見出し画像

恥をかいたら褒められる

小学校時代から、「恥をかいたら褒められる」。そんな文化があるといいのにと思っている今日。

新しい生き方や哲学を、コミュニティの皆と学んでいる。ここ最近、コミュニティメンバーのブログも、チャットもちょっと停滞していた。私もなんだけどね・・・

仲間の一人が勇気をもって、皮切りになる発信をしてくれたのだけど、その発信一つによって、静けさに包まれていた場が一気に活性化された。
間違いなく、仲間の発信のおかげ。

彼女の発信の中に、

私は本来はあまり目立つことが好きではありません。
なぜかというと、失敗して恥ずかしい思いをすることが嫌だからです。

失敗して恥ずかしい思いをしたくない。
分かる。

私はプライドが高いので、恥をかくことなんて、できる限り避けたい。
だが1か月前、今企画では勇気をもって、恥をかいてみたのだ。

皆の前で恥をかいてから、1ヶ月弱経つが、すこぶる調子が良い。
必要以上にハイでもないし、気分が落ちることも少なくなった。

人前で恥をかいたことで、心に溜まっていたゴミみたいなものが、ごっそりとれたんだろう。空間ができたところに、新しいモノが入ってきている実感もある。

「恥をかく」について、少し考えてみたのだが、これまでの人生で恥をかいて良かったという記憶がない。逆に、恥をかいてしまったと後悔するような大きな後悔もない。

どちらも危険な状態だと悟った。

なぜか。

恥をかいて良かったという実体験を持っていたら、おそらくもっと沢山恥をかいてるはずだから。恥をかいても、良い結果が生まれるのか!素敵な状態になれるのね!というのを、客観的にでも見ていれば、「恥をかく→ポジティブな結果が得られる」の仕組みを理解できる。仕組みが理解できているものは、合理性で判断しやすい自分はトライしていたはずだから。

恥をかいてしまったと後悔していないということは、大きなチャレンジをしていないということにもつながる。

小学生くらいからは、恥をかくという感覚はあったので、幼い頃から「恥をかきたくない」という意識で育っている。

場所も重要だ。学校や会社といった、決して心理的安全が保障されない場所で、「恥をかく」ことについてハードルがあがる。

分からないことを、分からないと言わないままになるかもしれないし。
違う意見を言えなくなるかもしれない。
はみ出すという意識になるかもしれないし、はみ出すことは“悪”の意識が生まれるかも。

恥をかくことで、自分にも周囲にも良い影響を与えられるって、小学校くらいから教わっておきたかったな。


ひたすら、恥・恥・恥と書いてきたけれど、実際のところ、恥をかいたと思う行動は、「素直・勇気・気づき」につながるもので、恥では全くないんだけどね。


もっと勇気だせるかなぁ。やっぱり怖いなぁ。と、心のせめぎあいをしながら、勇気が上回るといいな。気分は5歳児くらいでね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?