普通って難しい

コロナが落ちつかないから仕事探しを再開した。
ありがたいのか、そうでもないからわからんけども、介護職ってのはこの時期でも腐るほどある。

売り手市場なもんだから、なるべく条件がいい所をと思い、あちこちの面接を受けている。

その度に毎回言われるのが、『できちゃった婚ですか?』なのだけども。

いつもは違いますよーと流して全然気にしないのだけど、あまりに聞かれるから愚痴りたくなったのである。


両生類(じぶん)は10代で結婚、出産をしている。
世間の『普通』のレールからははみ出た生き物である。

それまでは進学校に通った一般的な生活だったけど、一度『普通』からはみ出ると世間の目に色がつくのだ。

人それぞれ考え方があるけど、両生類の場合は子供が望まれて産まれたと胸を張って言ってあげたかったからできちゃった婚は避けた。

扱い辛い妊婦にならないよう、検診に行き、先生の言うことを聞いて、勉強もした。
社会人としてきちんと振る舞っていたと思う。

妊娠8ヶ月の検診の時、保険士だったかな、よく覚えてないけど、その人に別室に連れていかれた。

その人は優しそうって言っていいのか、何かメンタル不安定な人専門っていうか、とにかく穏やかで、優しい言葉使いで、不快だった。

保険士?さんは10代で出産する人に派遣される人みたいで、カウンセリングをしているのだと。
紙に妊娠がわかってから今までの気持ちの浮き沈みをグラフにしてごらん、と言われた。
基準より上、もしくは下になった時の気持ちも教えて欲しいと。

両生類はとにかく不快だった。あとがっかりしたのを今でも覚えている。

10代で母になる、それは世間でどう見られるか。
望まない妊娠、虐待のリスクが高い。それはわかっている。実際に自分も身籠るまではそういったイメージだったから。

でも自分はそう思われたくない。自分の産まれてくる子供が『若くして産まれた子だから』と色眼鏡で見てもらいたくなかった。
実際会いたくて会いたくて仕方なかったし、不安はあったけど一般的なものだったのだ。

さっきも書いたけど、大人の一員としてそつなく、落ち着いて暮らしてきた。

でも、世間から見られた自分は『望まない妊娠をした(に違いない)10代の子供』だったのだ。

これはかなりがっかりして、ショックだった。
『普通』をはみ出てしまうとレッテルが貼られてしまう、それは頑張っても頑張っても取れる物ではないのだ。近しい人はわかってくれる、でも『世間』はそうではないのだ。今でもこびりついて離れない。

保険士さんは両生類ではなく、『一般的な10代妊婦』として話をしてきた。辛くなったときどうするか、母子シェルターやら、児童相談所の話までしてくれた。ただただ不快だった。

そんなこんなで出鼻を挫かれたからか、出産後は『ちゃんとした』母親でいようと躍起になった。
どこに出しても失礼の無いよう、しつけた。それは子供の為だったのか、『やっぱりね』と言われたくなかったのかはわからない。

おかげで公共の場でも落ち着いて過ごせる子に育ってくれたから、しつけに関しては胸を張っているけども。

幸い地域の人が優しい事と、実年齢より上に見られる事が多いからか、出産後色眼鏡で見られることはなかった。

で、子供も中学生になり、今では両生類も三十路、いい大人である。
いい大人なのに、皆と変わらないのに、未だに言われてしまうのである。

普通からはみ出た人間は面倒臭いことが沢山ある。
普段は気にしない図太さを会得しているけど、たまーにげんなりするのである。

一般的なイメージと自分が解離していても声高に否定するのは止めた。意味がない上にもっと変な目で見られるから。

ただただ、ちゃんとするしかないのだ。ちゃんとしてたらわかってくれる人はいるから。
それ以外はいらない、と言うか気にしてたら自分がいなくなってしまうのだ。

両生類がしわしわのおばあちゃんになる頃には貼り付けられたレッテルも自然と剥がれるのだろう。
でも、こびりついた接着剤は一生消えないだろうな。

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