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前の人生を思い出したと云う友人の話(1)

「僕の產まれる前の人生は、明治生まれの男で閒違ひないやうだ」
さう言つた幾野君は手に持つた白いマグカップに口を付けた。
「小さな弟たちが居たり姉が居たりとそんな夢を見る事がある。皆んな着物を着て居たよ」
「突然呼び出したと思つたらそんな話かい?」
僕は首を些か右に傾けて、彼に向かつて歎息とも笑ひともつかない聲を溢す。
「否、それだけでは無いんだけどね。ここ最近、生まれてこの方體驗した筈が無い事を思ひ出し續けてしまひ、氣持ちを持て餘して居るんだ。けれど此樣な事を誰彼構はず話したり、何時もの調子でTwitterに書いてゐたら、僕は愈々頭が可變しくなつたと思はれるだらう? それにこの話は僕1人だけの話ぢやなくなつてしまふからさ。不快に思つたり迷惑を掛ける人も出て來てしまふだらうから、愼重にならざるを得ない」
背凭れに體を預けて彼はマグカップを卓の上に置く。さうして改めて僕の目を見ると、また姿勢を前へ乘り出した。
「幸ひ君なら僕が何樣な奴かよく分かつてゐる。君なら否定も肯定せもず『ああ、さうなんだね』と僕の話を聞いて吳れるだらう? 遊び半分のいい加減な氣持ちで僕がそんなことを言つてる譯ぢやないことを分かつてくれる筈だ。大體僕は疑ひ深いんだ。目に見えない事、證據がない事には尚更ね。正面を見れば裏を見る、裏を見れば側面を確かめるといふ樣に、あらゆる方向からそれが正しいか檢證し續けるんだ。そんな僕が言ふのだから君は簡單に『頭が狂つてしまつたんだな、可哀想に』等とは思はないだらう?」
「まあ、さうだね。俺には何が眞實なのかは實際の所分からないけれど、君の人閒性だけはよく分かつてゐるよ」
「有難う。君なら屹度さう云つて吳れると思つて居た。助かる。さういふ譯で申し譯ないが、もう少しだけ僕の話を聞いて吳れないか。1人であれこれと思ひ出し續けて居る事が、僕にもう耐へられない。唯聞いて吳れるだけで良いんだ」
理解つたよ、と僕が頷くと彼はこんな風に話を始めた。

