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前の人生の奥さんの話

前の人生の奥さんの話。
前の人生で結婚していた人の話。
幾つか思ひ出した事が在るから書いて措かう。

布団で二人で寝ている時。お互い横を向いて顔を合はせて居る状態。
至近距離の妻の顔。最初彼女かと思つたけど違つた。顔の印象が少し似ているのかも知れない。髪型は所謂断髪、ショートボブ系。
「あたし、可愛くない」
泣き出しそうな表情でさう云つた彼女は、手で顔を覆つて俯いて仕舞つた。
「そんな事ないよ、かはいゝよ」
と僕は抱き締めて、頭を撫でて宥める。
僕は申し訳なく気まずい思いで、その場を取り繕おうとする氣持ちだつた。

僕が未だ戀人だつた彼女を愛してる事を分かつて居て、彼女の自信を無くさせるやうな、寂しい思いをさせて居たのかも知れない。「かはいゝよ」と云つた僕の言葉が取り繕う爲の物だつたからだ。
どうか機嫌を直して、と云ふ氣持ちだつた。

何度か聲も思ひ出す。ハスキーボイスの女性だつた。

未だ結婚する前。お付き合いもして居ないと思ふ。
彼女と別れた僕は毎日寂しくて、一人でじつとして居ると震へて仕舞ひ情緒不安定で溜まらないから、宛もなく銀座をぶらぶらずうつと散歩をして居た。ステツキをついて、大通りを歩き、色々な人々とすれ違ふ。紳士、カツプル、家族連れ…。誰も彼も僕にとつては他人で唯の景色だつた。僕は孤独で仕方がなかつた。
銀座の外れまで歩いた邊りで、妻になる人と偶然會つた。彼女は断髪で着物姿だつた。
寂しい気持ちを抱へた僕は殆ど無言の無表情で、軽く会釈をする。偶然の出逢ひに僕は何の感慨も無かつた。
彼女の事は未だ「少し知つて居る女の子」と云ふ距離感だつた。
「一緒に來たかつたら附いていいよ」と感情無く云うと彼女は僕の三歩後ろを着いて歩く。薄暗い僕の表情に寄り添うやうに、彼女の表情も鎮痛な面持ちだ。僕の痛みや寂しさを理解ろうとして居るやうだつた。
僕はその内、築地と銀座の境目の橋の上に辿り着く。その橋の真ん中で僕はずつと川を眺めて居た。
彼女も僕から1人分の間を空けた隣で、同じやうに静かな面持ちでずつと川を眺めて居た。
僕たちは何も話さず、唯黙つて静かに川を眺めて居た。

昭和3年頃。
彼女と別れて毎日寂しくて情緒不安定で仕方がない僕。
毎日が寂しくて溜まらなくて家に帰るのが嫌だつた僕は、バーで良く飲んでいた。
寂しくて家に歸りたくない、と遅くまで酒を飲んでいる僕に、カウンター越しで彼女は
「それならあたしと結婚したら良くない? 家に帰つて毎日あたしが居たら寂しくないでせう?」
と笑つて樂しさうに云つた。
とても軽い調子で「いゝ思いつきでせう?」と悪戯じみた目をして笑つて居た。
僕は「いゝね」とその思いつきに乗る形で結婚を決めた。

結婚して一緒に住んでいる頃。
僕たちは生活に困つて居たらしく、箪笥いつぱいに沢山入つた彼女の着物を引き出しから出して「此れを売るのはどうだい」と僕が云つたやうだつた。
彼女は「あたし、着物、売りたくない!」
と云ってぷい、と外方を向いて仕舞ひ、僕は「そりやそうだよなー、参つたな」と頭を掻いて当惑する、と云ふ様子だつた。
僕の所為で生活が困窮してるから、僕が責任を取る可きだと感じて居て、何も云へないやうだつた。
着物は妻が独身時代に集めたものだつた。彼女は色とりどりの鮮やかな着物を沢山持つていた。

不意に「彼女とは性的なことは理解り合えなつたなあ」という言葉が降り落ちてきた。

どういう事だつたのだらうと思つて居ると、妻は性的に淡白な方だつたらしかつた。
嫌ではないし僕との行為を樂しんでは呉れたやうだけど、僕としては僕のしたい愛撫でそこまで感じてくれず合わなかつたやうだつた。妻の好みの体位まで思い出して仕舞つたけど、まあそれは今回は割愛としておきませう。

ある時、仕事がもう一度軌道に載ったと云うのか……再始動した時があって、その時に妻がとても喜んでいたように思う。僕はその時初めて、やっと妻に何かプレゼントを買ってあげたような気がする。
僕は妻を抱きしめてお互いに喜びあったように思う。

この子とは多分もう、なかなか会うことはないんじゃないのかなと思う。
お互いにお互いを必要とする縁はひとまず使い切った感じ。
次会ってもクラスで仲の良い友達くらいの関係な気がする。
今はどうしているんだろうか。幸せに過ごしていて欲しいな。

今のところ、結婚した人のことで思い出したのは此様な感じ。
亦何かあれば追加しますね。


性感帯ボタンです。