年の功の何たるか

自分は3〜4週に一度のペースで、最寄り駅からいくつか行ったところにある心療内科に通っています。何度か途切れた時期もあるものの、通院歴はかれこれ18年近くになりましょうか。かなりお世話になってます。

「最寄り駅」と言うからにはもちろん電車に乗って通っているんですけど、その電車内である時とても印象深い出来事があり、それを思い出したのでちょっと書いてみようかなと。

まぁあくまで、自分はそう見た、そう感じたってだけの話なので、捉え方はこれをお読みになられる稀有な皆さまに委ねます。それでは。

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自分はその時、いつもの電車の長椅子形の座席の前で、吊り革につかまって立っていました。位置的には、座席の中央に座っているお客さんの真正面に来るといった感じでした。…なんか、意外と説明難しいな…。つまり、横並びの座席の真ん中辺りの吊り革にぶら下がってる、といえば「あぁ、あの辺ね」となってもら…えるかな…。まあいいやもう。

車内はすし詰めってほどではないけどそこそこ混んでいて、当然座席も埋まっている。降りる時は「あっすいません降ります、失礼します降りるんですスイマセン」って言っておいた方がいいくらいの混み具合でした。なんだそれ。電車の状況説明で本題前からこんなに行を割くなバカ。話を戻します。

そこで、自分の目の前の席に座っていたのが一組のご家族でした。向かって左と右の2席そろってお父さんとお母さん、そしてお母さんに抱かれた1、2歳くらいのお子さん。男の子かな?という印象でした。

そのお子さんは、自分が認識した時から、少しグズついている様子でした。乗車してから二駅、三駅と進むにつれ、その度合が心なしか強まっている。
まだ若いお父さんとお母さん。おそらくお二人にとっても初めてのお子さんなのでしょう。どうにかしてあやそうと声をかけたり、おもちゃを持たせようとしていました。周りの乗客に向けてすみません、すみませんと頻りに頭を下げながら。

乗客の人たちも、あからさまに迷惑そうな人はいませんでしたが、やはりどこか落ち着けない、ハラハラとした雰囲気でした。目の前に立っている自分も例外ではありません。

しかし、ある人は違いました。自分の左手、二つほど隣に、見るからに上品な身なりの老婦人が立っていました。
その子の親御さんはそちらへも頭を下げていましたが、その御婦人は嫌な顔ひとつせずニコニコと「いいんですよ。可愛らしいですね」といった様子で応えていました。

しかし、その後もお子さんの機嫌は戻らず、ついにその子は泣き出してしまいました。お父さんとお母さんはそれでも必死にあやしましたが、お子さんは泣き声を上げるばかり。すみません、すみませんと周りに伝えるほかなくなったお二人に、先ほどの上品な御婦人が、にこやかな表情で一言声をかけました。

「喉が渇いてはいないかしら?」

すぐ、お父さんが網棚の上のバッグからお子さん用の飲み物を取り出して、その子に一口飲ませる。すると、

ピタリ。

その子は、今までのことがまるで嘘のように泣きやみました。

そこから、お二人が何度も繰り返した「すみません」という言葉は、その老婦人へと向けた「ありがとうございます」に変わった。
一方の御婦人は「どういたしまして。よかったですね」と変わらず柔らかい笑顔を浮かべ、まもなく到着した駅で下車し、去っていきました。

カ、カッコイイ。

これがその時の自分の素直な感想でした。自分だけでなく、周りで見ていた他のお客さん達も、心の中は拍手喝采だったのではないかと。

電車内で子供が泣き止まず困っている親を簡潔なアドバイスで助ける。そのまま「スカッとジャパン」に送れる話だと思いました。

と同時に、目の前でずっと突っ立っていた自分が、情けないような気持ちにもなりました。

こればっかりは仕方がないのかもしれません。これ、今から少なくとも4年以上前の話で、今以て青い自分がさらに青かった頃の出来事なんです。4年前だとして、自分は23歳。もっと前のような感じもします。すいません記憶があやふやで。

最初に書いた通り、自分は心療内科に通院していて、それにはそれなりの理由があって、決して世の中をうまく渡っているとは言えず、日々の出来事を一つ一つ記憶するほどの余裕もあんまりなかった。
いつ頃の記憶かぼやけている理由もそうで、この頃は特にひどかったように思います。残念ながら今も今で色々とヒドいのですが。

