コンカフェ共産主義

ま、それもひとつの境地なのかもな。
今日はそんなお話。


コンカフェ内のルールが厳しくなりつつある昨今である。

ま、当然と言えば当然の流れだが、さもしい思いをしている客も少なからずいるのではないだろうか。
なんて言うか、初めて入る店で禁則事項の箇条書きを説明される度、我々客ってしょうもない生き物だよなって現実を突きつけられる。

自慢でも何でもないが、こんな俺でも10年以上彷徨ってきた中で出禁になった店などは1つもない。
まあトラブルに巻き込まれたことはあるが、当事者であったことはないし、はっきり言って単なる迷惑でしかなかったことばかりだ。
当時のルールでもそれに抵触することはたぶんしてきただろうし、善良な客を気取っていたことは一度としてないが、それでも常識内で収まる行動をしてきたつもりではいる。
ルール違反だとして、それがマナー違反かどうかはまた別の話だよなと、俺はいつも思うのである。


一見さん相手のアミューズメントを提供する場合を省けば、コンカフェはグレーゾーンの商売だと俺は思う。
そうは思わない方々も最近は多いらしいが、接待を伴わない営業形態であれど、人の好意を利用した商売であることは誰も否定はしないだろう。
開き直るまでもなく、客のほとんどはキャストと会話をしたいからコンカフェを目指すわけであり、どんなに取り繕おうともそこに一定以上の好意は生じているのである。
でも、実際コンカフェのサービス形態はマンツーの接待ではないわけで、どんなに好きなキャストと話したくても彼女たちを独占する手段はほとんどない。
が、今やキャストドリンクなど、直接的にキャストの時間を拘束するアイテムが増えている。
これなら常連への13階段を上らなくとも、誰しも戦いようがあるのかもしれない。
だけど、逆にそういうアイテムを行使することで客としての立場はより弱体化したように思う。
昔のように一定層の常連たちがキャストを独占していたコンカフェでは、新入りの自分がどのように常連に取り入って、どのようにキャストとの蜜月の時間を稼ぎ出すかを真剣に検証する必要があったが、今は札束を少しかさ増しすればキャストが目の前に来てくれるのである。
会話を金で買うというシステムも、今やコンカフェでは常識的に通用しているのだ。

ああ。まあ前提としてだが、俺はコンカフェで払うチャージ料というのは、店の空間と時間を頂いている代金としてしか考えていない。
会話をするかしないか、どう楽しむかは各々の客が考え、自分の力で楽しくするものだと思っている。
でなければ、コンカフェの箱推しとかおっしゃる方々や、キャストを眺めることが幸せだとおっしゃる方々がチャージ料を払いながら通い続ける道理に合わない(俺は正直理解できないが)。

このキャストドリンクの料金体系は「コンカフェに来ているのに自分の好きなキャストと喋れない。けしからん」という一部の客側の意見が反映された結果なのかもしれない。
しかし、違った目線で見れば、コンカフェで会話することはオプションだと考える方々が増えたと捉えてもいいのかもしれない。
よりサービス化が進んだともとれる。
とかく、何かにつけてサービスの均等化をはかるテコ入れが始まっている。
キャストと交わす会話の時間や内容、振りまかれる好意、勘違い、行き違い、すれ違い、喧嘩、嫉妬、羨望、妄想、思い上がり……その他様々に入り乱れる架空の世界の中での駆け引きが金で買えるサービスとなっていくのは、俺みたいな老兵からすると面白いことではない。

いや、まあ今や別に金で解決しても全然構わないのだが、それでは個人で努力する事柄があまりにも少なくなってしまうのである。

これも楽しみ方の一つと考えて頂ければそれでいいのだが、コンカフェの中で客が成長する機会があるとすれば、それは「好きなキャストに好かれる努力をする」というその一点に尽きる。
その日その日の与えられた僅かな時間で、どれだけ自分の好きなキャストに好意を持ってもらうことができるのか。
それを夢物語と思いながらもどれだけ真剣に向き合ってきたかで、客として……いや、人としてどれだけ魅力的な人間に成長できるかが決まる。
キャストが話しかけたくなる、または話したいと思う主人というのは、つまりそのままキャストと客の立ち位置が逆転した状態であり、それは主人というキャストなのである。
何のことはない。
究極のところではこの主従は逆転するし、その究極に辿り着くことこそがコンカフェ客の一つの至高である。

グレーゾーンにしておく塩梅が非常に難しいとは思うが、コンカフェはこういうグレーゾーンがあるからこそ独自の路線のまま残っているのではないだろうか。
老兵はそんなことを考えながら今日も眠りにつくのである。

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