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プロポーズもされたことだし、バツイチの時の気持ちを語ろうか。

今年の誕生日に付き合っているおちんぽからプロポーズをされた。

そんなわけで、シングル生活に終わりが見えてきた今、バツイチの時の気持ちでも語っておこうと思います。


「人生を賭けた恋愛の失敗」
「人生最大の失恋」

わたしは離婚をそんな風に表現していた。
だってそうだろう。「この人とどんな苦労も乗り越えて、死ぬまで一緒にいるんだ」なんて思って、親類縁者の前で神に誓ったのだから。

別れを切り出したのは自分からだったし、とにかく早く別れたかったから養育費の請求しかしなかった。別れてくれさえすれば、他に何もいらなかった。
そんな風だったのに、それでも失恋した気持ちでいっぱいだった。

「愛されなかった」
「大事にされなかった」

そういう思いが強かった。
当時の相手が内弁慶で情緒不安定で私以外に心を開ける相手がいないような人だったので、わたしは相手の情緒不安定さを一身に引き受けていた。
それが愛情だと思ったし、夫婦の支え合いだと思ったし、そうすることで少しづつ向こうの気持ちも安定していくだろうと考えていた。

でもそれは違っていた。
彼のどんな不機嫌さも、わたしが引き受けることで相手はどんどんつけあがって、わたしの心を踏みにじり、結果わたしはストレスで身体がおかしくなていった。動悸、頭痛、吐き気、突然昏倒するような眠気、過眠、身体の痛みなど。こりゃもう限界だ、と思ってそれで逃げ来てた。

結婚生活の後半1/3のくらいからは、わたしもキレ返すようになっていた。
けれどそれでもだめだった。わたしの意思や気持ちが尊重されることはなかった。

彼と関係を築くことを諦めた時、気が付いた。
わたしは大事にされなかった、本当の意味で愛されてなかったんだ。って。
そういう風に感じた。
収入のいい人だったので、物理的には大事にされていたのかもしれないけれど、わたしの気持ちや人格は大事にされていなかったなあ、と感じた。

何度も別れが脳裏をよぎっていたけど、そのたびに、
「別れを選ぶと自分の選択が間違っていたと認めることになる」と思って悔しくて、心の中で別れを決められなかった。(実際行動を起こすには、様々な物理的な問題があるのだけど。それ以前のところで、ということで)

結婚した当時は有頂天だった。
付き合って2週間でプロポーズされたし、出会いから7ヶ月で入籍とか運命の恋!みたく思った。そういうのを間違いだったって認めるのが悔しかったんだ。
プライドもあって、なんとかしたいと思っていた。
だけど、ダメなものはダメだった。

夜逃げ同然で(実際は14時に家を出たけれど)実家へ帰って別居して、そこから8回調停をやって実際に離婚するまで1年半近くかかった。

その間、愛し合って結婚したって思ってたのは勘違いで
実際の自分は、誰からも愛されたことがない、愛し合ったことがない、大事にされたことがない、って思ってひどく落ち込んでいた。

ストレスで過食……に走らずに、性欲過多になっていたようで(セックスレスになってたのもあって)毎晩烈しくオナニーしてた。泣きながらオナニーすることもたびたびで、すげー病んでるなあと思っていた。妄想はもちろん両想いセックスばかり。

離婚が成立するまで、出会いに行くも恋愛するのも、それどころか男性と二人きりで会うこともしないと決めていたので、新しく始められないこともつらかった。
万が一、どこかで誰かに見られて、「男と会っていた」などと言われて、親権を取られたらしゃれにならないので、つらいけど我慢していた。

すべてのカップルを見ることがつらかったし、すべての既婚者を見ることもつらかった。
高校生カップルを見ては「こんなに若いのに愛し合って……私と言えば誰にも」という気持ちになって落ち込むし
すべての結婚生活が必ずしも幸せとは限らないとわかってはいても、パートナーに選ばれている人は愛されている人に見えて、という人たちが眩しく尊く見えた。