そんな時期に、こんな事があって、今でもハッキリ脳裏に焼きついて、すぐ思い起こすことができる。
自分にとって、すごく貴重な体験です。また話が逸れました。

その老婦人が幸いそこに居合わせたことで、幼い子とそのご両親は事なきを得たのです。恐らく、彼女も子育ての経験者で、お歳を考えるとお孫さんがいても不思議じゃない。このような状況も幾度となく経験した、育児の大先輩だったとさえ考えられます。
これでは自分のような20代数年目程度のぼんやりした人間の出る幕はありません。大人しくいつもの心療内科で診察を受けるのみです。

「年の功」というものの本質を、素敵な大人の姿を通じてまざまざと実感できた、という話でした。

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はい予想通り予想以上に長くなりました。ここまで読んでくださった稀有な皆さまありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。
ここからはこの話を基に自分の憶測を並べた完全なる蛇足なので、ぶっちゃけもう読む価値ないです。この世の全てをやり尽くしたか何かで暇になった時にでもお読みください。
あ、ここまでが読む価値あったわけでも別にないです。

自分が少し気になったのは、御婦人が声をかけるタイミング。お子さんがぐずっていたのは明らかだったので、泣き出してしまうより早くに伝えていてもよかったのではないか。そんな底意地の悪いことも思いかけたのですが、多分、御婦人はそれも含めて考えた結果、お子さんが泣き出してから声をかけたのだと今では思ってます。

さっきと同じことを言いますが、お子さんが泣いている理由を言い当てた所を見るに、あの御婦人にも子育ての経験があったはずです。お歳を考えれば、お孫さんがいらっしゃったとしても何ら不思議ではありません。「列車の中で子供をあやした」なんて事も一度や二度の経験ではないと考えられます。はたまた、そういう仕事を長い間されている方だった、という可能性もあります。

対して、その若いお父さんとお母さんにとって、たぶんその子が初めて授かった子供。「喉が渇いている」というシンプルな答えになかなか思い及ばなかったのは「ただでさえ人の目が気になる電車の中で我が子が泣きそうになっている」という状況に慌てていたから。初めての子供だとすれば、尚更なんで泣いているか分からなくなってしまう、というのも想像するに難くないでしょう。

もしかしたら、「泣き出してから声をかけた」ことは、座席の親子だけでなく、周囲の乗客に向けてのメッセージでもあったように思えます。

「お子さんがなぜ泣いてるか」を考えると同時に「子供が車内でぐずったり泣いたり叫んだりするのはごく自然のこと」であると周囲の人たちに伝えたかったのかもしれません。だからあのタイミングで親子に手を差し伸べた。そう考えると、少し辻褄が合うような気がします。

後付けっぽくなってしまいますが、自分が見ていた限り、老婦人は何度も親子の方に目を向けていたように記憶しています。実際、その子のご両親はひどく申し訳なさそうに「すみません」と周りに繰り返していました。それを見て「ごく自然のことなのですから、どうかそんなに心苦しく思わないで」と言外に示そうとしたのではないかと。
そして、お二人が我が子をあやしている様子を観察して、「この子は喉が渇いている」ということをある程度確信した上で言葉をかけたようにも思えます。

さすがに考えすぎな気もしてます。ただ自分はこの一件について、ホントにいろんな事を考えました。
自分にとってはすごく「考え甲斐のある」出来事だったんです。

そろそろ書くこともなくなってきましたし、自分ももう終わらせたくてたまらないので少しだけ。

今この文を読んでくださっている稀有な皆さまが、どのようにこの話を受け取られるかはわかりません。
冒頭に述べた通り、自分ひとりがそう見た、感じたことのみでもってお話ししたまでです。一連の様子を見て「スゲェ」と感心しきりだっただけの自分が、です。これはある意味自惚れっぽいですが、炎上する可能性も否定しきれません。果たしてそうなるまで読まれるかどうかはさておいて。

こんなのを書いておいて差し出がましいにも程がありますが、ぜひ皆さまもご一緒に考えていただけたらとても嬉しいです。
ご自身の経験と照らし合わせるでも、「同じ視点なら自分はこんな風に思う」というものでもいいと思います。まぁこの文が「同じ視点」ってものを持たせられるほどクリアな説明ができてるのかどうかはまた別の話なんですが。ごめんなさい。

これを読んだ皆さまが、自分と同じ「考え甲斐」を少しでもおぼえたのだとしたら、それは自分にとってこの上ない喜びです。

長々と書きました。ホントに長かった。それでは失礼いたします。お疲れ様でした。ふー。

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