人は同じ過ちを繰り返す……

この軟弱者め、さっさと女に振られて泣かされてから出直してこい。
今日はそんなお話。


月並みな話だが、たまに恋愛相談をされる。
男からである。
しかもオタクの男である。
しかも大体歳上である。

勘違いされがちだが、恋愛について言えば俺は真面目な方だと思っている。
本当に好きならやれるだけ頑張りゃいいじゃんと思うし、ちゃんと白黒つけるべきだと思うのである。
白黒つけずダラダラ時間を過ごすことほど無駄なことはない。
結果どうあれ、とりあえずやってみろと思うのである。

ただ、恋愛相談というのは大概は中身のない話だ。
ダラダラ本題から逸れた話が続くわりに本題は薄く、しかも結論は最初から決まっている。
アドバイスをしたところでそれを聞くような人間はほとんどいないし、まあつまみ程度に面白おかしくその話を聞けたのならマシ程度。
下手に茶化して怒らせても泣かれてもめんどくさいし、何だよこの時間と思うことの方が多い。


もっと根本的に考えることがあるんじゃねーの?っていつも思うが、人を好きな気持ちまでも否定するのは、何となく浮かんでくる昔の自分がストップをかける。

ま、人を好きになる気持ちだけは自由でいいと思うんだよな。
それは大事にすべきだ。


ところで、自分が救われたくて恋愛をする、あるいは自分が救いたくて恋愛をする、という人間が思ったより多い世の中である。
共にアカンとまでは思わないが、そんな自分本位なスタンスで進んでいく恋愛ってうまくいくんか?と思ったりする。
まあ、あくまで俺の個人的な感想だけどね。

救われたい人間も、救いたい人間も、双方に言えるのは、自分本位であるが故に相手からのリアクションを常に欲している生き物であるってことだ。
だから相手からのリアクションを引き出すためにとにかく相手をつつきまくり、相手のために「してあげている」状態を作ろうとする。
相手のためとか言いつつ、それってほとんどの場合は自分がしたいだけなんだけどな。
それは一般的には良いことのように思われるかもしれないけど、その目的って結局のところ相手から良く思われたいっていう自分の欲だったりするわけだ。
相手はそんなことを求めてないことも多いし、余計なお世話なことだってある。
だから、この「〜してあげる」って考え方、俺は押し付けがましく思うのである。今はな。

恋愛だけでなく、友人関係についても思うが、言語を介したコミュニケーションというのは人と人との上に成り立つものである。
相手は人で、愛玩動物ではない。
エサを与え、衣服を着せ、おもちゃであやし、しつけをすれば飼い主に忠実に従う「ように見える」ペットではない。
だから「〜してあげたから自分を好いて当然」ということはあり得ないし、むしろ手前勝手な自己満足であることの方が多い。
もちろん、自己満足でも結果的に相手から喜ばれることはあるし、それはそれで享受すればいい。
「〜してあげればしてあげるほど相手は喜んで自分を好きになる」という考え方はおかしいぜって話なのだ。

この辺、俺くらいの世代の普通に恋愛をこなしてきた人間たちはとっくに気付いているし、だからこそフィーリングって大事だよねって話になる。
今のご時世、こうやって俺みたいに偉そうに恋愛観を書き立てる人間なぞ世の中にはたくさんいるだろうが、だとしても同じ失敗を経験する人たちが少なからずいるのは、これはもう経験しないと実感できないものだからだろう。
そういう意味でもちゃんと白黒つけて経験を積むことが大事だと思うのである。

ま、結果的にうまく付き合える人というのは、意識しないうちにお互い距離が近付いていくことが多いわけで。
最初のほんの小さなきっかけがあれば、あとは放っておいてもうまくいくのだ。
だからこういう方法論みたいなのも本当は無駄だし、意味がない。

俺もそうだが、恋愛において弱者の立場にいる人間って闘いに慣れてないくせに闘いを避ける傾向が強く、なおかつ負けに弱い。
そして恋愛で弱者の立場にあることと、自分の価値が低いことを結びつけがちでもある。
恋愛の強者になるには負けようが勝とうが闘いを重ねるしかないし、自分の価値は自分だけが決めるものではない。
特に今なんかいくら可愛かろうとイケメンだろうと恋愛に関してはてんでダメな人間も多いし、幸いにも価値観が多様化してきて、ステータス=価値みたいな時代ではなくなっている。
それでも自分の価値にこだわるなら、自分が納得するまで自分を鍛えればいいし、それはそれで無駄ではない。
別にこれといった武器はなくとも、自分を自分と言える心と相手を想う気持ちがあれば、恋愛なぞいくらでもできるはずだ。

自分の価値っていうと、これは結局のところ自己肯定感っていうか自信なんだろうが、これって単純な話に落ち着くと俺はいつも思う。
一番簡単でいて唯一の解決方法は自分の努力で競争に勝つことで、これを重ねることで自分を肯定する感情が強くなる。
競争を避ければ避けるほど努力の過程にある苦しみや辛さからは解き放たれるが、自分を鍛える機会は失われ、同時に自分を肯定する心も折れていく。
確かに「みんな違ってみんないい」なんてことは現実世界にはないけど、「一部の可とその他の不可」という仕分けの現実世界では、ほとんどの試験や資格は一定基準に達していれば手に入り、競争で一番になる必要もないわけだ。
一番にならなければいけない恋愛よりよっぽど簡単で、安易に手に入ると言っていい。
どちらにしろ恋愛すら闘いなのだから、人と競うことやぶつかることを恐れていては延々と恋愛なぞできやしない。

今まで白黒をはっきりさせてこなかった人間には残酷な話に思われることが多いが、恋愛というのは始まる前に終わっていることも多いし、逆に終わるから別の恋愛が始まるわけだ。
目の前にいる人は確かに今自分が好きな人なのかもしれないが、別にそれが絶対というわけではない。
上手く付き合えたとして相手が思っていた人と違うこともあるだろうし、付き合っていても別の人を好きになるかもしれない。
それは進んでみないとわからないのだ。
だからこそ、今その好きな人に全力をぶつけるべきだし、それでダメなら沢山泣いて時間が経つのを待てば良い。
結局そういうものなんだよな。

まあこんな当たり前のことを延々と書くのもアホらしいんだが、こいつを知らないか忘れている状態で闘いに挑むのは無謀というか無理な話なのである。
だからそういう話を相談というか、まあ半ば無理矢理ふっかけてくる方々にはまずこの話をすることにしている。
もっと具体的に脈がある?ない?とか聞かれることもあるが、そんなものはそれを意識している時点で闘うことは決まっているので、敢えて聞く意味などない話だ。
諦めてくれ。


なんて話を、たぶん今日知人に会ってしていただろう。
予定も流れてしまったし、憂さ晴らしにまとめておいた。
あくまで俺の考えなので、参考程度にして欲しい。

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