【エヴァ考察】現実,真実,そして夢
今回は『エヴァ』における「現実」「真実」「夢(虚構)」についてです.旧作のお話になります.
1.実写パート
旧劇の実写パートにおけるシンジたちの台詞を扱います.この解説はあまり見かけないので今回試みた次第となります[末尾註].
では取り上げる台詞を確認しましょう.台詞の話者はそこまで重要でないため略記あるいはそもそも表記しないことにします.
(1)現実と真実の区別
さてこのやりとりを理解する前提として,作品における「現実」と「真実」の意味をおさえる必要があります.参考になるのはTVシリーズ.そこでは「現実」と「真実」の2つが区別されていることに気がつきます.
1)現実
それでは「現実」とは何か.これは現に存在する世界といえます.その人が受け止める対象となる,客観的なものです.
そして台詞の「時間と空間」のある世界というのは,それらが無限の世界を念頭に置いた表現です.時間と空間が無限というのは,時空がその人の思いのままになる仮想世界を意味します.逆に時空が思いのままにならないとは,それが既成事実として存在する世界,すなわちそれらを自分の意思で動かせない我々が通常知っている現実世界ということです.
したがって,それら「時間と,空間と」並列される「他人」についても,ここでは自分の意思でどうにもならないという意味合いが持たされています.これについては後述します.
ちなみに上に続く次の台詞はどう理解すべきでしょうか.
文脈を補足すると,これはTVシリーズ25話「終わる世界」の補完シーンで,シンジが例の暗闇や舞台装置めいた状況に戸惑い,このよくわからない世界を自分が望んだことに狼狽している状況における問答です.
ここでは"シンジが決めている主観的な世界"であるにもかかわらず「現実」といっています.しかし,ここにいう「現実」も先ほど同様の客観的な現実世界です.というのもこれが補完シーンであることを思い出したい.そこでは旧劇サードインパクトと同様,実際に現実世界で全ての魂がリリスの元に1つになった状況なのです.
つまり,インパクトのトリガーとなったシンジが心の融合を望んだ点を捉えて「君が決めた世界」ということです.結局,インパクトの結果生じたあくまで現実世界なのです(主観的なものが客観化された状態,虚構と現実が1つになった状態といえるかもしれません.シンエヴァのアディショナルインパクト類似の状況か).
2)真実
これに対し「真実」とは,その人が認識している事実といえます.専ら主観的なものです.
人それぞれの記憶で構成される主観的なものゆえに,その人の解釈さらには外界の影響で真実が何かは変わります.
これは旧劇の「今の自分が絶対じゃないわ」(ミサト)につながります.
最後に,「夢」ですが,“将来の夢”の方ではなく,その人の主観で構築された世界≒虚構といった意味ですが,おそらく庵野専用ワードなので後でまた触れます.
(2)読解
それでは以上を踏まえて,再び冒頭の台詞を順に見ていきましょう.
1)
2人の対話は基本的にシンジの台詞をレイが説明する構成になっています.先ほどの検討を踏まえれば,このシンジの台詞は,客観的な世界と自分の主観的な世界の区別ができない状態に自身が陥っていることを表しているようです.自分の思い込みに過ぎないことにシンジが気づくことができていないとレイが指摘します.26話ではエヴァに乗らない自分は誰からも相手にされないと自ら勝手に思い込んでいると指摘されていました.
ここにいう「他人の現実」は,他人のいる現実,他人が感じている現実と言い換えることができましょう.
2)
では次の台詞です.
ここで「夢」について検討します.庵野氏独自用語だと思いますが,「夢」とは主観で構築された世界かつ他者がいない世界です(cf. 他人が既成事実として存在するのは現実世界).台詞では人と適切にコミュニケーションが取れないシンジにとって,他人の存在が幸せの障害となっています.だから他人のいない自分だけの夢,想像の世界を造り上げました.
そして他人がいない世界では自分もいないというのはTVシリーズを踏まえています.
3)
続いての台詞です.
