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「僕の好きなおじさん」挿絵:絲井ふゆ/#ウミネコ文庫応募・童話
「よう、やってるか。なんだ、また顔が引きつってるじゃねえか」
いつのころからだったろうか。
毎年この日になると、おじさんがやってくる。
やり残しの宿題、というより、ほとんど初見のプリントの山を片付けようと必死でアワアワしている夏休みの最終日。
心臓ドキドキ、冷や汗タラタラ、という焦り度マックスの午前中から僕の部屋にフラリと現れて、パタパタとウチワを扇ぎながら軽口を叩き始めるのだ。
「まいどまいど同じことを繰り返して、よく飽きねえよなー。あ、いうまでもないが、例のごとく、俺は手伝わんからな」
「最初から期待してないよ。きょうび、中学生の宿題は難しいんだ。ふだん頭をあんまり使ってない人には無理だと思うよ」
僕は現在、中2の14歳。
小学3年の夏にはすでに面倒くさい人だなあと思っていた記憶があるから、その前くらいからこの人は姿を見せていたのだろう。
「あれだ、宿題なんてやらなくたって死にゃあしねえんだ。どうしても、ってんなら何かしら文字を書いて埋めときゃいいんだよ」
「そうはいかないよ。内申にだって関係あるんだから」
「お前は何かといえば内申、内申って。おじさんなんかな、中学の通知表なんて1、2、3、1、2、3のバレエのレッスンだぞ。アン・ドゥー・トロワ。それでも立派なオトナだ」
「そのギャグも聞き飽きたよ。だいたい立派なオトナでもないと思うなあ」
おじさんのことを少し書いておこう。
おじさんはお酒が好きで酔うと大声で歌いだし、周りに迷惑をかける。競馬やパチンコが好きで、お金はあまり持ってない。女性には惚れやすいが、話しかけるのは苦手。小心者で、あがり症。モテる要素は全然ないけど、正直で優しい。本当に許せないことに出くわした時は一生懸命怒る(と思う)。
そう、こうしてヒトの宿題を邪魔しにくるという嫌味なクセさえなければ、まあ、愛すべき人といってもよいのだろう。
だが、これ以上おじさんにかまっている時間はない。
僕は数学のプリントに手を付けはじめる。
こんなことを言うとなんだが、本気の本気でやれば、そこそこの割合で回答欄にそれらしい答えを入れ込むことはできるはずだ。
まずは明日提出の教科から着手。具体的には英語と数学だ。
数学は機械的に手を動かすだけで、解答欄が埋まっていくから気が楽だ。
英語は単語が変わるだけで基本形の繰り返し。で、あさって以降に提出の……
「社会と理科は、あした学校から帰ってきてから何とかする、ってか!?」
「それ、やめてよね。ヒトの心の中を読むヤツ!」
「ふふん。あれか、こうなるのがわかってて毎年繰り返すってことは、お前『ドM』だな」
「『先生たちの思うツボ』というのがキライなだけだよ」
「そういうのをなあ、『イケ好かないガキ』っていうんだよ」
気がつくとおじさんはどこから持ってきたのか、あずき味のアイスバーをカリカリと歯で削っている。相当硬そうだ。
「あた、かてぇ。唇かんじゃったよ。お前はいろいろおじさんにアタリが強いけどな、多感な少年時代を乗り越えて、オトナになっただけでも立派な……あっ!」
床に座っていたおじさんが、声を上げて立ち上がる。どうやら、アイスのカケラをブルーのアロハシャツに落としてしまったようだ。あわててティッシュでぬぐっているが、あの染みは落ちないぞ。
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「っ、なんだよ。しょうがねえな。……おまえ、なんだ、あれは、イジメとかは大丈夫なのか?」
「……まあなんとか。あたらずさわらず、息を止めてやり過ごしてるよ」
「だいたい学校なんてな、嫌なら行かなくっていいんだ。おじさんは学生時代、友達なんてひとりもいない。それでも本と映画が好きだったからな。全然寂しくなかった」
「いまも?」
「社会に出りゃ、表面上の付き合いはあるさ。でも人間なんて所詮はひとり。そう覚悟すりゃ怖いもんはないな」
無心に手を動かしながら、思う。
僕はどんな大人になるのだろうか。
第1志望の高校に入って、勉強。自宅のある地域の国立大学に入って、企業に就職。
働いて給料をもらい、結婚して、家族を養う。
そんなことが、僕にできるのだろうか。毎日、会社に出勤して、仕事をする。仕事ってなんだ?調べ物をしたり、書類を作ったり、お客さんに会って話をしたり。
あれ?それで、どうやってお金をもらうんだっけ?何かを売らなければならないのか?何を売ればいいんだ?
