たちは得ているように自分には印象を受ける。)

小林秀雄が当時の野球選手(恐らくプロ野球選手)を評して、趣旨として、
「世間一般で言う学問らしい学問をしているわけではないが、彼らは確かに学問をしている、という印象を自分に与える」
という意味のことを書いているように思うが、それは、このサッカー選手達の受け答えから受ける聡明な印象というものと共通したものがあるように自分には思える。

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