ここは「それは夢じゃない」が分かりにくいです.まず最初の台詞「都合のいい,作り事」とは「虚構」であり「夢」を指しています.先ほどと同じで「夢」とは自分の思い込みで構築する世界なので他人がいない世界です.
もっとも,シンジは本当に誰もいない自分独りだけの世界を望んだわけではなく,“自分に都合のいい人で構成された世界に浸りたかった“.このことをレイは指摘しています.そしてそれはもはや夢ですらないと.自分を満たしてくれなかった現実を補完するためのものに過ぎない.だから「現実の復讐/埋め合わせ」なのです.
ここが噂の(自戒を込めた)“オタクによるオタク批判“なのでしょうか.
4)
では最後の台詞になります.
これは夢はある程度現実を土台にして見るものだけれど,現実は夢から覚めなければ見ることができない,ということでしょう.
概ね以上がここでの理解になります.親切な解説ではなかったかもしれませんが,皆さんの参考になれば幸いです.
2.TVシリーズと旧劇場版
さて庵野さんは,TVシリーズと旧劇について,単にきちんと終わらせられなかった前者を完成させたのが後者という捉え方をおそらくしていません.これはシンエヴァでエヴァを三度完成させたと考えていることからも,そこはかとなく感じられます(シンエヴァ・パンフレット2頁).
もっとも,スケジュール的にTVシリーズが満足いかなかったことは事実ですし,少なくとも企画段階で劇場版が確定していたわけでもなさそうなので,後付けから生まれたことだとは思います.
実際,先ほど旧劇の台詞を検討するにあたってTVシリーズの台詞を多く引いたことからも分かる通り,両者でテーマが共通します.というよりTVシリーズ最終2話を見ないと先ほどの実写パートの台詞が理解できない関係にすらあります.
とはいえ両作品はシリーズものと劇場版という形式が異なるだけでなく,内容が異なるのも事実です.具体的には補完計画を拒否するシンジの動機が異なります.
TVシリーズでは,上述現実・真実の捉え方から出発し,シンジは他人から捨てられることを恐れるあまり自分の殻に閉じこもります.実は自分に対するコンプレックスが原因だった彼の苦悩をほぐしていきます.自分を見捨てないことがキーになります(サブタイトルは「take care of yourself」).
旧劇ではTVシリーズの現実・真実論を踏まえた上で,夢(虚構)との関係を詳細に描写しました.具体的には,他人に傷つくことへの恐怖から他人の不在を望み逃げた先が夢(虚構).
それは同時に自分不在の世界でもあり,この自他共に不在の夢は魂の融合として描かれ(キャッチコピー「溶け合う心が,私を壊す」),映像としてはサードインパクトによって全魂がリリスの元に1つになったこととして表現されます(さらに具体的な夢の世界は実写パートとして描かれた).
こうしたサードインパクトの映像面はTVシリーズのやり残し部分で両作品共通の結末のようです.
ですが旧劇のシンジの物語は,TVシリーズのような自己肯定感爆上げイェイではなく,端的に他人を求めていたことに立ち返るお話になっています.
サブタイトルは「I need you.」.そういうわけで旧作の2作は,旧作と新劇場版の違いほど明瞭ではないものの,シンジの内面の動きを書き分けることで別の世界として成立させている,ということのようです.
以上からも旧劇の経緯はTVシリーズの埋め合わせの側面がありつつも,これに乗じて異なる内容にしたため別世界の作品といえるのです.
3.旧作と新劇場版
(1)第3村の役割
最後に新劇について少しだけ.劇中,「イマジナリー」と「リアリティー」というワードが突然登場しました.
もちろん「イマジナリー/リアリティー」と横文字にしたのは,これに「現実と虚構」を充てるのは違うと考えたからでしょう.個人的には庵野用語だった「現実と虚構」を我々の日常用語の意味に戻し,そのかわり「リアリティー/イマジナリー」を旧作の庵野用語に充てたとみえます(ちなみにエヴァンゲリオンイマジナリーの「イマジナリー」については「想像上の架空の」という意味であることはわざわざゲンドウが説明してくれます).
