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ねえ、漫画を書かないで小説を書いているの?

昔々、初めて精子を飲んだ時「何この不思議な味!」これを言葉で表現するにはどうすればいいだろう?とその場でワクワクしたものだけど、当時の僕は漫画や絵を真剣にやっていた筈なのに何故か文章での表現にこだわっていた辺り、あの頃から答えは出ていたんだなあと思う。

思えば最初に「小説」を封印し、そして「エロ」も封印した。エロに関しては封印というか抑えめだったんだけど。
小説でプロになるのは難しいと思っていて2番目に好きな絵を描くことを頑張ろうと思ったし、下ネタギャグまではいいけど性行為や性愛はとても恥ずかしくて書けないと思っていた。

けれどそれらを封印していた時から答えはそこらじゅうに出ていたのだなあと思う。漫画を描いていた頃の自分の標語は「エロポップナンセンス」だった。これは大好きな「エログロナンセンス」を自分なりにアレンジしたものだ。グロは僕には書けないから。これは今も割とそうかな。描写はそれなりにできると思うけど主軸にはならないと思う。
「グロ」は抜いて自分なりにアレンジしたというのに、エロを外さない辺り、エロは自分から欠かせないんだなあと思った。

漫画を描いていた頃は、えろくない漫画を書こうとしていた。ポエジックなおしゃれっぽい漫画。そういうのが描きたかった。自分の中のセンチメンタルな部分を漫画で表現したかった。けれども漫画を描いている時だって、その中のモノローグなど、言葉にすごくこだわっていたことを今になって思う。

そういえば漫画を描いていたあの頃、2ヶ月ほど真剣にダイエットをしていて、ダイエットのために運動して早く眠るから、絵や漫画はおやすみしていた。だけどそんな日々でも、毎日長文ブログは書いていた。文章は絶対に欠かさなかったのだ。

何をしていても、結局本当に好きなことや、やるべき使命みたいなものって滲み出てしまう。まあ使命というか……これは僕が人生の目標とするもののことだけど。結局何をしていても、そこへ向かおうとしてしまう。逆向きに走ろうとしたら、走れなくて倒れてしまうしね。

ベルトコンベアやエスカレーターに乗っているかのように、引き寄せられていくのかもしれない。自分の中に在る物には。いや磁石なのか?

せっかくなのでまとめてみよう。それっぽい結論がないと文章は締まらないものだ。僕もわかりきった結論を此処においてゆく。何が言いたいのか、誰でもわかる話を。

我慢や義務感の中には正解がなくて、楽しくて心地よいことが正解。そうしないと続かないし倒れるししんでしまう。
僕が漫画や絵を描かなくても、他に書く人はいるし
僕が経理や講師をしなくても他にやりたい人がいるし
けれど僕が描きたい作品を完成させられるのは僕しかいないのです。

精々クリエイティブに生きたいものだ。


おしまひ。

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