第65回短歌研究新人賞 予選通過作『月面日誌』

   月面日誌

                音忘信

 膝蹴りでダンボール箱を潰すとき思い浮かべる人がいますか
 国からの抽選結果を握りしめ男気じゃんけんみたいに笑う
 裕福な家じゃないから月へ行く 防衛大学校のようにね
 飲み会の約束の約束をする 未来のことはわからないから
 運命は紙に扮して現れて僕をスペースシャトルに乗せる
 たとえば面皰 跡にならないようそれは大切そうに切り離される
 国境をほどく猥談 海外で敬語が流行る予感がしてる
 ふわついた低重力の感覚は恋に落ちやすい、という噂
 はじめての京都みたいな感動でコンクリートに着陸をする
 村ひとつプラネタリウムにしたような半球のドアでねじれる何か
 鬼は外、外、外、外ってニュアンスで男はみんな外勤だった
 寂しさは本能的にカラフルで作業着に点在する絵の具
 生きられる場所は少なく廃棄所と呼ばれるクレーターの鉄柵
 宇宙エレベーターにいつか乗る人の知る由もない月面日誌
 杵や臼、兎の化石はあったけどそれほど珍しくもなかった
 コロニーに人が増えたら人が減る 人が増えなくても人が減る
 人口が増えたら困るこの星で禁忌とされている異性愛
 「厳罰」の詳細はよく知らないが厳しい罰だろう 二人減る
 十八歳以下は相撲や柔道を厳しく規制されてしまった
 慣れるほど絶景でなくなる星を眺める丘の足場の悪さ
 荒野には芝生のホログラムがあって僕は元気なような気がした
 「ヘルメットし忘れ」という馴染みのない理由の怪我が多発している
 ナントカ座流星群が(月に)降ることをけらけら報じるテレビ
 帰る用シャトルが見当たらないことを誰も口には出さなかったな
 歯ブラシが朽ちてゆくのは花に似て満開は誰が決めるのだろう
 愛もまた命の方へ進化するアダムとアダムの抱擁を見て
 思い出はぼやけるほどにうつくしく前頭葉を欠けてゆく月
 石鹸の欠片を撫でる消えてゆくものの心を引き継ぐように
 諦めながら口付けをして口内で唾液とともに広がる砂漠
 流星が隕石になる瞬間に帯びる炎をこの目に灯す

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