時代を超越する 「伝え方」
終戦から75年。
新型コロナウイルスの話題に紛れ込むようにある投稿が目に飛び込んできた。75年前の今日、広島に原子爆弾が投下されたことに気が付いた。
新型コロナウイルスによる死者数は70万人。
太平洋戦争のそれは5000万人を超えると言われている。
3世代に渡る時の流れは、この想像を絶する世界的な惨事ですら、残酷にその記憶を薄れさせていく。
記憶を生々しく呼び起こす
まずは今日、私が目にした投稿をご覧いただきたい。
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 5, 2020
なんだあの雲?煙?
事故?
誰かが噴火か?と言う
空襲?#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 5, 2020
あれは廣島か?
家、学校、父ちゃん母ちゃん#ひろしまタイムライン #広島#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 5, 2020
汽車が来た。まずは乗る。ともかく、行こう。#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
どこかの家のラジオの声がする
「こちら廣島、こちら廣島、廣島は全滅、救援を乞う…大阪さん、大阪さん、 聞こえたら呼んでください」#ひろしまタイムライン #広島#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
なんだ…何か来る、松並木の向こう#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
顔が崩れている…目も鼻も崩れている
人、じゃない、あんなふうにはならない
人の形をしているが…#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
あかむけ…どす黒い…赤…黒色をした人たち
一様に両腕を突き出して、手から汚いボロ布を垂らしている
皮…なんなんだ、あれ…皮膚か#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
血まみれの人 潰れた家 助けを求める声が、色んな所からする
「助けて」と
父母よ。どうか。どうか無事であってくれ#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
防火用水槽から…無数の足が生えている…びっしり…人が頭から突っ込んでいる#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
比治山の裏には火はきてない。家は無事だろうか
父母は?
今日見てきたあの人達のようになっていたらどうしよう
いや、僕がしっかりしなければ!#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
【1945年8月6日】
— シュン@ひろしまタイムライン (@nhk_1945shun) August 6, 2020
僕の家…半壊している。
父母がいるはずだ。
どうか、どうか無事でいてくれ#ひろしまタイムライン#もし75年前にSNSがあったら
一連のツイートは、NHK広島が今春に始めたTwitter企画「1945ひろしまタイムライン」。
何が起きたか分からない様子。広島に近づくに連れて過酷さを増す惨状。絶望的な状況で家族の安否を憂う気持ち・・当時の様子が一人称で生々しく伝わってくる。
「もし75年前にSNSがあったら」というコンセプトで、NHK広島のスタッフが実在する3人の日記を基に、この日それぞれががつぶやいていそうな内容を再現して投稿を行った。
「その日」を再現する為に、番組スタッフは日記に目を通すだけでなく、様々なフィールドワークを通してインプットを行ったと言う。
本企画の特設サイトには制作の裏舞台をまとめた記事や、放送予定の番組など様々な情報が掲載されている。
「戦争を知らない世代」に如何に歴史を伝えるか?このテーマに斬新に切り込んだNHK広島をただただ称賛したい。
「eva.stories」
2019年、国境を超えたイスラエルでは同様のアプローチが既に行われていた。イスラエルには5月1日・2日に、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の記念日がある。
そのタイミングに合わせて公開されたのが、「eva.stories」だ。
もしホロコーストの時代にインスタグラムがあったなら。ある少女が残した日記をもとに、一つのアカウントがインスタグラム上に登場した。
同アカウントでは、ホロコーストによる日常が再現されている。
ユダヤ人の富豪が私財を投じて当時の服装、家具などを再現し、戦争の記憶を現代に蘇らせる取り組みを行った。
巧みな自分ごと化
この2つの取り組みは「戦争」と言う現代の「非日常」を、巧みに自分ごと化している。なぜ人々はこれらの取り組みに関心を持ったのだろうか?
そこには3つのポイントがある。
①「今」見られているもの
ホロコーストについて書かれた本。手に取るにはそれなりの動機と時間的な覚悟が必要。目まぐるしくコンテンツが消費される現代においては、本当に届けたい情報は時代性に合わせてフィットさせる必要がある。だからこそ人の日常に忍び込めると言うわけだ。昭和のそれは「はだしのゲン」であり、数々の戦争を描いた名作だったのかもしれない。
②ギャップ
人は意外性に惹かれる。SNSに何十年も前の暮らしが出てくることは、カセットテープでNiziUを聴くほどの違和感(=興味)を引き出せる。
③普遍性
出会いと興味を勝ちとった後は、如何に引き込むか。ここに必然性がなければただのイロモノだ。
「広島原爆の日」「ホロコースト記念日」、世界中の人々がこのテーマについて考える必然性がそこにあった。
TikTokに貧困と向き合いながら暮らすティーンの姿が流れてきたら、中高生は社会科に興味を持ってくれるかもしれない。
夏目漱石とLINEでやり取りできたら、国語がもっと楽しくなるかもしれない。
普遍的な価値のあるもの、知られるべきものは、時代をまたいでもその輝きを失わない。むしろ新しい側面を見せてくれるのかもしれない。
時代の狭間に生きる立場として、このダイナミズにはチャレンジしたい。
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