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山の毛糸屋さん

ヨグさんは山の毛糸屋さん。山のてっぺんにあるちいさな家に、7匹の羊と、犬のカイと、猫のカムリと、めんどりのクルリさんと一緒に暮らしているの。

 ヨグさんは子どものころから毛深くて、フサフサした柔らかくて綺麗な毛が、腕や背中や足に生えている。お日さまにかざすと黄金色にひかる茶色い毛。
生まれ育ったのはここからはとても遠い、海の近くの街。ヨグさんはね、孤児院で育ったの。孤児院っていうのは、育てる大人がいない子どもたちが住むところ。

ヨグさんのお母さんは彼女を産んでまもなく死んでしまったんだって。お母さんの編んだあったかい毛糸の産着に包まれて、孤児院に連れてこられたの。ふわふわで柔らかく、空気を含ませて紡いだ細い毛糸で編まれた、かわいいお花のモチーフがたくさん入っている小さな小さな産着。お母さんはきっとヨグさんのことを大事に大事に思っていたんだと思う。その産着を今でもヨグさんは大事に持っているよ。
その孤児院には子どもがたくさんいたよ。
でもヨグさんはひとりでいるのが好きだった。
うまくおはなしできないし、みんなが一度にはなしていると、頭の中がグルグルしてワンワンしてしまうから。

少し大きくなってから家を出て、しばらく旅をして、ようやくたどり着いたのがこの山のちいさな家でした。

 ヨグさんの一日はとても早く始まります。夜明け前には目を覚まして、暖かい紅茶を入れるとひと仕事。
窓辺に置いた紡ぎ車の前に座り、昨日の続きを始めます。

カタカタカタカタ、ヒュンヒュンヒュン。

まだ薄暗い窓の外は、しっとりとした白菫色の靄がかかり、森の音をぼんやりと包んでいます。
大切に育てた羊たちからもらった毛を、手間暇かけてきれいにして、それを山の植物たちからもらった色で染め上げ、やっとこさ紡ぐことができるのです。

ですから、紡ぎ車をカタカタと踏んで、指の先から柔らかな毛糸が紡ぎだされていく様は、とても美しく、染めた色の濃いところや薄いところがまざりあったりする様は、毛糸との尽きないおしゃべりのようで刻を忘れてしまいます。

 「コ~ケコッコ~!」

 めんどりだけど毎朝威勢よく雄叫びをあげるクルリさんが、みんなに朝を知らせます。
臆病な羊たちは隣の羊小屋でゴソゴソと起き出し、いつものように玄関マットの上で丸くなって寝ていた犬のカイは、大きく伸びをするとヨグさんのところにおはようのあいさつにやってきます。
我関せずな猫のカムリだけはヨグさんのベットに陣取り高いびき。そろそろみんなの朝ごはんの準備です。

そうやって動物たちのお世話をしたり、家の周りに作ったちいさな畑や庭や家の手入れをしたり、おいしいパンを焼いたり、食べたり、果物が採れればほっぺの落ちそうなジャムを作ったり、そして時間を見つければ毛糸を紡ぐ、そんな毎日です。
やることはたくさんあるけれど、ゆっくりで、山の季節と一緒に息を合わせて暮らしています。

 そんなヨグさんの生活にあたらしい予定ができました。
月に一度、ふもとの村の雑貨屋さんにヨグさんの毛糸を置いてもらえることになったのです。人が苦手なヨグさんでしたが、この雑貨屋の主人、キタンさんは村の変わり者で、おもしろいものを嗅ぎつけては自分の店でなんでも売ってしまう人だったので、山のてっぺんで毛糸を紡ぐヨグさんのことを風のうわさで聞いた途端に、山を登って訪ねてきたのでした。このキタンさん、ヨグさんに負けないくらいの毛むくじゃらで、そして雄の緋熊ほども大きいのです。

その日ヨグさんは庭の畑を耕していました。土のようすにばかり気を取られていたので、突然目の前に現れた熊、もといキタンさんに、ヨグさんは腰を抜かしてしまいます。だって普段人なんて来ない所なんですもの。
目を白黒させているヨグさんにはおかまいなしに、キタンさんは始めます。

 「ヨグさんですか?私は雑貨屋のキタンです。ヨグさんの毛糸をみせてもらえませんか?」

 体に似合わぬ甲高い声でまくしたてます。勢いに押されたヨグさんは、ぽかんとしたまま時が止まります。

「もしもーし!あ、電話じゃないか。ヨグさん、ですよね? 私はふもとの町で雑貨屋を営んでいる キ タ ン と申します。ヨグさんの毛糸を見せていただきたくて参りました!」

ようやくことの次第を理解したヨグさんは、
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待っててくださいっ!」
急いで毛糸を取りに家の中へ。

パッと目についたのは燃えるような茜色の毛糸玉。それをひとつ手に取ると、家から飛び出してキタンさんの目の前に差し出しました。
分厚いまぶたに隠れたキタンさんの目がふたまわりくらい大きくなり、キラキラと輝き出しました。

 「いいですね~!すごくいいっ!」

 ヨグさんは言葉も見つからないのでキタンさんをとりあえず見つめます。

 キタンさんもじっと見つめられてちょっとどぎまぎしましたが、ぐいっと目を見開いて

 「ヨグさんの毛糸をウチの店に置かせてくれませんか?」

 やっとキタンさんの言葉が飲み込めたヨグさんは、なんだかフワフワした気持ちになってくらくらしてしまい、思わずうつむきました。
それを早とちりなキタンさんは、ヨグさんの、いいですよ、と勘違いして、

 「ヤッタァ!ありがとうございます!」

 キタンさんの大きなクリームパンのような手が、ヨグさんのカサカサした手をブンブン振り回します。もう何も言えないヨグさんは、一緒にウンウン、とうなずくだけで精一杯でした。

 それが山の毛糸屋さんの始まりです。

 フサフサした腕の毛を風になびかせながら、今日もヨグさんは羊たちのお世話をしています。この羊たちの毛から紡ぎ出された毛糸たちは、今頃どこでどうしているのかしら。風のうわさに耳を澄ませながら、ちょっとほほえむヨグさんでした。

                  おしまい   

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