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暮らしの中で感じる点と点の間にあるもの

時々、長い間動かなかったことが、ひょこっと目を覚ましたかのように動き出すことがあります。

最近あったこんな出来事も、そんなふうにつながっていくといいなと思います。

ひと月ほど前に、私が暮らす群馬県高山村の地域おこし協力隊の西山大樹さんがインタビューに来てくれました。高山村を楽しむ人たちにインタビューをして、note で記事にして紹介してくれているそうです。

完成したその記事はこちらです。ぜひ、読んでみてください。

インタビューを受けていて、私が今の西山さんと同じぐらいの歳の頃の日々を思い出したりしました。

人に聞いてもらいながら、自分のルーツを振り返ってみるのもたまにはいいものですね。振り返ってみると、自分が歳をとったなと感じます。

回り出す感じ

西山さんのインタビューで話している通り、私は「回り出す感じ」が好きです。反対に一方通行は苦手です。人と人との間にある何かが感じ取れないと、不安でしょうがなくなってしまいます。

自分の存在を主張し過ぎることなく、相手に多くを求め過ぎることもなく、その間に何かがありフィードバックして回っている感じ。もしかしたらそれは、手付かずの自然の中にある間合いのようなものだったり、力強いホメオスタシスの働く命の仕組みのようなものなのかもしれません。

ですから、今回の西山さんからのインタビューも、何かフィードバックとして返してみようと思います。

大阪出身の西山さんのように暮らす場所を移してでも、今ここで暮らしている人たちは、何を感じて暮らしているのか、インタビュー返しをしてみようと思います。

明日、西山さんが時間をとってくれるそうなので、村に新しくできた施設「さとのわ」に行ってお話ししてきます。

さて何かが回り始めるでしょうか。

私も移り住んできました

私も元々移住者です。愛知県から群馬県高山村に移り住んで、やがて20年になります。

私が高山村に引っ越してきたのは2003年、田舎暮らしには慣れていたので、とにかく馴染もうと村の行事には積極的参加して、地域の行事のまとめ役となる公民館長も務めました。地区の行事は派手過ぎず、私にはちょうどいい感じでした。昔からつないできた、身近な地域に暮らす子どもから高齢者までが集うその雰囲気が好きでだったのです。

公民館に集まれば、大人は延々とお酒を飲んでいましたが、その脇で小さな子どもからお兄ちゃんお姉ちゃん、さらには進学や就職で村外に出ていた若者が戻ってきて一緒に遊んでいました。一人暮らしや夫婦だけで暮らしている高齢者は、普段なかなか外出するのが難しくなっていても、こんな時だけは楽しそうに公民館にやってくる人もいました。

そして、昔ながらの風習には季節の節目に沿った意味があり、年々落ち着いて暮らしを営めるようになるにつれて、その意味になるほどとうなずけるようになり、家族の暮らしのリズムと村の季節の流れがリンクして感じられるようになってきたところでした。

ところが感染症対策の自粛から、地区の行事も、村民そろっての運動会やスポーツ大会も軒並み中止になり、未だ再開せず何か当たり前だった地域とのつながりが、ぷつっと途切れた感じになってしまいました。村の中心では人を呼び込むための色んなイベントが開かれていても、これを機に昔ながらの行事は無くなってしまうのかなと思うぐらい、昔から続けてきた行事は再開する気配がありません。

実際にはそれ以前からなんとなく社会が変わりゆく兆しは感じていて、それはどこか不安定な落ち着きのないものでした。感情を釣り上げる情報はあふれていても、その感情を支えている情動や、内臓感覚が不安定なまま走り続けている人が増えているような気がするのです。

不安定になると意識しだす自律神経

一方、私の治療院では、Webサイトを見て相談にいらっしゃる方が増えました。どうやら群馬県で「自律神経」と検索すると、私の治療院は上位に出てくるらしいのです。

残念なことに、自律神経とは不安定な時にこそ意識に現れやすいものです。どこかしら、環境のリズムと自分の中にあるリズムを合わせられず不安に感じている人、現実に様々な症状にお悩みの人が増えているのでしょうか。

私の治療のスタイルは、自律神経のバランスを姿勢や動き、筋肉や皮膚などの体表に現れた表情を見るのを特徴としています。ある意味歪みを見るのが仕事なのです。

実は人は体調や環境の変化によって歪みやすく、あの人もこの人もみんな不安定に見えます。安定して整って見える人の方が少ないぐらいです。

しかし、自律神経はその人を取り囲む環境とのバランスで変化しているので、その人の暮らしと一緒に自律神経を見ていかないと、一面しか見ていないことになります。

人と人と同じように、人と環境の間にあるものに意味があるので、人だけ見て不安定に見えても実はバランスが取れているのかもしれないのです。

反対に、安定して整っているかのように見えても、相向かい合っている暮らしをその時その時の都合でやりくりしていると、暮らしが安定しているうちはいいけど、何かの機会に暮らしが成り立たなくなった時には、一気にそのバランスは崩れてしまいます。

ストレスを刺激でまかなうような暮らしは危うく、自然の中ではストレスとどう向かい合うかで抵抗力やバランスを取る能力を培うのです。

ゆらゆらと揺れながら、人は不安定だから安定するのです。

医療、社会、そして暮らし

ここ数年で私の健康に対するアプローチは変わってきました。予防医学や運動療法を学び始め、サポートの幅を広げていきました。医療モデルや社会モデルの今を押さえながらも、暮らしにフォーカスした生活モデルこそ大切に思っています。

そして今年の6月に、リアルに向かい合ったサポートに加え、暮らしと健康をととのえるオンラインサロン「Club おなかにてあて」をオープンして、オンラインで情報をサポートする体制を整えました。

様々な分野のスペシャリストにも手伝ってもらいながら、私にはできないことを補ってもらっているのです。点と点の数が増えれば増えるほど、その間にあるものは多様性を増していきます。特に医療や社会システムからの視点を補ってもらえるのは心強いです。

そんなオンラインでのサポートを準備し始めた頃、50歳を過ぎての子育てが始まり、家族で暮らす村の中での治療院の役割をもう一度整理しなくてはと思っていたので、西山さんからのインタビューはちょっとしたきっかけになりました。

西山さん、ありがとうございます。

村の小さな治療院

そのオンラインサロンで、最近「村の小さな治療院」と言うタイトルで音声で聴くブログを始めました。

その題材探しに、治療院を出て村を歩いてみようと思います。

自律神経って不安定にならないと意識しにくいものですが、いざ不安になった時にはパニックになってしまう方も多いものです。

そんな方のために扉には鍵をかけず、ひっそりと待っていようと思っていましたが、時には顔を合わせて「最近どう?」なんて、色んな人に声をかけてみようと思います。

私も若い頃、色んなところを旅し、暮らし、色んな言葉をかけてもらいました。何十年も前のことなのに、今になってその意味が響いてくる言葉もあります。その言葉は、どこかで回って動き出すのを待っていたのでしょうか。

若い頃に漠然と考えていた自然に寄り添った暮らしが、おなか中の自律神経を意識するようになって、何か未来に向かって回りながら続いていく感覚に変わりました。


そんな私が作ったオンラインサロンはこちらです。

毎週土曜日に更新している聴くブログ「村の小さな治療院」の最新回は一週間無料公開しています。よかったら聴いてみてください。

こちらの note の記事も同じタイトルで「村の小さな治療院」と言うマガジンにまとめていこうと思います。合わせて読んでくれたら嬉しいです。

何が見えるのか分かりませんが、書き綴ってみます。

成長の時を過ごす、子ども達の感受性を受け止められるように。

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