あーもう、わからないことばっかり!世の中はなにがどうなっているんだ!
……そういえば。
「おじさんはさあ、仕事は何をしてるんだっけ?」
「自由業。自由であることが仕事だ。やりたいことをやる。働くために生きるのではなく、生きるために働く」
「ぜんぜん参考にならないなあ。やっぱりダメな大人だ」
「ダメな大人も必要なんだ。お前みたいなカチンコチン野郎のためにはな」
「なんかさあ、これから未来を切り拓いていこうっていう若者に贈る言葉とか、エールとかってないわけ?」
「そこまでいうなら、大事なことを教えてやろう」
「お、はじめて役に立つことを教えてくれるのかー」
そうは言ったものの、僕は宿題に向かい続け、手も動かし続けている。
連立方程式。
この問題は代入した方が早いな。
「シャキジュウジンだ」
「……シャキ?なに?」
「ジュウジン」
「……ジュージン」
僕は鉛筆を握る手を止め、頭の中でシャキジュージンを反芻する。
「捨己従人。己を捨て、人に従う」
「それってさ『自分がない』ってことじゃない?あんまりカッコよくないなあ」
「カッコ悪い自分を受け入れる。それができるまでに、おじさんは長い時間がかかったな」
「……そうなんだ」
「おい、もう昼だ。ひとまず昼飯を食ってこいよ」
「……うん」
昼食を食べ終えて部屋に戻ってくると、おじさんの姿はなかった。邪魔者がいなくなって作業に打ち込めるな、と僕は思いながら机に向かう。
だけど、ふとした隙に部屋の扉に目をやってしまう。おじさん、帰っちゃったのかな。
そんなことが気になって、英語の長文問題が頭に入ってこない。
「ムヨウノヨウ、という言葉もあるな」
「!」
声がして振り向くと、いつのまにか扉の前におじさんが立っていた。
「一見ムダのように見えるものでも、それなりの役割ってのがあるものだ」
「帰るなら帰るでそういってよ、気になるからさ」
「すまんすまん」
おじさんは本棚からマンガの「三国志」を手に取ると床に座った。
「ここでコレ読んでるからさ、気にせず宿題やりなよ」
「うん」
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それからの数時間は、互いに言葉を発さなかった。
僕は英語の宿題の3分の2を終え、おじさんは全30巻のうちの11巻「孔明の出廬」を読み終え、本棚に戻した。
気づけばもう夕方になっていた。そろそろ母が晩ご飯の支度を終え、声をかけてくるころだろうか。
おじさんは2階の僕の部屋の窓から、夕焼け空を眺めながら言った。
「それで、あれだ。あした、学校は行くのか?」
「気が重いけど、行くよ。行けば何とかなると思うんだ。いつも心配してくれてありがとう」
「……そうか。くれぐれも、無理だけはするなよ。世の中を見てみろ。いろんなヤツがいる。お前みたいなたいしてとりえのない、ぼんやりしたヤツだっていていいんだ。あと、キレイごとばっかいってる大人は信じるなよ。じゃあまたな!」
言い終えておじさんはフッ、と消えた。
そう、おじさんは実在していない。
僕が妄想で作り出した人なのかな。
あるいは妖怪、なのかな。宿題を邪魔しに来る妖怪。
もしくは、幽霊?
僕が生まれたばかりのころに、父は事故で死んだと母からは聞いている。
だからといって、おじさんに
「あなたは実は、僕のお父さんなのでは?」
……などと聞くつもりはない。
だって、違ってたらめちゃくちゃ恥ずかしいからね!恥ずかしさのあまり窒息して倒れてしまうかもしれない。
そんなリスクを冒すわけにはいかないよね。
夏休み以外でも冬休みの最終日なんかに現れて、僕を励ましてくれる謎のおじさん。
少なくとも『実在する人間じゃない』ってのはもちろんわかってるんだけど、まあ害はなさそうだし……というか、現れるといつもちょっぴり気が楽になる。
ぼくは将来、おじさんみたいな人になるのもいいな、と思っている。目立つのが苦手な僕だから、勝利も栄光も、名誉も財産も、あんまり手には入れられないかもしれないけれど、「ダメな大人」の生き方ってのをもう少し知ってみたい。
そんなことを考えているうちに、僕がおじさんになってたりしてね。
よかったらみんなも、おじさんを探してみるといい。会いたい、って願えば、今夜か明日の朝くらいに会えるかもしれない。
ああ、母さんが呼ぶ声が聞こえる。……今夜はカレーだってさ。
<終>
この作品はウミネコ文庫「童話」に応募するために、過去の自作に加筆・修正したものです。
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