損なわれたもの
東日本大震災のあと三度、いわき市を訪れた。まず、その年の八月に久ノ浜地区を訪れ常磐線の臨時バスから遠く福島第一原発を眺めた。次に、同じ年の十月に旧磐女出身であるバイトの先輩にマークXでいわき復興祭まで拉致され、いわき踊りを踊った。あと、もう一度いわき市を訪れたと思うけれど、いつ行ったのか思い出せない。青春十八切符の余りで行っただろうから十二月か一月だと思うけれど。
この写真はそのとき小名浜のどこかへ、バスで行って撮った写真だ。でも逆光で不鮮明すぎて何を撮ったのか分からない。たぶん路傍の給油機を撮ったのだと思う。そして、太陽光が明るすぎたのか縦に紫の線が入ってしまった。これは失敗した写真に分類される。でも保存してある。それを撮ったときの自分の状況を想像してみることがあるからだ。いわき市に私は何を忘れ、なぜそれを探しに行ったのだろう。
次の写真は夜の街の写真だ。でも暗すぎてどこの街か分からない。一連の写真も同じ感じで、何も分からない。でも一連のなかにひとつだけ動画があって、それを観ると右側にある前照灯は動き方から路面電車だと分かる。これを撮ったとき、夜の街に立った自分がどんな状況であったのかを考えてみることがある。光の量は足りないと分かっていたはずなのになぜ何枚も路面電車を撮ったのだろう。そもそもどこの街なのだろう。
失敗した写真も消去せずに保存している。決して失敗も成功のうちだとかいうような欺瞞は言わない。失敗した写真をその写真として修整もせず保存してある。これが私の、損なわれたものへの態度である。
バス来るを疑いだした三人のバス待ち人は波を待ちだす 甲太郎
#写真が好き
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