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僕が病的に好きな渡辺温の関連記事。ヲタ活まとめ。
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#渡辺温

渡邊溫選集「あゝ華族樣だよと私は嘘を吐くのであつた」を手に入れた。

盛林堂ミステリアス文庫から出た、YOUCHANさんの挿繪と編集に拠る渡邊溫の作品集「あゝ華族樣だよと私は嘘を吐くのであつた」を手に入れた。 個展で購入したので、サインも入れて戴いたよ! いいでしょう? 一言で云えば、僕の樣な一日の半分位渡邊溫の事を考えて居るオタクから、初めて手に取られる方にまでおススメ出來る本だなあと思います。 140文字の連投でざっと感想を述べても良かったのだけど、素敵な本だったので此れは確りと感想や思いを語りたいなあと思い、斯うしてnoteに書くこと

日立で渡辺温の聖地巡りをした話(2日目

一日目は興奮してとても眠れなかった。 何が如何と云う譯では無いけれど、とにかく情報量が多いと感じた。 温が過ごした町、温の心象風景に多少なりとも影響を与えたであろう此の町を五感で感じる事は、僕にとって非常に刺激が強かった。 目で見る景色、百年前と變わらないであろう波の音、虫の聲。常磐線の音、町の匂い、空気、あらゆるものが毛穴に刺さり、僕の細胞をずっとざわつかせて居た。 この町の總てが僕を揺さぶって居る。 一日中歩いて居たのに3時頃まで全然眠れず、4時にも目を覺まし、6時には

本日8月26日は渡辺温122回目のお誕生日。おめでと! 寫眞は温が生前に出した單行本。江戸川亂歩名義のポー翻譯は兄の啓助さんとの共同翻譯。渡辺温の事は語りきれない程澤山の思いがあります。此のnoteで少しずつ資料等を纒めて形にして行きたいと思って居ます。

シンドバッド船長/解説未満感想文

こちらにデータ入力をして書き起こした作品に就いての話です。 ↓↓ * 僕の激推しモダンボーイこと、長谷川修二氏の短い1作です。 そもそも長谷川修二は映画会社で翻訳や宣伝部長をして居た人なので、創作小説畑の人ではないのですが、新青年には小説形式でモダンボーイ指南の様な文章を幾つか書いて居ます。 渡辺温が新青年に入ってから寄稿が始まって居るので、温の依頼で新青年に書き始めた事が考えられます。この話は渡辺温が編集部から離れて居る時に掲載されたものですが、温が縁で新青年と繋がりが

故郷に就ひて

浦添には生まれてから7年いて、自分の礎や心の原風景を作ってくれたところだけど浦添は遠くずっと行ってなくて今どうなってるのかもあまりよく知らない。土地の者ではなくなってしまった。 岐阜のことはよく知っていてぼくを大人にして育ててくれたところではあるけど自分の文化を否定されたことも多く到底此処は魂の故郷になんてなれない。実母との思い出の品を「みすぼらしいね」と蔑まれて捨てられるような、そんな体験を何度もした。お世話になった養母のイメージ。 馴染めない養母の元を出て、けれど今更

シルクハットにモーニングで仕事をする。

渡辺温が異常に大好きな僕は漠然と何時かは彼と同じようにシルクハットを被ってみたいし、モーニングも着てみたいと思っていた。もしそのスタイルが揃ったらそれで仕事をしてみたいとも思っていた。 十三歳の頃から何となく憧れて居た夢だった。夢だと言うことも自覚していないほどの夢だった。 先日から連れ合いが「誕生日にシルクハットを仕立てよう」と言い出して、本当に!?出来るの!?いいの!?と思いながら帽子屋さんを調べたら、オーダーで帽子を作ってくれるお店を見つけて、相談と見積もりに行ってき

日立で渡辺温の聖地巡りした話(1日目)

2024年2月10日、渡辺温の93回目の命日だった。数え方あってるかな? 今までに温のお墓参りには2回行ったことがあるけど、一度命日にお墓参りに行って手を合わせてみたかったことと、助川町(現・日立市)の温に関する場所を巡ってみたいとずっと前から思って居たので、1泊旅行で行くことにした。 2月10日が土曜になることはこの先しばらくなく、これを逃すと中々そのチャンスは訪れないので、今回思い立って旅に出ることにした。 上野から日立へ横浜在住の僕は上野まで出て、そこから特急ひたちに

2/10の渡辺温の命日に茨城県の日立市へ行って渡辺温のお墓参りと聖地巡りをしてきた。細胞にたくさん吸収した感じ。今では日立のあれこれを愛おしく思う。地元のように思えてしまうほど。二日巡って暫く気持ちの整理がつかなかったけど、翌日堪らなくなって泣いてしまった。

渡辺温のお墓参り。

偏愛し倒して居る渡辺温のお墓参りには、これまで2回行って居る。 一度目は2006年の10月の終わり頃。 二度目は2022年の2月23日。 渡辺温のお墓は茨城県の日立市の駅近くの鏡徳寺というお寺にある。 一度目に行った経緯は、当時一緒にいた人に「渡辺温のお墓参りにいつか行きたいんだ」と話したら「じゃあ行こう」と言われてすぐに行くことになった。その人は茨城に長くいた人だったから、都内から茨城へ行くことの敷居が低かったらしい。 あの頃はまだガラケーの時代で僕の端末もvoda

渡辺温関連の話。研究等々。

神奈川近代文学館の収蔵品の渡辺温の帽子や服、その他私物等々、もしかしたら見れるかも。これはすごい。一生に一度しか見れないと思って、新青年展では朝の10時から閉館時間までを6回行ったのに。また見れるのだとしたら嬉しい。震えて泣いちゃう。 とりあえず検索しただけでもあの「横浜で友達と観光してたら雨が降って傘を買ってお金がなくなったのでお金送ってください」の手紙の日付もわかるみたいだし(多分その手紙だよね?)、兵隊に合格した時の資料や年月日など……そんなのもわかる。それだけでもす

渡辺温に関する所感あれこれ。(11月期)

三廉図書館行ったあたりからメモ帳に書き溜めて居たものをまとめて出します。 * シック・シネ・シック、タイトルがオシャレすぎん?温のセンスだろうなな。 * 「せんちめんたる・なんせんす」これもきっと温のセンスだろうなあ。あの人ほどセンチメンタルが似合う人もいなかろうに…。せんちめんたる・なんせんす。僕の好きなものが凝縮されていて好きすぎる言葉で思わずメモしちゃった。昔サークル名をつけるときに考えていた自分のテーマみたいなものも思えば「せんちめんたる・なんせんす」的なものだ

渡辺温が入社半日で新卒で入った講談社を退職した話。あれ何なんだろ?ってずっと思ってたんだけど、もしかして編集部に入るつもりが会計課とかに配属されたんかな?と思った。/というのも僕も新卒で入った印刷会社でそういった齟齬があって1ヶ月でやめてしまったもので……/

渡辺温の一人称、啓助さんの回想だと「俺」と言っているし、家族や極々親しい人の前では「俺」だったのかな。道子さんや横溝さんの前では「僕」だったようで、僕キャラなのかと思いきやそうでもなかったんだなあと。

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渡辺温121回目の生誕祭をやった。