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私と痔の10年は早く終わらせるべきだった

これは私と痔の記録。一番伝えたいことを先に言っておく。もしかしてこれ痔かな...?と思ったら、それは痔です。

共存 - 違和感と思い込み

私は10年以上もの間、痔と共存してきた。でもその10数年、私はそれを痔だと認めていなかった。「痔」は巷でよく聞くやつで、私には関係のないもの。なぜかずっとそう信じていた。子どもの頃から当たり前に共存していたものが、世間では恥ずかしいもの・笑われるものとして扱われてる「痔」と同じだなんて到底おもえなかったのだ。
私についていたソレ(後にいぼ痔と判明する)は、悪いやつじゃなかった。まあちょっとめんどくさかったり、少しだけ存在感はあったけど、痛くも痒くもなかった。
中学生のとき、バラエティ番組やCMで耳にする痔って、もしかしてこれ....?と思ったことがある。いやいや、でも痛くもないし血も出てないし、違うでしょ!そう思い込んだら、もうそれが自分の中で正解になってしまった。この思い込みが後に私を苦しめることとなるとは知らず_______。

敵対 - 初めての便秘

時を経て、23歳の夏。生まれて初めて便秘になった。よく周りの友達が便秘に悩んでいるという話をしていたが、なんじゃそれと思っていた。まず、そんなに毎日出たか出ないか把握しているものか?昨日も今日も特に意識したことがないぞ?便秘と呼ばれるのは何日目からなのか、定義は何なのか、なぜみんながそれほど悩んでいるのか、何もわからなかった。それほどまでに悩むきっかけがなかったということは、私は23歳まで便秘を経験したことがなかったのだと思う。
気づいたときにはもう便秘4〜5日目だった。え、毎日3食たべてるのに4〜5日....ヤバくない?とさすがに気づいた。
コロナ禍まっ只中の2020年だったので、リモートワーク中トイレには行き放題だった。でも何度トイレに行っても、出したいのに出ない。汗をダラダラ垂らしながら何も成果物が出ない時間を繰り返した。もちろん仕事の成果物もまったく進まない。
実はその頃には、平和に共存していると思っていたソレもかなり肥大化していたのだ。思っていた、ではなく、無理やり思い込んでいたのだ。もう数年前から肥大化は進んでいた。一度どんなもんかと自分で写真を撮ってみたことがある。ドン引きしてショックで受け入れられなくて、iPhoneの非表示フォルダにそっとしまった。
もしかして、コレが便通を邪魔をしている...?恐ろしい疑惑が浮上してきた。ずっと共存してきたと思ってたコイツが急に敵意を出してきたのか?もう半分は分かっていた、確実にコイツが物理的に邪魔をしていることは。お腹が痛すぎる。便秘ってこんなに辛かったんだ、舐めてた、ごめんなさい。その日の夜、友達と電話の約束をしていたけど「ごめん今お腹痛いしか言えないから電話できない」と断りのLINEを入れて、翌日の仕事終わりに行ける肛門科を調べた。ついに向き合うときが来た。

決別 - 大腸カメラと手術

翌日、17時に退勤して肛門科に駆け込むことにした。仕事中もずっとスマホで痔について調べていた。痛みや出血こそないから軽症だと思っていたが、自己診断サイトでポチポチ自覚症状を選んでいくと、いぼ痔にはレベルが4段階あるうちの3段階目であることが分かった。その診断結果には目を疑う文字が添えられていた。『手術』
え...嘘でしょ....いやいや、大袈裟だって!!!他のサイトには、痔は85%以上手術なしで完治するって書いてあったし、ねぇ〜。

「すぐ手術した方がいいですね」

医師が肛門を見ていた時間は1分もなかった。パシャパシャとソレの写真を撮られて、医師の横にあるモニターに並べられていた。え、あのドン引きした写真が、普通に目の前に並べられてるんですけど!?医師も看護師も普通に見てる....なんだろうこれ....。意識が遠のきそうだった。
「えっと、これがXXXで、こうだから〜」
てか待って、手術した方がいいって言ってたよな〜。いまこの先生、言ってたよね〜〜〜???私って15%に入るほど重症の痔だったんだ...。なんでもっと早く....、これってもしかして?と思った段階で認めなかったんだろう。もっと早く来ていれば手術せずに済んだかもしれないのに、うわーーー最悪だーーー。

