見出し画像

表現の難しさ(性別役割分担意識の反映?)

前回の下記投稿に記載した一文について、考えたことを共有します。

上記投稿の中で、気になった箇所:

「おそらくたった2か月前までは、お母さん・お父さんに手を引かれて
 幼稚園に通っていただろうに、(以下省略)」

太字はこの記事用に太字にしています。

上記一文、最初は、以下のとおり記載していました。

「おそらくたった2か月前までは、お母さんに手を引かれて
 幼稚園に通っていただろうに、(以下省略)」

当初、何気なく「お母さんに」と記載したのですが(これは、私自身が母に送り迎えをしてもらっていたという経験によるところも大きいです)、これって、
・幼稚園の送り迎えは母親がするもの、という固定観念の現れ???
・性別による役割の固定化を助長する表現???
・最近は父親も送り迎えしている人もいるよね???
などと考え始め、ひとまず「お母さん・お父さんに」に落ち着いた次第です。

いろいろ考え始めると、たとえば
・いやいや、そもそも「お母さん・お父さん」がいない子もいる。
・性自認は自由であるから、男女を特定するような表現は控えるべき、
 と考える人がいるかも???
というように、様々な状況が考えられます。

以上を踏まえた上で、どのように表現するか?が問われるわけですが...

様々なケースを想定して、例えば以下のように書くことも可能です。
・「お母さんやお父さん、保護者に手を引かれて幼稚園に...」
・「保護者に手を引かれて幼稚園に...」

しかしながら、例えば「保護者」という(「母・父」と比べて)抽象度が高まる言葉を使ったり、いろいろなケースに対する配慮として注釈を入れたりすることで、
・ことばの指すところが直観的にイメージしづらくなる
・言葉の選択によっては「固く」なる
 例)「お母さん」より「保護者」の方が固いイメージ
・冗長になる
・(以上から)「つまらない表現」になる
ことが想定されます。

私の結論としては、「お母さんに手を引かれて幼稚園に...」が直ちに、配慮の欠けるNG表現だとは思っていません。
何故そう思うか?の説明を考えたのですが、「表現の自由がある中で、許容範囲だと思う」という、ふわっとした、説得力の無い説明しか思い浮かびませんでした。(説明になってない💦)

これも、ちきりんさんがおっしゃる「正解のない問題」の一つであるように思います。
不快に思う人もいれば、全く気に留めない人もいて、受け止め方はそれぞれであり、どちらかが一概に誤っているものではありません。

所詮、私のnoteであれば、私の表現が気に入らない方は読まなければよいだけ、で済みますが、より多くの人の目に触れるもの(公共性のあるもの)になってくると、時に「正解のない問題」に対して、賛否両論の大論争が巻き起こって、大変だな...と思います。

個人的には、ある程度ユーモアや曖昧さ(厳密に説明されないこと)も許容される社会であって欲しいと思いますが、ユーモアをユーモアとして受け取ってもらえなかったり、説明されていない=否定、と取られる場合もあり、永遠に合意形成されないケースも多々あると感じます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?