×××

夢を見たり、實際に思ひ出したりして居るんだ。
ふとした瞬閒に、空氣や氣溫、言葉、地形、味、景色、音、服、建物、音樂、己の發聲、凡ゆる物が過去……僕が生まれる前の人生、卽ち此の身體に紐付かない思ひ出に繋がつて記憶が甦るんだ。吃驚するだらう? けれど此の感覺がどうして己の物、前の人生の事だつて分かるかと言ふと、それは以前に手紙で書いた通りで、忘れて居た幼い頃の記憶を思ひ出した時の感覺と同じなのだよ。自分の記憶は自分の所有物(もの)、紛れもなくさうだと云ふ感覺は君にも在るだらう? それに、何よりも思ひ出した瞬閒僕は決まつて、懷かしさと切なさで、堪らなくなつて泣いて仕舞ふんだ。馬鹿みたいだらう? 無論自分でもさう思つて居るよ。けれども仕方が無いんだ。だつて淚が出て來るんだから。懷かしさが胸を一杯にして、美しい時や樂しかつた時閒はもう戾らないと、あの時の果敢無さを感じて切なくなる樣なんだ。けれど實際の所、理由も解らずに先に淚が出て來る。感情が言葉に成るのはそれから隨分と遲れてからだ。僕は殆ど每日、何かしら泣く事が在り、酷い時は3時閒でも5時閒でも泣いて居るよ。聲を上げて子供の樣にね。慟哭とはかう云ふ狀態の事を云ふのだらう。我ながら己に此樣な烈しい感情が在つた事に驚くよ。
でね、先刻の話の續きだ。僕の前の人生の話。僕にはどうやら兄妹が澤山いる樣だつた。僕はずつとひとりっ子なのに、その子供や少女たちが僕の姉だつたり、弟だつたりと云ふことが明瞭(ハッキリ)と解るんだ。着物を着て居て明治時代の雰圍氣だつたよ。と云ふか夢の中で分かるんだよね、此れは明治時代だ、と云ふことが。可變しな物だね。さうして幼い頃迷子になつてやっとの思ひで家に歸れた時に姉に迎へてもらつたりだとか、弟たちに構ふのが面倒だなあと思つたりして居た。これが繰り返し見る夢のイメージの內の一つだよ。
それと同じやうに何度も見る夢は、自分が死んだ後の場面だ。自分が死んだ後に僕は病院で泣く女性を天井から見下ろしてゐる。さうして自分が死んでしまつたことを悟り「これから澤山小說を書かうと思つたのに」「もつと小說を書きたかつた」と非常に後悔をする。どうも僕は若くして死んでしまつた樣だつた。泣いて居る女性は20代だらうか。洋裝の麗しい若い女性だつたよ。きつと僕の妻なのだらう。自分が死んだ場面は見た事がなく、氣が付けば病院でもう死んでゐると云ふ夢ばかりだ。
その夢を見ながら僕は何時も泣いてしまふし、夢が終はつた後なんてもつと泣く。烈しい後悔が僕を襲ふんだ。此れがその人生での一番の後悔なのかな、と思つて居たのだけどそれと同じかそれ以上の後悔が、此のずつと後で見附かつたんだ。けれどそれはまた後でゆつくり聞いて吳れ給へ。
大人に成つてからの僕は何時も革靴を履いてネクタイを締め、スーツで步く靑年だつた。茶色の靴が踏み鳴らすのは石疊で、石造の橋や建物がある街竝みだつた。そこはどうも銀座か日本橋の樣な氣がして居る。僕は編輯か出版の仕事をしてゐる樣で、その日は大好きな萩原朔太郞に原稿を依賴する爲にカフェで待ち合はせをして居て、個人的にサインをもらはうと著書を胸に抱いてドギマギしながら待ち合はせへ向かふ場面を夢に見た。
兎も角僕は大人になつてからは何時も帽子とスーツで過ごして居る靑年だつたらしい。
けれども此れは子供の頃……思ひ返せば4歲か5歲の頃から僕はネクタイが好きだし、11歲か12歲の頃から山高帽を被つてモダンボーイに成りたいと切望して居たのだから、その理由が前世に在るのだとしたら納得するより他にない。
田舍の小學生だつた僕に、モダンボーイの裝ひが手に入る筈もないけれど、その中でも僕は精一杯、シャツにアイロンをかけ、ネクタイを締めて、髮型も七三分けのスタイルにして通學してゐた。
さうさう、モダンボーイとして僕は髮を七三に分け、前髮を垂らして居たのだけどそれは當時にしては定番のスタイルではなかつたらしく「長髮」と言はれて居た樣だね。さうして地元の驛ビルで賣つてゐた"道子倫敦"の山高帽を見るなり一目惚れをして、何ヶ月も惱んでお金を貯めて買つたのだけど——なんせ11歲にとつての五千圓だ、大金だらう?——山高だつてスタンダードなスタイルでは無く、當時の映畫俳優などを見るに、中折れ帽の方が流行つてゐた樣ぢやないか。けれどもね、僕の偏愛して止まない小說家の渡邊溫が僕の好むモダンボーイのスタイルと全く同じ裝ひなのだよ。彼の寫眞やプライベートを知る前から、僕は同じ樣な恰好をよしとしてゐたのだから、彼とは餘程センスが合ふのだらうね? ははは。彼はシルクハットのイメージが强い樣だけど、長く付き合つてゐた戀人は「何時もの山高帽」とその服裝に就いて書き殘していた邊り屹度、山高帽もよく被つて居たのだらう。
さう云ふ譯で、夢で見た話を僕の前の人生だと假定すれば、僕の小說を書く事に對する言ひ樣のない衝動や焦り、服や文化などの堪らなく愛おしい物全てに說明が付くのだが、此れだけで自分の前世がさうだつたなんて思ふ程、僕の頭はお目出度く無いんだ。
此れらの夢を見始めたのが、もう今から十五年くらゐ前になるだらうか。それ以前、子供の頃から自分の前の人生は、明治生まれの男で昭和初期のモダンボーイではないのか、とずつと疑ひ續けて考へて、その考へを打ち消し、然し何故こんなにも愛おしさと懷かしさが在るんだ……と幾度も煩悶して居た。
此樣な物、誰にも証明が出來ない事だから、証拠を求める事自體無理な話だけど、手紙にも書いた通り、少し前に僕は自分の記憶として前の人生の事をハッキリと思ひ出してしまつたんだ。

×××

そこまで話すと彼は「ふう」と一息吐いた。
さうして眞白なセイレーンが微笑むマグカップに口を付けると、少し寂しさうに笑つて「此の話の續きだけど、到底シラフじゃ話せない。どうだい、此の後階下(した)のバーにでも行つてもう少し話を聞いてくれないか? ここらでは珍しく、カナディアンクラブの12年モノがあるんだよ」と云つた。
さうだね、と僕は應へて今日は此の友人の何とも言へない話しに最後まで付き合つてやらうと腹を決めたのであつた。

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