「便秘の原因も多分これだね〜、ちなみに一日にどれくらいトイレ行ってる?」と医師に聞かれたので、回数は覚えていなかったけどなんとなくどれくらいの頻度で行っていたか計算して「20回、くらいですかねぇ....」と答えた。
医師は「20回!?え、一日にだよ!?」とめちゃくちゃ驚いていた。やっぱりそれほどやばい状態だったんだ。
「問診票、痔の症状はいつからってところ空欄だけど...」と聞かれ、「あぁ正確に覚えていなくて...物心ついた頃からありました」と答えると、これも「物心がついたときから!?!?」と驚かれた。もしかして私って結構、痔界隈のエリートだったりするのかな。

【大腸カメラ】

あまりにもトイレに行く回数がひどい、便秘の状態がひどい、という理由から、念のため大腸ガンがないかも調べようということになった。初めての肛門科から約1ヶ月後に大腸カメラを受けることになった。大腸カメラの前日は、腸を空っぽできれいな状態にするため、モビプレップという大量の下剤を飲む必要がある。デカい2リットル分くらいの容器に下剤をつくって、10〜15分にコップ一杯のペースで飲む。そうすると、トイレに行きたくなるので、トイレに行って便を出して、帰ってきてまた飲む。これを繰り返すと2時間かかる。
うすくてまずいポカリのような味がして、コップ一杯飲み切るのもなかなかキツい。しかも2時間。なんだこのトイレとポカリもどきを往復する時間。便意に支配される時間。精神的にも体力的にもこたえる2時間だった。
大腸カメラの結果は異常なしだった。それは嬉しいことだったが、下剤のつらさが強すぎて、もう大腸カメラは絶対にやりたくないと思った。

【手術・入院】

手術は2泊3日だったので、月曜日だけ仕事を休む必要があった。入院で休むときは通常の有休ではなく通院休暇を申請する必要があった。詳細を確認するのは人事部だが、上司にも許可を取る必要がある。私の上司は推定40代の男性で、チームメンバーも男性しかいなかった。さすがに痔と言うのは恥ずかしすぎる。通院休暇で丸一日休むって...入院か人間ドック以外に何かあるか?何て言おう?とぐるぐるぐるぐる迷った結果、「すみません、ちょっとした手術で月曜日休みます....」と申請した。すると上司には「えっ....あー、うん。了解。お大事に」と少し気まずそうに言われた。いや、これ、絶対プチ整形だと思われてるな!?まぁいいけど...。

手術の日、前日の夜から何も食べていなかったのでフラフラだった。私は低血糖で頭痛になりやすい。手術前からすでに体調が悪すぎて、大丈夫かこれ...と少し不安だった。
その不安は的中した。うろ覚えだが、手術当日も下剤だか浣腸だかで、腸を空っぽにするため最後の追い込みをされる。それをされて、お腹がギュルギュル鳴って、すぐ病室隣のトイレに向かってトイレのドアを閉めた。その瞬間、うっと気持ち悪くなってトイレの床にへたり込んでしまった。トイレには緊急ボタンがあったが、そのへたり込んだ位置からは手をぐっと伸ばしても届かなかった。なんとかほふく前進のごとく這いつくばって緊急ボタンを押すと、私は真っ白な顔をしていたようで、「車椅子ーー!車椅子!!!」と叫ぶ看護師さんの声が遠くの方で響いていた。

なんとか手術準備を終えて、いざ手術。局所麻酔を腰に打った。腰に注射を打つのはもちろん痛くてなかなか辛かったけど、それよりも辛いことがこの先に待っていたので、麻酔の痛さはそこまで覚えていない。
それよりも辛いことは、手術本番のことではない。手術自体は麻酔が効いているので、なんかお尻をちょこちょこいじられてるなーという感覚があるだけだった。おそらくいぼ痔を焼いていた。やっていること自体はめちゃくちゃ怖いけど、そのときは全く辛くなかった。