これを実際にカヲルくんの台詞に当てはめてみると,シンジは自分の世界に閉じこもらず,他人がいる世界(第3村)で立ち直っていたとなります.これまでの説明を踏まえた上で本編を見た皆さんであれば理解できるはずです.
それでは劇中の第3村のシンジをチョッチプレイバック.彼はもちろん最初こそ塞いでいましたが,周囲の助けによって復活しました.現実を直視するようアスカに心を抉られながらも,3バカトリオの2人には支えられました.これまでの記事で触れていないことだと例えば…
現実の厳しさは次の台詞で.
次に,世界も人も変わっていくこと.捉え方で世界も変わることは次の台詞で.
これは上述した旧作のテーマの1つでした.劇中14年後の設定が活きて実際に描くことに成功しています.それを体現するのが旧友という点もグッときます.
そして最後に,他の人の生き方についても知ることが出来ました.
ミサトさんは彼女なりのやり方で責任を取ろう,贖罪をしようとしているとケンスケは告げます.もしシンジが自分の殻に閉じこもっていたらこういった他人の人生を知ることもなかったはずです.
他人がいるリアリティーの世界とは,他人に傷つくばかりの世界ではない.
現実に出よう,というのは旧作のテーマでもありましたが,新劇においてようやく台詞に頼る表現でなく,実写という実験的な手法に出るわけでもなく,劇中の物語に落とし込んで表現するに至った,ということになります.
ちなみに,Qの円盤『3.333』の特典,前田監督のイメージボードでは第3村からシンジが去るところで終わっていました.ここから第3村のシーンは本来『Q』に収まる予定だったが『シン・』にずれたことが分かります.そうした経緯はタイトルが『4.0』ではなく『3.0+1.0』であることに表れていますが,これは同時に,第3村の内容が膨らみ過ぎて劇中で特に重要なシーンになったことの表れとも取れます.
(2)安野モヨコ氏の功績
そして,こうした他人との触れ合いで世界が広がっていく描写の背景に妻・安野モヨコさんの存在を指摘できます.すでに破全集掲載の庵野さんのインタビューに,彼女のおかげで生活が変わったことと,そのことへの感謝の言葉が多く見られます.暮らしを通して庵野さんに変化を与えて,それが新劇に結びつくわけですから,新劇における安野モヨコさんの功績は偉大.
という車の話は脱線で,モヨコさんの功績はそれだけではありません.漫画を通して庵野さんに影響を及ぼしている可能性が指摘できます.次の庵野さんの言葉に表れています.
これが第3村に結実したことを看て取ることは容易いのではないでしょうか.旧作のシンジが「現実」,他者がいる世界に還るのは,両方ともファイナルインパクトにおけるやりとりにおいてでした.
新劇ではそうではなく,最終局面以前の第3村という日常場面で描くことにした.緒方さんもラジオ番組(ANNの深夜特番だったか)でシンジの話は第3村で終わっていて,あとは狂言回しみたいだった旨述べていたのはそのためです.カヲル君が「リアリティの中で“既に“立ち直っていたんだね」というのも旧作を念頭に置いた台詞だった.いつもならこれからのシーンで君は補完されるのにという.
おそらく庵野さんの中ではこれまでのように最後の魂融合状態に行ってしまうと,シンジが現実に向かう話はどうしても旧作のような対話,台詞による芝居にしかならなかったので,新劇では第3村に前倒しして日常の中でシンジの補完を描こうとしたのではないでしょうか.
ちなみに「外に出て行動したくなる」描写は第3村の別レイも一役買ったと思われます.彼女のシーンは他人がいる日常の豊かさで溢れていました.
以上,モヨコさんの影響力は計り知れないというお話とその他諸々でした.
今回は以上になります.お読みいただきありがとうございました.
註:台詞を直接扱うものではないですが,数少ない旧劇実写パートの考察として次のものが挙げられます.実写である意味をアニメと現実の対比で理解します.我々からすればアニメ=虚構,ですがアニメの登場人物からすればアニメ=現実/実写=虚構である.これが実写パートの世界観のようです.
画像:©khara/Project Eva.
※追記(2022/10/16)
「3.旧作と新劇場版」に内容追加.
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