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僕の戀(1)

「溫子は好きな男の子、誰?」そんな風に聞かれたのは小學1年の頃だつた。當時、岡田あーみん目當てでりぼんを購讀してゐた僕は、掲載されていた恋愛少女漫畫を讀んでゐたこともあり「戀愛」がどう云ふものか、7歲とはいへ形式の上では理解してゐた。

近所には女の子が多く、この質問を投げかけたのは何時も構つて呉れてゐる小4と小2のお姉さんたちだつた。人見知りで內氣な僕は、可愛い可愛いと妹のやうに扱つてくれるこのお姉さんたちと何時も一緖に遊んでゐた。

僕は非常に素直な子供だつた。女體化してゐる此の身體を、周圍の人々が僕のアイデンティティとして扱ふことを「さうなのか!」と素直に受け入れ續けてゐた。然し拭ひ去れぬ違和感は、着ぐるみを着て生活してゐる感覺として現れて居り、4歲の頃から僕は着ぐるみの內側から外を眺めてゐる氣持ちで暮らしてゐた。ずつとそんな風だつたから、人は誰しもさういふ感覺で生きてる物だとも思つてゐた。そんな風だつたから僕は「小學生にも成れば、好きな男の子がゐなくてはいけないのか」と云ふ感覺で此の問ひを受け止めて居た樣に思ふ。

彼女たちへの答へとして、僕はクラスの中で一番よく冗談を言ひ聰明な男の子の名前を「好きな男の子」として擧げた。

今にして思へばあれは全然戀ではない。彼のことはクラスの中で一番評價するに値する男子だと思つたと言ふだけの事だ。喋つたこともなかつた。

僕から好きな男の子の名を聞き出したお姉さんたちは大層盛り上がつた。さうしてゐるうちに僕も自己洗腦みたいなもので、「ああ、自分は此の男の子のことが好きなんだなあ」と思ふやうになり、少女漫畫の主人公のマインドをなぞつて「好きになつてゐる」といふ思ひ込みで自分の心の中にさういふ擧動を人工的に發生させてゐた。此れは殆どの人が理解できないことかもしれないけれど。
僕は「彼に戀をしてゐる」と自分で自分を思ひ込ませてゐつた。

そもそも僕はもつと幼い頃から意圖的に自分を演じることがある人閒だつた。5歲の頃は「子供だから子供らしく、妖精の存在を信じてゐる、と云ふ振る舞ひをしてゐよう」と思つたり、4歲の時は「子供だから猫にお氣に入りの繪本を讀んであげる、と云ふさも子供らしい振る舞ひをしやう」と思つて猫にピーターパンを讀んであげたりもした。けれども此の行爲は母に「猫が繪本なんか理解る訳ないぢやん」と冷たい言葉を投げかけられ、色々興醒めした覺えがある。此方だつて本氣で傳はるとは思つてないし、猫に対し親愛の情を表したかつただけだつたのだから。

閑話休題。「自分は男の子を好きになる物」だと云ふルールを提示されたから、僕は素直にそれを飮み込んでしまつたのだらう。自分を欺きながらそれを演じ續ける、と言ふことに對して僕は適性が有り過ぎる。

近所のお姉さんたちに焚き付けられて、僕は2月頃、その男の子にラブレターを書いた。放課後に机の引き出しに入れて置いたんだつけ。翌日皆んなにバレて大騷ぎの大盛り上がりになつた。けれどその次の日には皆んな忘れて、誰も何もそのことには一言も觸れなかつた。
小學1年生で良かつたと思ふ。

此れまで此のエピソードを自分の初戀として捉へてゐたけれど、振り返つてみるとこれは戀ではなかつたと思ふ。卷き込んで仕舞つた件の男の子には少々申し譯ないけれど。

僕にとつて「初戀」と呼ぶに相應しいのはどの戀だつたのだらう。少し長くなつたので、その話は次の記事で話してみたいと思ひます。

纉く。


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