一番辛かったのは「「「術後」」」だった。術後の12時間は完全安静で、寝返りすら禁止されていた。もちろんトイレには行けないので尿道カテーテルを入れられ、飲み物もストローキャップを付けて飲まないといけなかった。
尿道カテーテルは、たまに抜いて看護師さんが尿をまとめて捨ててくれる工程がある。その抜くときが痛い。ウッッとなる。腕にはずっと点滴、足の間には尿道カテーテル。常に何かが身体についていることはこんなにも不快なのか、と思い知った。

そして何よりもキツかったのが、寝返りを打てないことだった。ずっと同じ姿勢でいることと大部屋の固いベッドは相性が最悪だった。背中と腰がどんどんじわりじわりと痛くなってきた。しんどいしんどいしんどい、どうしよう。看護師さんが来てないうちに寝返り打ってやろうかと思ってチャレンジしてみたけど、失敗した。尿道カテーテルや点滴が身体にひっかかってしまうのだ。え、これ、寝たきりの人ってめちゃくちゃ辛いのでは.....と、そこで初めて実感として知ることになった。
平日に仕事が休みだー♪と浮かれて、病室には本を何冊も持ち込んでいた。たった2泊3日の入院なのに。結局それもまったく読む気になれず、もうこれは寝てしまうしかないなと悟った。それでも腰と背中の激痛でなかなか眠ることができなかった。
手術から12時間後、左右に横向きになることだけ許された。永遠に天井を見つめている体勢が辛すぎたのか、横向きになるとスッと眠りにつけた。

真の地獄はここからだった。
ぐっすり眠って、目を覚ますと夜中の3時だった。腰に違和感があった。う、動かない....。腰が動かない。おそらく寝ている間に、横向きになって自然と腰を折り曲げて、赤ちゃんが寝るときのような体勢になっていた。そしてそのまま、腰が戻らなくなっていた。(!)
戻そうとすると激痛が走って、腰が曲がったおばあちゃーーーん!!!!!こんなに辛かったんですね!?!?と、またもや経験したことのない辛さを身を持って知ることになった。涙が出てきた。まっすぐな体勢に戻ろうとするだけでこんなに痛いなんて。私が何をしたって言うんだ、どんな仕打ちなんだ。うっ、うっ、と大部屋で声を押し殺して泣いて、耐えきれずナースコールを押した。「どうしましたぁ?」と聞かれて「腰が曲がったまま戻らなくて....うぅっ...」と泣きながら答えると、湯たんぽを持ってきてくれた。「これであっためると良くなるよ」と言われた。全く効かなかった。腰が曲がったまま電話スペースまで点滴を押しながら歩いて、彼氏に電話をかけた。さんざん弱音を吐いて、病室に戻って泣きながら霜降り明星のオールナイトニッポン0を聴いた。少しだけ痛みが和らいだ気がしたけど、またぶり返して絶望的な気持ちになった。
これ以上もう迷惑をかけたくないという思いも乗っかって、もっと涙が出てきた。30分粘ってからもう一度ナースコールを押して「ほんとにすみません....まだ全然治らなくて....うぅ..」と伝えると、看護師さんがやってきて注射を打たれた。そのあとすぐに寝た。あの注射なに、怖い。眠らされたという表現が一番あっていると思う。

なんとか無事退院。

実はこれで完全決別とはいかないのが痔の厄介なところである。
帰宅後も、1ヶ月ほどジュクジュクの傷跡と共存しなくてはならない。オムツのようなパンツ(とも言えないガーゼの布みたいなやつ)を履きながら、一日に数回、臀部のガーゼを取り替える生活が続く♪週一の通院もセットだよ♪その話はまた今度♪

でも、完全決別したあとの生活はホント〜に快適でびっくりした。痔かな?と思ってる人はほぼ100パー痔なので、すぐ病院に行こう♪

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