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【書評】『ミシェル・フーコー講義集成 ~ 安全・領土・人口 』

「哲学すること」を一度知ってしまうと、もはやそれ以前の自分には後戻りできない。それは、新しい「情報」や「知識」を得ることではない。また、何かについての「やり方」(to do) を変えることでもない。では、何が変わるのか。

「哲学すること」によって、自分が慣れ親しんでよく知っていたはずの世界は、ガラガラと音を立てて崩れ去り、まったく新しい姿に変容してしまう。もちろん現実の世界が変わるわけではない。世界に対する「ものの見方」、もっといえば自分自身の「あり方」(to be) が、根本から変わるのだ。

巷に溢れている、情報としての、知識としての「哲学」には、「哲学すること」がもたらす、この破壊的で創造的な力が見事に抜け落ちているように僕には思える。あたかもアルコール抜きのビールみたいに。

フーコーの著作を読むこと。その言葉に寄り添い、ともに「哲学すること」。それは、頭の中で固定されていた世界の「枠組み」に揺さぶりをかけ、新しい自分を発見する旅に出ることだ。

本書のタイトル「安全、領土、人口」は、今日当たり前のように関心が向けられ、論議されている問題設定の「枠組み」ではある。しかし、本当に重要なのはフーコー自身が「発見したこと」にあるのではない。そうではなく、そもそも僕たちがどのような「枠組み」を通して現実社会を捉えているのかを自分で意識できるようになることなのだ。

フーコーが哲学する人生のなかで長年をかけて熟成させてきた本書の言葉は、どれもとてつもなく度数が強い。それでいて、新鮮だ。「感染症」や「ヘイトクライム」「統計社会」など「いま」を知る上でも、本書でフーコーが哲学してみせたことは示唆に富んでいる。読後に見える世界は、決して元通りの世界ではないだろう。


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