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1996年の女子高生

わたしがインターネットに初めて触れたのは96年のことだった。高校一年生の時である。SNSはおろかブログもない時代だったので、htmlで日記を書いて公開していた。わたしはもしかしたら、ネット時代の女子高生の第一世代なのではないかと思っている。

95年の正月に貯めに貯めたお年玉で買ったMacintoshパフォーマ550を持て余したわたしは「これを活用したい」という気持で情報処理科のある高校へ進学していた。
その高校にはプログラミングの部活があり、全国大会で何度も優勝していた学校だったので、そのご褒美として私が入学した時には生徒が使うパソコンにインターネット回線が引いてあった。
思えばAdobeのillustratorとPhotoshop、それからpainterもあったので当時としては大変に恵まれた環境だったと言えるだろう。

ずっとずっとインターネットがしたかった。
93年、中1の時に「パソコン通信で趣味が合う人たちが繋がっているらしい」「筒井康隆がパソコン通信で小説を描いている」等等の情報を得てからのたうち回って悶絶するほどにインターネットがしたかった。しかし当時のパソコンは超高級品でパソコン通信なんて更に手が届かないもの。うちの両親は特にパソコンを使う人でもない。そんなわけで私は歯ぎしりをしていたのだった。夢野久作、渡辺温、渋谷系、ガロが好きだった私はパソコン通信を使えばきっと趣味が合う人に出会えるだろう、そう信じていた。

それ以前に私は「キャプテン通信」なるものに夢中だった。公衆電話のボックスのような場所に設置されていたり、図書館など公共の場所に設置されていた。「キャプテン通信」の存在を知っている人がいたら握手してみたいものだけど、少ないのだろうか? 
アダルトゲームの年齢認証が「フルマラソンの距離は?」など大人ならわかるけど子供は知らない常識問題が10問ほどあって、なかなか解けずに半年以上かけて頑張って突破したものだった。インターネット、グーグル、wikiペディがない時代には「フルマラソンの距離」という情報を得るのは至難の業だったのだ。知識源といえば図書館しかないし、なのに「フルマラソンの距離」を書いてある書籍の見当なんてまったくつかない。本当に一体何の本を調べれば良いのだろう。その答えは30年ほど経った今もやっぱり分からない。

閑話休題!

話をインターネットに戻そう。

96年にインターネットを始めた女子高生の私はやっぱり人と繋がりたいと思った。自分と趣味が合う人と。岐阜の西南部、聲の形の聖地に住んでいたのだけど田舎というほど田舎じゃないけど、渋谷系を聞きガロを読むこどもはいないレベルの町だった。だから私は趣味が合う人と思う存分繋がりたかった。

そんなわたしはメル友募集掲示板で何人かの人とメル友になった。ちなみにアドレスは高校のアドレスである。
はじめてのインターネットの思い出はたくさんあるけど、今回は当時文通していた人たちを振り返ってみたいと思う。

① お笑いが好きな浜松在住の20代男性。
この人とは一番ゆるく長く続いたと思う。当時はオンバトが始まるか始まらないかくらいの頃でお笑いブームが起きる前くらいかな。しきりに「ごっつええ感じを見た方がいい」と言われたのをなんとなくおぼえている。マッドカプセルマーケッツが好きだったのは彼だったかな。3年くらい文通した後、話題がなくなって自然消滅したんだけど、もし「自分だ!」と思った方がいたら連絡ください。笑  今アラフィフくらいかな?

②アメリカ在住のアラサーくらいのエロい男性
エロいことに興味があると言ったらエロメールが始まった人。
学校のメアドでやってるって言ったら「フリーメールにした方がいい」と言われたけどめんどくさいからそのままでエロメールのやりとりをしていたけれど、今なら完全アウトだったと思う。よくやれたよな、本当。先生誰もメール見てなかったんだろうな。
色々えっちな指令が来てちょっとめんどくせーなと思いつつ「やったよ、うん」みたく適当に報告してたんだけど、ある日「クリトリスを紐で縛って触って」という難しい指令がきたから、返事できずにそのままフェードアウト。クリトリスを紐で縛るの、難しくない? 緊縛の素人だし……そもそもどんな紐を用意すればいいんだろう。考えれば考えるほど難しそうで、紐を買いに行くのも億劫で、なんだか嫌になってしまった。


③東京都下のグラフィックデザイナーのおじさん40代後半くらい
めっちゃいい人でした。普通に子供も奥さんもいる方。割と高校生あるあるで「死にたいつらい」と鬱スイッチオンの時にぶつけてしまったら、本気で心配して受け止めてくれて、東京都の西側の某市から車を飛ばして名古屋まで来てくれて、ハーモニーコリンの映画を見てご飯を食べて、岐阜まで送ってくれて普通に解散しました、っていう。本当に親切なおじさんだった。ネットで会った初めての人だったかも。いや、会いに行くとき万が一を覚悟しつつ行ったんだけどね。この方、わたしの短大入学祝いもくれたり本当に普通のいい人だったんだけど、とあるグロ漫画を私が「面白いと思う」と言ったからなのかそれで終わってしまった方でした。ありがとうございました。

こんな風にちょっっぴり危ない橋を渡ってきた私だったけど、それでも出会い系殺人のようなことにならなかったのは、それは媒介が「パソコン」だったからだと思う。

当時も出会い系や「メル友」からの犯罪は問題になっていたけど、それらはポケベルやケータイからの出会いがとても多かった。パソコンで仲間を集めた集団自殺のような話が出てくるのはそれから10年近く後だったと思う。

当時は①「パソコンをわざわざ買って」②「わざわざお金を出してインターネット回線を引いてる」という二重のハードルがあったので、インターネットにいる人種というのはだいぶふるいが掛けられた状態だったと思う。携帯からネットが見られるようになるのはまだまだ後の話で、ネットにいるのはだいぶ限られた人間だった。
わたしがチャラい人に出会わなかったのは、パソコンで繋がった人だけ、と決めていたから、というのはあると思う。(もうひとつ、長文メールのやりとりが3ヶ月以上楽しく続けられる人、ということ。これが出来る人は中々いない)

また、最初にも少し書いたけれど、96年の女子高生の発信事情は、SNSのない時代、CGIの日記すらない頃だったので、ジオシティーのホームページを借りてHTMLに日記を書いて発信していた。コスプレ写真を載せたりもしていた。
写真はデジカメも写メもない時代だから、写ルンですで取った写真をスキャンで取り込んでUPしてたよ!

今よりだいぶ不自由だったけど、やってることは今と変わらないと思います。

自分より少し上の世代の人に「娘がSNS依存っぽくて心配……」と相談を受けると、親の方の気持も、子供の方の気持も両方わかるので、割と(今の所)レアな世代かも、なんて思いました。


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