それから恋愛ネタやそれを感じさせるもの、すべてがダメになった。
恋愛ネタのバラエティ、カップル・夫婦ネタは勿論、「結婚できない女」とかそういうものもすべて。
夫婦の愚痴ネタはすべてのろけのように感じたし、父の運転する車に乗ると強制的に聞こえてくる、夫婦の愚痴ネタラジオはしんどすぎて、耳を塞いだいり音楽を掛けてシャットアウトしたほどだった。
その流れで、萌え系もきつくなってきた。10代で可愛い女子にしか価値はない、という考えを見せつけられている気がしてつらくなった。

テレビのほとんどが見られなくなった。

幸い、発達障害の娘がETVと地元ケーブルテレビに執着するようになって、それ以外見れない期間が2〜3年続いていたので、自分さえ避ければTVは見ずに済むようになっていた。ケーブルテレビは本当にいい。基本、地域のほのぼのニュースをリピートしてるだけだもん。何も心に波風を起こさない。本当に無害だ。

恋愛ネタ、男女ネタ全般を見ていると、「愛されなかったこと」を思い出させられて、突きつけられる気がして、つらかった。
わたしには出来なかった、出来なかった。
そう思った。

当時の結婚相手の元から逃げる前日か前々日あたりに、お世話になっている某お姉様から、二村ヒトシさんの「恋とセックスで幸せになる秘密」をおすすめしてもらった。(現在は改題されて”なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか”になっている)

別居で帰ってアマゾンで即注文して、別居開始とほとんど同時に、二村さんの本を読んでいた。

この本のお陰で本当に救われた。
この本に出会えなかったら、立ち直るのがあと10年かかっただろうな、と思った。

「自己受容をすること」「ありのままをさらけ出せる相手と恋愛する」「目を見つめ合ってセックスすること」そんなことが大事だと、わたしは学んだ。

離婚が成立したあとに、知り合った男性たちに初めから
・バツイチ子持ちであること
・エロ小説を描いてること
・性欲が強めなこと
を伝えているのは、二村さんの本を読んだ影響だ。
隠して取り繕って恋愛を初めても、破滅しかないってのは結婚以前の体験でもわかるし、実際たくさん無理をしてぼろぼろになったから、二村さんの本は本当にしみた。

それから少し後に、親友だと思ってる友達から紹介してもらった本が、近藤麻理恵さんの「人生がときめく片付けの魔法」だった。

もともと、掃除、捨てオタクだったわたしはこの本にすんなりのめりこんでいった。

「ときめく/ときめかない」を基準に、持つものを選んで、要らないものは処分する。
その行為を通じて、わたしは自分を大事にすることを学んでいけた。

ときめかない、どうでもいいものを自分に与えていることは、自分をどうでもよく扱うこと。
いらないものを無理に使うことは、ものに自分が使われている状態だ、そんな風に感じると共に、自分が本当に気に入った物を自分に与えることで、わたしは尊い人間なんだ、と自尊心を少しづつ回復させていった。

離婚で傷付いた自尊心を、この2冊の本を何度も繰り返し読むことで少しずつ、少しずつ立ち直っていった。
今もまだ引きずっているところはあるけれど。

リア充高校生を見るのはやっぱりまだつらい。
けれどもういいじゃないか、ほんとうに。
薬指には指輪が輝いている。

離婚に至るあの結婚生活は、経験しておいてよかったと思う。
すべての物書きのうち、離婚経験のある者は一体全体の何パーセントだろう? 少ないわけじゃないけれど、多数派でもないだろう?
それを思うとわたしは誇らしい気持ちになる。
それに、あの経験を経てきたからこそ、わたしは本当の自分をきちんと自分で受容する気になれたのだし、だからこそ今の恋愛も楽しく続いている。

というわけで、離婚した後の気持ちはだいたいこんな感じです。
なので、TVで情緒不安定になる西川先生やゆうこりんの気持ちはお察しするものがあるのです。


おしまい。


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